
箸墓古墳
2020年10月筆者撮影
箸墓古墳はメディアなどで「卑弥呼の墓」と紹介されることが多いです。魏志倭人伝によると卑弥呼は247年頃に死んだとされます。卑弥呼の墓であれば、3世紀中頃ということになりますが、その根拠は意外と知られていないと思います。
箸墓が3世紀中頃から第3四半期の根拠としては、主に3つの説(国立歴史民俗博物館の炭素14年代、三角縁神獣鏡、中国鏡)が出されています。これらの説を僕が検証したところ、どれも不十分であることがわかりました。詳しくは僕のnoteで解説していますが、ここでは概略を紹介します。

炭素14年代(歴博)
歴博は炭素14年代測定により、箸墓の築造直後の年代は240~260年と発表しました(2009年発表、2011論文)。炭素14年代測定は、放射性炭素である炭素14が5730年で半減することを利用して、動植物の死んだ年代を推定します。
現段階で、箸墓の年代を表す最もいい試料(炭素を含む試料)は周濠下層から出土した小枝です。箸墓周濠小枝の炭素14年代を国際標準ソフトOxCalを使って実年代に変換すると、グラフのとおり、230年前後と300年前後に確率の高い山ができ、実年代を特定できません。

このような時は前後関係がわかる他の試料と組み合わせることによって、年代が絞り込めることがあります。このように事前確率に新しい条件を与えて事後確率に更新する手法をベイズ推定と言います。
歴博は纒向遺跡周辺から出土した57試料(土器外面煤、種実など)の前後関係からモデルを組み、OxCalを使って全体の年代をベイズ推定しました。その結果、箸墓周濠小枝は234~262年に絞り込まれましたから、歴博の発表が間違いということはありません。
しかし、試料の元の年代とベイズ推定後の年代の統計学的適合度(一致度)は、全体で16%にとどまりました。適合度は本来60%以上が求められます。60%を下回っても直ちに間違いということはありませんが、気になるのは、適合度が低い試料が纒向にある東田大塚古墳からの出土物に集中していることです。
歴博の年代推定では、箸墓と東田大塚の前後関係が重要な役割を果たしています(箸墓の年代を東田大塚の築造中と周濠埋没後の間とする)。歴博のモデルが不適切だったことは明らかで、根拠は破綻しています。歴博の年代推定はモデルの再検討が必要です。
三角縁神獣鏡(福永信哉氏・岸本直文氏)
鏡を専門とする福永信哉さん(元・大阪大学)は、三角縁神獣鏡の製作年代を、文様によって古い段階(240年代)と新しい段階(260年代)に分けました。箸墓は三角縁神獣鏡の有無は不明です。岸本直文さん(大阪公立大学)は、箸墓と同じように前方部がバチ形に開く古墳(兵庫県西求女塚古墳など)は古い段階の三角縁神獣鏡を持つことから、箸墓を含むバチ形の古墳は240年代と推定しました。
しかし、バチ形の古墳には新しい段階の三角縁神獣鏡を持つ事例もあります(京都府椿井大塚山古墳など)。バチ形の古墳だからといって、240年代とは特定できません。
そもそも、三角縁神獣鏡の出現年代が疑問です。箸墓に隣接するホケノ山古墳では、中国で230~250年に製作された画文帯神獣鏡(破鏡)が出土しました。ホケノ山に副葬されるまでの期間は特定できませんが、ホケノ山の年代は早くても250年以降になる可能性が高いです。
一方、ホケノ山には三角縁神獣鏡はなく、ホケノ山の年代には三角縁神獣鏡は出現していなかったことを示します。三角縁神獣鏡が240年代に出現していたという推定には無理があります。福永さん、岸本さんの説は前提が間違っていると言えます。

三角縁神獣鏡(奈良県黒塚古墳8号鏡/橿原考古学研究所付属博物館展示)
中国鏡(寺沢薫氏)
メディアにもよく登場する寺沢薫さん(纒向学研究センター)は、箸墓は土器様式の布留0式期※の築造とします。寺沢さんは他の布留0式期の古墳(福岡県津古生掛古墳など)に副葬されていた鏡が、中国で3世紀第2四半期に製作されたと推定します。
寺沢さんは、中国鏡の流入には朝鮮半島の出先機関(楽浪郡)の介在があり、外交交渉も間断なく行われたとは限らないことから、津古生掛古墳の鏡の副葬は、3世紀第3四半期でも後半を見込むのが適切だとします。箸墓は卑弥呼の墓ではなく、台与の後の男王の墓ではないかと推定しています。
しかし、鏡が製作されてから、日本列島に流入し、祭祀などに使用され、古墳に副葬されるまでの期間は様々だったはずで、絞り込みようがありません。寺沢さんが3世紀第3四半期後半と特定する根拠もわかりません。そもそも中国鏡の製作年代も年号銘がなければ特定できないことが多いです。中国鏡も、箸墓の3世紀第3四半期の確かな根拠にはなりません。
※ 弥生終末期(3世紀)の土器様式は、庄内式→布留式と区分されています。
以上のように、箸墓の年代が3世紀中頃から第3四半期には十分な根拠はありません。僕が歴博とは別の炭素14年代のモデルを組んで推定したところ、箸墓は300年前後になりました。記事を改めて紹介したいと思います。
※ 僕の2022年のアゴラ記事では、歴博の炭素14年代と寺沢さんの中国鏡の根拠について紹介しましたが、今回はさらに三角縁神獣鏡の根拠を加筆しました。
■
浦野 文孝
千葉市在住、古代史に関心のある一般市民。
note:https://note.com/fumitaka_urano






