
参院選後の「日本はどうなる?」でも蚊帳の外で、もう誰も相手にしない立憲民主党だが、『平成史』の著者として、小沢一郎氏の発言は心にしみた。将来、令和史を描く歴史家は、時代の象徴として必ず引用するだろう。

「次の総選挙は参政党と国民民主党は全小選挙区に候補者を立ててくる可能性が十分ある。立憲は、相当選挙に強い人でも勝利を得るのは非常に難しくなる。極端に言えば、全滅しかねない」
2025.7.31(強調は引用者)
2007年に小沢氏が民主党の代表として、安倍晋三政権(第1次)を退陣に追い込む参院選での圧勝を指揮したとき、「“二大政党制の父” みたいな感じで、教科書に載るのかな」といった書き込みをよく見た。その後いろいろあり迷走を続けたが、平成前半の実績に照らせば正しい評価だ。
ところがその人がいまや、逆に多党化の流れが止まらず、二大政党(?)の片方が消滅することを危惧している。2024年の衆院選の翌日から、多党化の時代の再来を指摘したぼくでも、さすがにちょっと衝撃である。

みんな忘れてるけど平成のなかばには、むしろ二大政党制が定着しすぎて、かえって副作用を起こしているとまで言われていた。とくに、解散がなく任期も長い「参議院」との食いあわせが、ヤバすぎると懸念された。
与党Aと野党Bの二党で政権を争う場合、Bが参院の多数派を押さえ「ねじれ」を起こしたら、Aと協調して法案を通すメリットがない。むしろAによる統治を徹底して妨害し、「さっさと衆院を解散してBを与党にしろ」と迫る方が、得だからだ。で、2007~9年は実際にそうなった。
2010年の5月に出た竹中治堅『参議院とは何か』が、そうした問題意識で書かれた政治学の基本書だ。実際に2か月後、民主党政権の菅直人内閣は参院選に敗れ、AとBを入れ替えただけの「逆ねじれ」に戻ってしまう。

そのため同書は、「法案審議過程で妥協を成立させやすくするためには、参議院では二大政党制化が進まないような選挙制度に改めるべきである」(349頁)として、こんな改革案を出した。
比例代表制は全廃する。そして、地域ブロック制を導入し、選挙区を〔「近畿」「中部」などの〕地域ブロックごとの大選挙区に改める。
(中 略)
大選挙区制により、無所属候補や中小政党が参議院に議席を確保しやすくなると考えられる。これによって、参議院における妥協が成立しやすくなると考えられる。
同書、352頁
たとえば「近畿」選挙区では1人1票で投票し
(人口が多いため)上位21名まで当選する
ところがご存じのとおり、日本人は二大政党化にすぐ飽きて、選挙制度の改革すら待たず、なし崩しに多党化してしまう。どうして、そんなことになるのだろうか。
もちろん、もともと「完全には」二大政党でなかったのは大きい。たとえば、終わったばかりの2025年参院選の、比例区を見るとわかる。

自民党の比例で最多得票者の、犬童周作氏は約48万票だが、これは支持母体である郵政業界の「組織票」と見られる。一方で連立を組む公明党は総計520万票で、「選挙区は自民・比例は公明」で交換した分を割り引いても、最強の業界団体の10倍弱を与党に回したことはまちがいない。
自民党が公明党(創価学会)と組んでドーピングするならとばかりに、対抗する野党が選んだのが、いわゆる「立憲共産党」路線である。要は与野党の第一党のどちらも、高度成長期に都市部の根無し草層を束ねた小党に貢いでもらって、「二大」政党のフリをしてきた。
しかし今回、共産党は比例で300万票を割り、なんと日本保守党に競り負けた。立憲民主党も比例の得票は「4位」にすぎず、国民・参政を下回る。ドーピングの薬効は、野党の方が先に切れた。

だけど与党も限界が近い。選挙の総括で思わず笑いが漏れたのは、産経新聞の以下のもの。同紙が「保守の論客」と見なす自民党の比例候補7名(「正論」ほかによく出る人)の得票数を総計して、以前と比べている。

7人の合計得票は開票率99%の段階で約69万票だった。
6年前の参院選では佐藤〔正久。今回落選〕氏ら5人に旧安倍派で保守系の北村経夫、衛藤晟一両氏を加えた7人の得票が132万票を超えていた。産経新聞の集計では今回47.5%にあたる約63万票が減ったことになる。
2025.7.21
二大政党制の下、「自民より右」の選択肢がないことで、たとえ与党が不人気な場合でも、保守系メディアで顔を売っていれば「自分は集票できるはず」といったルートも半壊した。減った分は「ぜんぶ参政党が獲った」とまで決めつけると誇張になるが、今後の影響は大きいだろう。

もともと1980年まで、参院の比例区は「全国区」といい、党名では投票できず候補者の名前だけを書いていた(そのかわり無所属でもOKだった)。石原慎太郎は自民党の公認で1968年に出馬し、300万票を超えてトップ当選したが、当時こんな風に分析されている。
石原〔慎太郎〕のいう「体制内革新」には「昭和の革新」を連想させるようなものがあり、彼のいうフラストレーションの解消策はいずれかといえば、右からする批判を意味していた。石原のみならず、自民党から出馬したタレントにはこういう右翼的批判の姿勢が付着していた。
源田実のようにかつて自衛隊票をあてにしていたものがタレントへの票の逃亡によって意外に苦戦したことはこのことを物語っている。
篠原一『日本の政治風土』1968年、135頁
(段落を改変)
「多党化」が高度成長期からの潮流でも、どんなに右の人も①自民の外には出れない縛りがあり、1970年代から②公明党が宗教色を薄めて「中道陣営」に入り、だいぶ遅れて③共産党も「野党共闘」で他党と組み出す。そうしてだましだまし抑えてきた野放図な政界の分裂が、いよいよスパークするかの瀬戸際が、いまかもしれない。
先日は靖国問題を採り上げたけど、「半世紀前からの宿題」はけっこう多い。てか環境問題も少子高齢化も消費税も、みんなそうだ……という話も、2021年の『平成史』からずっと書いている。

20日発売の『Wedge』9月号の連載「あの熱狂の果てに」では、竹中氏の『参議院とは何か』をふり返りつつ、劇的な選挙結果に振り回されずに、内実ある政治を始める条件を考えている。大事な局面のいま、有権者に広く届きますように。
参考記事:ひとつめは2013年のものです


(ヘッダーは、2013年参院選時の朝日新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






