夜明けの箸墓古墳
写真ACより
前回の記事で、箸墓古墳の3世紀中頃には、主に3つの根拠(国立歴史民俗博物館の炭素14年代、三角縁神獣鏡、中国鏡)が出されているけれども、どれも十分ではないことを紹介しました。「箸墓は卑弥呼の墓」に根拠はありません。
歴博とは別に炭素14年代から推定
僕も炭素14年代を使って、独自に箸墓の年代推定に挑みました。炭素14年代測定は、放射性炭素である炭素14が5730年で半減することを利用して、動植物の死んだ年代を推定します。
現段階で、箸墓の年代を表す最もいい試料は周濠下層から出土した小枝です。箸墓周濠小枝の炭素14年代を国際標準ソフトOxCalを使って実年代に変換すると、グラフのとおり、230年前後と300年前後に確率の高い山ができ、実年代を特定できません。
僕は歴博とは別に、箸墓に隣接するホケノ山古墳の埋葬施設から出土した小枝2点を加えて、検討しました。ホケノ山小枝群の炭素14年代からは、270年前後と4世紀後半に確率の高い山ができて、やはり年代を特定できません。
では、箸墓周濠小枝とホケノ山小枝群の年代を組み合わせると、どうなるでしょうか。まず、箸墓とホケノ山の前後関係を考えます。
箸墓とホケノ山で比較できる出土品としては、古墳に供えられた土器があります。箸墓からは特殊器台、円筒埴輪が出土していますが、ホケノ山からは出土していません。ホケノ山では埋葬施設の木槨の周囲に土器が並べられていました。
古墳に供えられた土器は、時代とともに、特殊器台、円筒埴輪へと変化していきます。特殊器台などが出土しないホケノ山は、箸墓よりも前の年代だと言えます。
箸墓周濠小枝、ホケノ山小枝群の炭素14年代と、ホケノ山→箸墓の順番につくられたという前後関係から、以下のような推定が導けます。
- ホケノ山小枝群の炭素14年代測定によると、ホケノ山は270年前後または4世紀後半の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
- 箸墓周濠小枝の炭素14年代測定によると、箸墓は230年前後または300年前後の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
- ホケノ山→箸墓の順番でつくられたと考えられる
通常はこれらの情報をもとにモデルを組み、国際標準ソフトOxCalを使ってベイズ推定※1)するのですが、ここではOxCalを使うまでもありません(OxCalは使わなくても一種のベイズ推定をします)。
※1)ベイズ推定とは、事前確率に条件を加え、事後確率へと更新することです。
- ホケノ山は箸墓よりも古いのだから、4世紀後半の可能性は消え、270年前後が確定する
- ホケノ山が270年前後で、ホケノ山は箸墓よりも古いのだから、箸墓の230年前後の可能性は消え、300年前後が確定する
ここでは試料は3つだけですが、僕がこれらの3試料を含む17試料でモデルを組み、OxCalを使って全体をベイズ推定したところ、年代は同じ結果になり、統計学的適合度(一致度)は65%となりました。歴博の年代モデルの適合度は16%でしたから、少なくとも、僕の年代推定のほうが歴博よりも整合性がありそうです。
今後、より確度を高めるために、測定試料数を増やしたいところです。
中国鏡と楽浪系土器によって300年後を裏づけ
箸墓が300年後という年代推定は、さらに考古学的成果と文献によっても裏づけられます。
1つは鏡です。ホケノ山には、230~250年に中国で製作された画文帯神獣鏡(破鏡)が副葬されていました。倭国に流入し、祭祀などに使用され、古墳に副葬されるまでの期間は特定できませんが、ホケノ山が270年後だとする僕の年代推定は、この画文帯神獣鏡の製作年代とも矛盾しません。箸墓はその後ですから、300年前後という年代推定とも整合しています。
もう1つは土器です。箸墓の年代は土器の布留0式期※2)とされています。布留0式期になると、九州北部への楽浪系土器※3)の流入が激減します。楽浪系土器の出土は、大陸の人々が倭国にやってきたことを示しますが、それが激減したということは、倭国と中国との外交関係が断絶したことを意味します。
※2)弥生終末期(3世紀)の土器様式は、庄内式→布留式と区分されます。
※3)楽浪郡は中国による朝鮮半島の出先機関で、倭国と中国の外交関係の窓口でした。現在の平壌にあたります。
中国の歴史書である晋書によると、中国への遣使は卑弥呼の後も続きました。卑弥呼の後を継いだ台与の遣使は、266年が最後とされています。
つまり、3世紀第4四半期に倭国と中国の外交関係がいったん途絶え、それに伴って楽浪系土器が激減したという推定が成り立ちます。3世紀第4四半期以降が布留0式期であり、箸墓の年代と考えられます。
逆にいうと、箸墓の年代(布留0式期)を3世紀中頃とか第3四半期というような早い時期に置くと、まだ台与の遣使が続いていた年代に楽浪系土器が激減するというおかしなことになってしまいます。箸墓は卑弥呼の墓ではありません。
※ 今回の記事は、僕のnote記事で詳しく紹介しています。
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浦野 文孝
千葉市在住、古代史に関心のある一般市民。
note:https://note.com/fumitaka_urano