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石破首相の次の発言は記憶に新しい。
我が党の総裁選というのは。いろいろな人がいろいろな意見を言う、それはそうあるべきものだと思っております。そこにおいて、当選させていただきました。そこにおいて掲げました政策が、当選をしたのだからこの通りにやるということにはなりません。当選をしたら自分が掲げたこと、「全て我が党はこれでやる」という様なことを私どもの党はやったことがございません。
予算委員会 2024年12月5日
この発言は衝撃的です。選挙で掲げた政策を実行しないことを、堂々と宣言しているのです。
実は、これは石破首相だけの問題ではありません。2016年の小池百合子都知事の「築地は守る、豊洲は生かす」発言、横浜市の林文子前市長のカジノ誘致「白紙」からの翻意など、公約違反は日本政治の常態化した病理なのです。
政治家は公約を破っても、決して「撤回した」とは言いません。「解釈の違い」「状況の変化」といった言葉で正当化します。石破首相に至っては、そもそも守るつもりがないことを公言する始末です。
なぜ政治家は公約違反を認めないのか。それは、有権者からの信頼を失うことを恐れているからです。しかし皮肉なことに、言い訳を重ねることで、より深く信頼を損なっています。いや、もはや信頼など期待していないのかもしれません。「どうせ有権者は忘れる」「選挙の時だけ頭を下げればいい」—そんな傲慢さが透けて見えます。
政治家がよく使う言い訳のパターン。
「社会情勢の変化に対応した適切な判断」
「今後も検証を続ける」
「党内での議論の結果」
「国民の皆様のご理解を賜りたい」
これらは全て、公約違反という事実から目を逸らすための詭弁です。特に「ご理解を賜りたい」という言葉は、一方的に約束を破っておきながら、それを受け入れろと迫る傲慢さの極みです。
民主主義において、公約は有権者との契約です。企業が顧客との契約を一方的に破れば訴訟になりますが、政治家の公約違反には法的拘束力がありません。だからこそ、政治家には高い倫理観と誠実さが求められるのです。
しかし現実はどうでしょう。公約を「努力目標」程度にしか考えていない政治家が、当選していきます。なぜなら、私たち有権者もまた、公約違反を許し続けてきたからです。「仕方がない」「政治なんてそんなもの」—この諦めこそが、政治家の傲慢を助長させてきたのです。
有権者として私たちにできることは、公約を守らない政治家を次の選挙で落選させることです。そして、公約違反を「解釈の違い」で済ませる政治家を、二度と信用しないことです。投票は、私たちが持つ最大の武器です。その武器を正しく使わなければ、民主主義は形骸化してしまいます。
政治家の言葉には責任が伴います。その責任から逃げる者に、権力を託すべきではありません。図らずも日本の政治の病理が露呈しました。この現実を直視し、変えていくのは、私たち有権者の責任です。
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
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