長門市の先端・仙崎:道の駅と金子みすゞの故郷を行く

夏期休暇に入りました。福岡は三日三晩大雨に晒されてました。計画していた九州最後のマイカーでのドライブは中止。でも被災者の方のことを思うとやむを得ないと思います。

夏期休暇唯一となったイベント、山口県長門地方への旅行もJRの不通などもあって無事できるかなと思いましたが、運よく予定通り行けることになりました。ただ、万全を期して不通が予測された鉄道利用ではなく、高速バスを選択しました。

今回私が乗った「おとずれ号」は最近、福岡から長門市を経由して萩市まで至る高速バスの定期便としてデビューしたばかりの高速バスです。紀勢の時期ということもあって席は満席でした。

3時間半ほどバスに揺られてやってきたのは長門市仙崎地区にある道の駅「センザキッチン」。中国地方で人気No.1、全国でも屈指の人気を誇る道の駅です。

道の駅の向こうは青く澄んだ日本海。

仙崎は三方を海に囲まれた港町。ショッピングエリアには干物を始めとする海産物が多く並びます。

道の駅内には様々な店が軒を連ねるのですが、私が選んだのは新鮮な干物を食べさせてくれる「ひだまり」さん。

アジの開き定食をいただきます。こんな海のそばの道の駅でいただく干物なんて、おいしいかすごくおいしいかのどちらかに決まってるでしょう。

海に面したデッキでは椅子やテーブルも用意されていて、海を見ながら寛ぐことができます。この日は猛暑でだれも座ってないですけど、一等地。

日陰の席でいただいたのは萩市の地ビール、ちょんまげビール。幕末の香り漂う(?)地ビールです。猛暑とはいえ海風はちょっと涼しく心地いいです。

センザキッチン内にはほかにもフードコートのほかパン屋さんや、

木のおもちゃ博物館。

子どもを飽きさせない木のおもちゃの博物館なんかも併設されています。

風光明媚な場所に作られ、買い物だけでなく飲食などもできる観光スポットとして、地元の方や観光客の人気を集める道の駅です。

さて仙崎、と聞いて鉄道ファンなら知らない人はいないのがこの仙崎駅。長門市駅から当駅まで、一駅だけの短い区間で鉄道が走っています。山陰本線仙崎支線です。

昭和5年に貨物線として開業したのち、昭和8年に旅客営業を開始、現在に至ります。今はキハ40が長門市までの間を往復するだけですが、JR美祢線が被災する前は美祢線との直通運転をしていました。美祢線は災害からの復旧が断念され、鉄道の歴史に終わりを告げますが、仙崎支線は山陰本線の一部であるため廃線の対象から外れています。

仙崎駅の待合室にあるかまぼこの板でできたアート作品。ここの描かれた人物をご存じでしょうか。

彼女の名は金子みすゞ。彼女は「こだまでしょうか」という詩をを残していますが、この詩が脚光を浴びたのは2011年に起きた東日本大震災のとき。この時期、多くの企業が広告を自粛しましたが、その広告枠を埋めたのが公共広告機構(ACジャパン)でしたが、この時期に作成されていたのがこの詩を使った広告で、多くの人の心に深く印象付けられることとなりました。2011年の流行語としてノミネートまでされています。

金子みすゞはこの仙崎で生まれ育った童謡詩人です。大正末期から昭和初期にかけて活躍しましたが、その後半世紀にわたりほぼ忘れ去られた存在でした。昭和40年代に童謡詩人によって「大漁」が見初められると再評価され、知名度が向上していきました。

代表作は「私と小鳥と鈴と」。「みんなちがって、みんないい」のフレーズは知らない人はいないのではないでしょうか。多様性を認めようとする現代社会を先取りしたような詩が支持を集め一躍脚光を集めました。

仙崎駅から北へ延びる「金子みすゞ通り」には、商店から民家の軒先に至るまで様々な場所に金子みすゞの詩が掲げられています。

金子みすゞの途中にあるのが「金子みすゞ記念館」。みすゞの実家、仙崎で唯一の書店兼文具店を模して作られています。

金子みすゞの書斎の再現。

記念館には金子みすゞの生涯や彼女にまつわる書簡や遺品の展示のほか、彼女が過ごしてであろう当時の部屋の様子を再現した和室など、金子みすゞの面影を感じられる工夫がされています。

金子みすゞは家庭の問題などを苦に26歳の若さで自殺しています。そんな悲しいことがなければ半世紀忘れ去られることもなく、より多くの作品を生みだし、より早く日本の童謡詩人の第一人者となっていたでしょう。

仙崎の町を歩けば彼女の過ごした故郷を描いた詩に数多く出会うことができます。晩年は下関に移りましたが、故郷を想い、愛していたことが強く伝わる詩ばかりです。

センザキッチンに寄られた際は是非仙崎の町も歩いていただき、金子みすゞの面影も感じてもらいたいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。