文部科学省は、次期学習指導要領において、「主体的に学習に取り組む態度」を成績(評定)の対象から外し、今後は通知表の所見欄などで記述する「個人内評価」として扱う方針を示しました。これは、これまで教員の主観に頼る部分が大きく、児童生徒にとって納得感のある評価になっていなかったという問題意識が背景にあります。2030年度からの実施が見込まれています。
小中高の内申点、「主体性」項目廃止へ 客観評価難しくhttps://t.co/LCDUYOS2XI
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) July 4, 2025
従来の学習評価は、「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3つの観点で構成されており、このうち「主体的態度」は、挙手の回数や提出物の状況、授業中の発言などを通じて判断されることが多く、結果的に「勤勉さ」を測る代理指標のようになっていました。これが、内申点に反映されることで、高校入試や推薦入試などに実質的な影響を与えてきました。

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文科省の今回の見直し案では、評価観点を「知識・技能」と「思考・判断・表現」の2つに再編し、「主体性」については評定に直接反映せず、特に顕著な場合に限って「〇」を記述するという柔軟な扱いに変わります。これは、不登校の子どもや発言が少ない児童生徒にとって不利となる現行の評価体制を改善する狙いもあります。
観点別評価なんてしなくても、テストの点数だけで知識・技能、思考・判断・表現は評価できるだろう。主体性なんて評価できないだろう。そう思っているので成績をつける時期はやる気が霧散します。
— エフハリスト (@G1vH13uUIIMiO5I) December 11, 2024
そもそも「主体性」などという内面的な態度を、教師が客観的に評価すること自体が無理のある話です。定期テストやレポートのように成果として可視化されるものとは異なり、「やる気」や「積極性」といった姿勢は、教員によって解釈が分かれ、評価にバラツキが出やすい要素です。にもかかわらず、内申点という進学の可否を左右する重要な評価に組み込まれてきたことには、制度的な問題がありました。
観点別評価は本当にわかりにくい。
例えばテストの点がよかったら、知識・技能の評価が上がるけど、主体性の配点はない。出欠は成績に反映させんようにしてて(不登校の子がいるし)、評価材料の評価点の合計で成績は決まり、むかつくけど良くやる子は結果を出してくるし、逆もまたある。— ともこ(*'ω'*)🇺🇦 (@orangehead) March 27, 2025
このような制度のもとで生徒がどう振る舞っていたかといえば、「先生にウケる子」が高評価を受け、授業中の発言や態度を意識的に演出するようになっていました。いわば、学校教育が「品行方正コンテスト」のようになり、形式的な管理教育の強化に拍車をかけていたのです。
横浜宗英中学高等学校の工藤校長と対談しました。
教えるべきは、主体性と当事者意識。
その通りだと思います。いい会社に入ることや、医者になることをゴールにする教育をしているから日本経済も沈んでいくと思うんです。
受験教育も金融教育も不安をあおるビジネスになってると思います。 pic.twitter.com/QlvUCd1635— 田内学/『きみのお金は誰のため』著者 (@mnbtauchi) March 22, 2024
文科省は、今回の見直しによって「評価材料集めの負担を軽減する」と説明していますが、これは教員側だけでなく、生徒側の心理的負担も軽くすることにつながります。
んー、主体的に〜の評価の客観性は難しい反面、その項目で救われる成績も一定数ある訳で。
それに所見を書くより教員の負担は少ないと思うんだよなぁ。なにより態度や主体性あってこそ知識が身について、知識が身についてこそ思考や判断表現につながって、それが次の主体性に繋がるから……うーん。 https://t.co/jijM4sSIpQ— 蓮城さん (@renzy0u) July 4, 2025
特に通知表は本来、子ども自身が自らの学びを振り返り、改善のヒントを得るためのものですが、現行制度では「成績を上げるための行動」を強いる道具に変質していました。
「成績伸びない」小6中受ママのご相談。20世紀なら大変だったけど、今は入試も変わってる。目の前の成績に振り回されなくて大丈夫。21世紀型教育は主体性と思考力メイン。経験をもとにアウトプットできる力が求められる社会に変わって来てる。受験対策だけでは乗り切れない力を育てるには幼少期からの
— あゆみん☆AI時代の子育て共創パートナー (@family_ath_) December 5, 2023
一方で、高校入試における内申点の扱いが残る限り、「主体性」を外しても根本的な解決にはなりません。内申点そのものの信頼性が揺らいでいるなかで、選抜制度の見直しを同時に進めなければ、子どもたちは勉強の面白さに気づく前に引き続き「忖度力」を競わされることにます。
『生徒の主体性を育む授業』が新しい学校の方針だ。『主体性』という言葉が独り歩きしている気がする。私には『主体性』はない。成績や受験や将来のために無理やり勉強させられているうちに語学が好きになった。面白さが分かったのは基礎を教えこまれたからだ。#教師のバトン
— さすらい英語講師 (@SASURAIENGLISH) April 1, 2024
主体性や感性、思いやりといった情意面は、数値評価になじまず、そもそも教育の目的として内面を“点数化”することに無理があります。
どこにでも出願できて学力だけで勝負がつく入試なら、SAPIXがここまで肥え太ることはなかったはず。
安い学費という圧倒的アドバンテージを持つ公立高校が近年まで私立の後塵を廃していたのは、学区制だの内申だの、自らわざわざ作り出した不合理な制度による自殺に近いものだと思うな。
— 過食B (@motaberarenaiyo) March 29, 2025
しかし、その内面を重視してきたのはほかでもないJTCなのでした。
「JTCにおいても勿論”結果”も重視されるのであるが、それよりも何よりも協調性やプロセスが重視される。中学時代の内申点制度が延々と続くようなイメージである。”勝てば官軍”的な思考法は、JTCのスタイルとは全くフィットしない」https://t.co/B4btwUkqgs
— Shen (@shenmacro) July 3, 2024