全国各地で裸婦像撤去の動きが広がる

戦後に「平和の象徴」として全国に設置された裸婦像は、近年「時代にそぐわない」「公共空間にはふさわしくない」との理由で撤去や移設の動きが広がっています。

高松市では小学生から「恥ずかしい」との声が出て撤去が決まり、静岡市でも市長が移設を検討するなど、自治体の判断が相次いでいるそうです。

撤去された高松市の公園の像

ネット上では「芸術をいやらしい目で見る方がおかしい」「見たくないから撤去するのは中世に逆戻りだ」といった批判的な意見が目立ちます。

一方で「芸術だからといって裸像が公共の場に多くあるのは不適切だ」という声もあり、議論は平行線をたどっています。また、亜細亜大学の高山陽子教授が「公共空間に女性の裸像が多く設置されているのは日本だけで、欧州やアジアでは美術館や庭園に限られる」と断定しています。

参照:街の裸婦像は時代にそぐわない? 撤去の動き、各地で…小学生「見ていて恥ずかしくなる」 読売新聞

しかしそれに対し、上記の発言のように古市憲寿氏らが「ローマやパリ、ブリュッセルといった欧州都市の中心部にも裸婦像は存在するし、アジアの寺院にも裸の女性像は普通に描かれている」と反論するなど、学術的な信用問題にも発展しています。さらに「公共空間」の定義をめぐっても意見が割れ、庭園を含むのかどうかといった点も論争になっています。

また、裸婦像を撤去する動きは、ホームレスや外来種、子どもの歓声など「不快」とされる存在を公共の場から排除する流れの一部との指摘もみられます。

芸術としての意味や地域文化への貢献をどう評価するか、そして「見たくないものを排除する」風潮をどう考えるべきなのでしょうか。

裸婦像をめぐる議論は、公共空間における芸術や表現の自由のあり方そのものを問い直す問題になっているのです。