40代以降の人生がハードモードになりやすい真の理由

黒坂岳央です。

ある程度、歳を重ねてきて見えてきたものがある。それは「ただ年を取るだけでは人生は徐々にしんどくなっていく真の理由」だ。

一般的に言われることは「年を取ると体力が落ちる、頭の回転が悪くなる」といったものだが、自分が言っているのはそうした生理的な変化ではない。過去記事でも書いた通り、ビジネスマンのピークは20代ではなく、むしろ40代から50代頃と考えている。

結論から先にいうと、年を取るごとに高まる周囲からの期待値を超え続けることが難しくなっていくからだ。

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覆すのが難しい「40代の格差」

かつての日本社会では、年齢を重ねることそのものが信用や評価につながる時代があった。年功序列のシステムのもと、「年齢=経験」「年齢=責任」として扱われ、ほとんどの人が結婚、並びに関連する人生イベントを経験するような社会的背景があった。そのため、40代になると「誰しも40代らしい社会性、経験、人格を持っている」事が多かっただろう。

だが、現代ではその構図が大きく崩れつつある。20代での格差はまだまだ大したことがなくても、40代、50代頃のビジネスマンは社会的期待値の高さと現実との乖離が深刻になり、後から覆すのが非常に難しい。

たとえば40代で人生何周分もの蓄財を終えていたり、影響力を持ったビジネスマンへ成長している人もいる。その一方で、ずっと非正規労働を続けて年老いた親の介護でにっちもさっちもいかないという厳しい状況に置かれた人もいる。さらに仕事だけでなく、子供がいる/いないや交友関係が豊富な人、孤独な人と様々な違いが出てくる。

格差自体はある程度、社会学の現象として受け入れざるを得ない。しかし、本人にとって生きづらさはそれ自体ではなく、「周囲からの目」なのだ。これは自分自身が20代で社会的立場、経済力が底辺層に極めて近かったのもあって肌感覚で分かるのだが、「貧しさそのものが苦しいわけではない」のだ。

失敗が許されない40代

20代の内は多少、失敗をしても「まだ若いから」と笑って許されやすい。自分自身も目を覆いたくなるような仕事の失敗やひどいふるまいをした経験があるが、周囲から何度も許されてきた感覚がある。

若ければ多少の失敗をしても許容されるのは、「未熟であること」が周囲の共通認識となっているためである。「これから伸びる可能性」に期待され、育ててもらえる。

その一方で、40代以降になると、今手にしたものしか評価されず、今後の伸びしろなど期待されなくなる。すでに完成された人物としての振る舞いが暗黙のうちに求められるのだ。その結果として、何か一つでも「できていない」部分があれば、20代以上に厳しく評価され、たった1つの失敗が蓄積した信用を一発で吹き飛ばすインパクトがある。

40代の生きづらさとは周囲からの期待値が高くなることで、失敗が許されなくなる緊張感から来ていると思うのだ。

人生経験が浅いまま年を取る厳しさ

たとえば飲み会で気遣いができない場合、20代なら優しく教えてもらえるだろう。だが、40代で気遣いができないともうそれだけで「仕事ができない人」という評価になる。本来、飲み会での気遣いと仕事は関係ないはずだが、「年相応に振る舞えないダメージ」はこうも甚大なのだ。結婚式やお葬式などの振る舞いも同様だ。

しかも仕事や人生経験が浅いまま40代になると、「未経験なので練習をしたい」と思ってもできるチャンスがない。そもそも、失敗した事自体を教えてもらえない。

これは「年齢による経験の蓄積」を前提にした期待値がもたらすプレッシャーであり、過大評価であると同時に、評価の幅を著しく狭める構造でもある。

「一人で自由気ままに生きたい、仕事よりプライベート優先、飲み会やイベントは無駄」と面倒事を避け続けていると、人生経験が浅い中年になる。そうなると誰も救いようがない人生の袋小路になりかねない。

「劇的な変化」は年齢で起こらない

筆者は昔、年を取ると自然になんでもわかり、できるようになって落ち着いた大人になると思っていた。40代ともなると結婚をして、子供を持ち、一戸建てに住み、冠婚葬祭や飲み会も上手にこなす。誰もが博識になり、仕事も課長や部長になるような感覚があった。

だが実際は違う。ただ年を取るだけで人は成長なんてしない。人生経験が浅いまま年を取ると、周囲からの高い期待値とは裏腹に趣味や好きなこと以外に知識がなく、行動力がなければ「未経験のことへの思い込み、決めつけ、偏見」だけが強固になるだけだと。

40代になったからといって、突然人格が洗練され、スキルが飛躍的に向上するわけではない。20代からの積み重ねの延長線上に今があり、急に別人になることはない。

本音をいえば期待値の方が間違っている。人の価値観は多様であり、いろんな生き方があっていいはずだ。それなのに、「40代なのにそれすらできないの?」「その年齢で未婚なのは問題があるのでは?」といった印象を持たれてしまうのは明らかに不当に生きづらさを強いられる。

だが、社会の感覚を個人が変えることは不可能なので、この不文律を理解したうえで上手に世渡りをするしかないのだ。

ではどうすればよいのか?

こうした中高年への「高期待・低寛容」構造に対し、打てる手がないわけではない。以下のような方策が、実践的であり建設的である。

1つ目は40代らしい振る舞いを身につけることだ。この年になると「普通にできる」ことの水準が高くなる。今は年齢不相応でも、少しずつ期待値にキャッチアップするように取り戻す努力をすることだ。

たとえばビジネスコミュニケーションなら、「自分はもうしっかりできている」などと決めつけずに、新卒になった気持ちで書籍や記事を読み込み、40代にふさわしいふるまいができるように努力するのだ。

マナーやコミュニケーションは減点方式なので、いまいちやる気が起きないかもしれない。だが、上述した通り中年でちゃんと振る舞えないダメージはあまりに甚大なので穴を塞ぐ自助努力は必須だろう。

そして楽しく、前向きに生きる工夫だ。40代の中にはすっかり人生を諦めていて、気持ちは塞ぎがちという人もいるだろう。一方で希望を失わず、チャレンジ精神を持ち続けて前向きに努力する人は何歳でも輝いて見えるし、むしろ中年でそういうフレッシュな気持ちで頑張る人ほど希少性の力でより美しく見える。

「具体的に何を頑張ればいいか?」という問いに対しては、普遍的に該当できる提案は「仕事を磨く」だろう。

仕事ができるようになれば、収入や待遇が改善され、人間関係が豊かになる。また、仕事そのもののスキル以外にコミュニケーション力なども磨かれ、自信も次なる目標も手に入る。仕事を1つ頑張ることで、様々な要素を手に入れることができる。

人生100年時代を想定するなら、40代・50代はまだ折り返し地点ですらない。諦めて生きるにはあまりにも早すぎる。今からでも少しずつ年齢相応の人格、振る舞い、知識、仕事のスキルや立場を取り戻す努力をすることで、人生に輝きを取り戻すことができるだろう。

 

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。