
長崎に来ています。
本来の目的は昼から行われるイベントに参加するためだったんですが、少し早めに到着して、ひとり歩きすることにしました。

わたしは40年来のさだまさしさんのファン。彼の音楽も小説も好きなのですが、長崎出身の彼が著した代表的な短編小説に「解夏(げげ)」があります。2002年に刊行され、2004年には大沢たかおさん、石田ゆり子さんの主演で映画化されています。
徐々に目が見えなくなってゆくベーチェット病を患う青年・隆之が苦悩と葛藤を抱えつつ、最愛の恋人・陽子とともに故郷・長崎で新たな人生を模索するヒューマンストーリー。今回はその舞台を歩いて見ることにします。

筑後通り方面に登る階段。階段が多いのが長崎の特徴。
駐車禁止「ここまで」はわかるけど「ここから」の意味は…?
「解夏」の主な舞台は筑後通り。長崎駅にほど近い場所にありますが、メインの観光スポットからは外れているので人通りも少なくゆっくり歩くことができます。

長崎駅から15分ほど歩くと勧善寺に到着します。隆之の祖母の墓のある寺で小説の序章に登場します。

勧善寺のシンボル的存在が樹齢800年の大樟。市指定の天然記念物となっています。隆之はこの樟を見るたび祖母を想い、祖母の命がこの木に託されたのだと考えることで安心感を得、毎度樟に向かって手を合わせます。

観善寺の隣にあるのが万寿山聖福寺。長崎4福寺のひとつに数えられ、作品中多くの場面で登場するお寺です。現在は長期の修復期間に入っており見ることができる建物は限られています。

天王殿などの施設は修復中。

寺内の惜字(せきじ)亭は江戸時代に建てられた不要文書の焼却炉。なんとも味わいのある名前です。赤煉瓦造で漆喰塗りの炉は幕末に中国人により製造され聖福寺に寄進されました。

聖福寺から東に抜ける小径にある瓦塀は作中で「鬼塀」と呼ばれ、隆之が子供の頃鬼ごっこをしてここに隠れたときに恐怖を感じたとされています。末寺を解体した際に出た廃材で作られたいう「鬼塀」は独特の造りになっており子供にとっては恐怖だったのかもしれません。

鬼塀の向こうでは猫がパトロール中。
あの猫も長崎名物「尾曲がり猫」なのかな。

聖福寺からは少し歩き、眼鏡橋付近の寺町通りへ。東明山興福寺にやってきます。ここも「福」がつく長崎四福寺のひとつです。この寺ゆかりの人物、林老人は隆之に「解夏」についての教えを説きます。
仏教発祥の地インドでは6月に雨季があり、この時期は虫や新芽を殺さないよう修行に入るとされています。これを安居(あんご)といいますが、これが終わる日のことを「解夏」といいます。日本では4月15日から安居に入り、解夏は7月15日。隆之の病気をこの安居になぞらえ、彼が失明の不安から解放される日を解夏であると説いたのです。

解夏を説いた林老人が隆之らを出迎えた大雄寶殿。

小説は隆之がこの寺の山門をくぐったところにある百日紅を見ることができなくなるところで終わります。6月のこの時期はまだ百日紅を見ることができませんでしたが、長崎市の花である紫陽花がきれいに花を咲かせていました。


最後に訪ねたのは「幣振坂」。映画版の「解夏」ではここで隆之らが墓参りに来るシーンがあります。

幣振「坂」といいますが、道の大半はこのような階段。この先に墓地があって、この日も何人かの方が墓参りに来ていたのですが、ここを日常的に上り下りするのはほんとうに大変だと思います。ちょっと登っただけで汗だくだく、脚が震えます。

シーボルトの妻、楠本瀧とその娘で日本初の産科医楠本イネの墓があります。瀧の名は紫陽花の長崎での異名「おたくさ」に残されていますね。

隆之は自身の「解夏」を迎えるまでの間、大好きな故郷、長崎の町を歩きその景色を目に焼き付けようとしました。幣振坂からのこの景色も彼の記憶の中に残すことができたでしょうか。

来月7月は「解夏」の月。小説が描いた季節の中でその舞台をたどることができます。隆之の解夏に向かう恐怖を理解しつつ、長崎の町を歩いて見るのもいいのではないでしょうか。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年6月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。






