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(前回:神風特攻隊のサイエンス②:昭和20年「本土決戦」で日本勝利の可能性はあるのか)
大東亜戦争において、なぜ神風特攻隊の出撃が可能だったのでしょうか。
少し古いのですが、20年ほど前の国際比較アンケートの結果によれば、「国のために戦わない」という回答が、日本では90か国中最低の24.6%となっています(他の調査でも同様)。にもかかわらず、大東亜戦争当時には「国のために命をかける」特攻はなぜ可能だったのか。
通説では「皇国史観」のためとされますが、異論がある人はいないでしょう。
しかし、このアンケート結果からは、少なからず奇妙なことに気付かされます。現代の我々は、国のために死なないと言っているのだから、1945年を境にして態度が180度変わったのでしょうか?
ある人はこういうでしょう。だから、戦争の貴重な教訓を踏まえて、不戦の誓いである現行憲法の「第9条」が存在しているのだと。
極めて奇妙な「憲法第9条」擁護派の“論理”
現在、ウクライナ侵攻と台湾有事が話題になっています。どちらの国にも日本国憲法「第9条」に相当する条文はなく、もちろん「国防軍」も保持しています。にもかかわらず、ウクライナは侵攻されましたし、台湾も相当な危機感を持って警戒しています。
もし、本当に第9条に戦争抑止効果があるというなら、この2か国に働きかけて、憲法を改正してもらえばいいのです。冗談抜きで、私はそういう動きが少しは出るのでないかと考えていました。
しかし、期待は見事に裏切られ、憲法第9条擁護派はほぼ完全に沈黙しています。つまり、本気で信じている原理主義者は1人も存在せず、なにか別の「本心」があるということです。では、この本心とは何か?
また、最近の話題としては、日本は軍事的には中国にかなわないだから、台湾有事が発生しても軍事面は米軍にまかせ、日本は静観すべきだという主張があります。
言うまでもありませんが、このことは非現実的です。日本が中立を保つためには、それなりの軍事力が必要です。
これは、中立だったベルギーをナチス・ドイツは蹂躙しましたが、重武装だったスイスを攻撃しなかったことで明らかです。
1950年の「半島有事」の朝鮮戦争では、日本は直接的な戦闘にこそ参加しなかったものの、機雷除去のために掃海艇が出動し、米軍の軍事物資や兵站基地としても大きく貢献しました。
当時占領状態の日本に拒否する選択肢はありません。つまり、十分な軍事力がない限り、中立や静観も不可能ということです。
“論理”に基づく説明は可能なのか
これらの奇妙な“論理”について、井沢元彦氏は一連の『逆説の日本史』などで再三解説しています。
次は『週刊ポスト』(2025年2月7日号)の連載記事のポイントです。
- 戦前の日本社会では、少数の例外(日本共産党員など)を除き、「戦争反対」という考えはほとんど存在していなかった。
- その根底には、「10万の英霊」と「20億の国費」を投じて得た中国大陸での権益は、それだけの極めて尊い犠牲を払っている以上、何があっても絶対に守るという国民的意識があった。
- 戦後、日本が平和国家へと大きく転換しても、この「犠牲を無駄にするな」という精神構造は消えなかった。
- たとえば、「日本国憲法第9条は、300万人の戦死者の犠牲のうえに成り立ったものだから、絶対に変えてはならない」と変化し、その意味で憲法改正反対派の意識は、戦前の「英霊に申し訳ない」と同じ構造にある。
- そのため、かつては第9条の改正に言及するだけで、「改正でなくて改悪」「右翼で悪人だ」といった極めて強い感情的な反発を受けた。
- このような感情的・信仰的な反応は、日本人の精神文化に古代から存在してきたものであり、それが戦前は「戦死者の犠牲を無駄にするな」、戦後は「平和憲法を死守する」という形で受け継がれている。
話を皇国史観に戻しましょう。
特攻の「過ちを繰り返さない」のであれば、どのような思考に基づいてどのように行ったのかを徹底的に調査・分析する作業が不可欠なはずです。しかし、不思議なことに冷静で客観的な「皇国史観」についての分析は、なぜか“タブー視”されているように感じます。
皇国史観の定義を求めて――「反皇国史観」の著書での記述
さて、普通はこういう「客観的な分析」を調べるには、反対派の著書を読むに限ります。
たとえば、大東亜戦争に勝利するため、アメリカは日本のことを徹底的に調べ上げました。その代表例は、文化人類学者のルース・ベネディクトによる日本人論『菊と刀』です。
もちろん、そういう分析結果がすべて正しいかというと疑問ですが、少なくとも第三者の視点から書いているので、理解の助けにはなります。
そこで、皇国史観を知る近道として、「反皇国史観」の本を読んでみました。そういう本を読めば、皇国史観を徹底的に批判している(はず?)だから、何がベースになっているのかが簡単にはっきりするはずです。
しかし、不思議なことに、基本的なことは驚くほど見事に何も書いてありませんでした。
笑い話のようですが、多くの反皇国史観の本では、「皇国史観の歴史観や成立時期にはさまざまな見方があります」といった表現に終始しており、肝心の核心が見えてきません。「反皇国史観」の学者は、「皇国史観」の正確な定義をせず、はっきりとした内容も不明なまま批判していたでしょうか?
冗談のような話ですが、残念ながらこれは実話なのです。
なぜ正体不明のまま語られているのか?
「皇国史観」は決して単純な思想ではありません。そして、意外にも「反皇国史観」を唱える側の多くが、その正体を真剣に掘り下げようとはしていないようです。
そこには、「政治的に否定すべき対象であり、そもそも研究の対象にすること自体が誤りである」という“空気”が存在しているのかもしれません。
だとすれば、われわれが重要視すべきなのは、「思想の是非」ではなく、むしろ「なぜ、語られずにきたのか」という問いの方ではないでしょうか。
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金澤 正由樹(かなざわ まさゆき)
1960年代関東地方生まれ。山本七平氏の熱心な読者。社会人になってから、井沢元彦氏と池田信夫氏の著作に出会い、歴史に興味を持つ。以後、独自に日本と海外の文献を研究。コンピューターサイエンス専攻。数学教員免許、英検1級、TOEIC900点のホルダー。
『神風特攻隊のサイエンス:データが語る過小評価と続「空気の研究」の研究』
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