レオ14世がローマ教皇に選出されて今月8日で2か月が過ぎた。米国人として初めてペテロの後継者に選ばれたレオ14世のプロフィールが次第に浮かび上がってきた。このコラム欄でも書いたが、レオ14世は決して前教皇フランシスコのクローンではない。貧者、弱者への思いが深いという点でペルーで長い間宣教師として歩んできたレオ14世はアルゼンチン出身のフランシスコ前教皇と類似しているが、相違点も明らかになってきた。

レオ14世、夏季休暇に入る、2025年7月6日 バチカンニュースから
欧州では暑い日々が続くが、レオ14世は今月6日、夏季休暇に入った。カステル・ガンドルフォにある教皇の夏の離宮で7月20日まで休暇を過ごす。ちなみに、前教皇フランシスコは夏の離宮を3回訪問しているが、宿泊は避けた。豪華な宮殿で寝泊まりすることに強い抵抗があったからだといわれた。米国人のレオ14世にはそのような感情はなく、バチカンの伝統を守ることに熱心だ。その点は,カステル・ガンドルフォを愛したドイツ人教皇べネディクト16世に近い。
レオ14世はサン・ピエトロ大聖堂のバルコーンから信者たちの前に初めて姿を見せた時、教皇の肩掛けとストールを着用した。フランシスコ教皇は最初から教皇の肩掛けなど華やかな法衣の着用を拒んだ。フランシスコ教皇は教皇宮殿に住むことを拒み、ゲストハウス・サンタ・マルタの自身の部屋(201号室)で寝泊まりした。一方、レオ14世は直ぐに宮殿の主人となった、といった具合だ。
新教皇レオ14世(本名ロバート・フランシス・プレボスト)は人生の半分をアメリカ国外で過ごした。アウグスチノ会時代を経過した後、宣教師としてペルーで24年間暮らし、最初は貧しい農村地帯のチュルカナスで、その後はトルヒーリョで神学校の校長および教会法の教授となり、2015年からはチクラヨの司教として歩んだ。そしてフランシスコは2023年、プレボスト司教をバチカンに招き、司教省長官に任命し、その直後枢機卿に任命した。その2年後、プレボスト枢機卿はローマ教皇に選ばれたわけだ。本人も驚くほどの急展開だ。
過去2か月間で新教皇が下した重要な決定は、前教皇フランシスコが推進した教会刷新(シノドス)の日程を正式に承認したことだ。バチカンのシノドス事務局によると、レオ14世は6月26日、カトリック世界会議の実施に関して前教皇が設定したスケジュールを順守することを明らかにした。ちなみに、バチカンの「シノドス事務局」が今月6日発表した「シノドス実施段階の概要」と題された16ページの文書によると、2026年末まで各地方教会で協議と取り組みを進め、2027年前半には教区レベルの会合が予定されている。その後、2027年後半には、国内および国際の各司教協議会レベルで会合が行われ、大陸会議は2028年春に開催され、最終的に同年10月にバチカンで「教会会議」が開催されることになっている。
注目されている点は、レオ14世教皇の最初の使徒的訪問だ、バチカンからの情報によると、レオ14世はこの秋、西暦325年に開催されたニカイア公会議(二ケア公会議)の1700周年を記念し、ニカイア(現在のトルコの都市イズ二ク)を訪問するのではないか、という情報が流れている。
レオ14世は6月7日、バチカンで開催されたアンジェリカム(エキュメニクム)と国際正教神学協会が共催するシンポジウム「ニカイア会議と第三千年期の教会:カトリックと正教会の一致に向けて」で、「ニカイア公会議は単なる過去の出来事ではなく、全てのキリスト教徒の完全な目に見える一致へと私たちを導き続ける羅針盤だ。私たちが共有するものは、私たちを隔てるものよりも、量的にも質的にもはるかに大きい。私たちは共に、三位一体の神、真の人であり真の神であるキリスト、そして教会で読まれる聖書に従い、聖霊の導きのもとに、イエス・キリストによる救いを信じていることだ」と説明し、ニカイア公会議の精神に戻り、この共通の源泉から学ぼうと呼びかけている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年7月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






