以前告知した、三鷹の書店UNITEでのイベントを、来聴した毎日新聞の清水有香記者がネットの記事にしてくださった(冒頭のみ無料)。短縮版が、8/25の夕刊紙面にも載るらしい。
参院選の4日後の開催だったので、自ずと参政党ネタが話題になったのだけど、選挙戦の最中によく見て「うーむ」と唸っていた出来事について、有料の部分でぼくはこんな風に喋っている。
加藤の最晩年の評論集「もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために」(17年)が今、参政党の躍進を背景に関心を集めているという。
そもそも加藤が幕末や尊皇攘夷に注目したのは、10年代のイスラム国(IS)などの台頭も踏まえて「原理主義的な政治を緩和し、そこから離脱する条件を探る目的があった」。
しかし、そうした文脈抜きに「尊皇攘夷っぽいフレーズを使う参政党が出てきて、加藤の予言は当たっていた」といった形で都合よく解釈される。
強調を附し、段落を改変
そうなのだ。晩年の加藤さんは「キケンなウヨクが来る、ヤバい!」と不安を煽ったのではなく、むしろ一度は極端な思考にハマってしまった人が、どうすれば最も穏当な形で「転向」できるかを探ろうとしていた。
現在の文庫版は、本人の遺志で別の著書『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。』(2018年)と合冊になったので、なぜ加藤がそうした構想を抱いたかは、より見えやすい。
連合赤軍というように、これは、京浜安保共闘(革命左派)と呼ばれたグループと赤軍派というグループが合体した二階建て構造をした思想集団でした。彼らの思想、生き方の流儀もまた、尊王攘夷派の思想、流儀と同じく、二つのあり方の合体物でした。
ですから、この話を思い浮かべると、私のなかに、1966-67年の新宿のヒッピー文化の「自由ないい加減さ」と1968年以降の「自己否定」とそれに続く絶望的な社会拒否の気分とがよみがえります。
(中 略)
「いい加減であること」が、「どこまでも思いつめるあり方」と隣り合っていた。それが私の学生時代の思想経験の基本構造だった。そのことを忘れてはいけない、と強く思うのです。
141-2頁(算用数字に改定)
自分の思想は一色ではない、二階建てだ、と自覚する人は、「一階を維持するために、二階を改める」といった形で、自己を保ちながら原理主義を卒業できる。ヤバいのは自覚がなく、自分を一階建てだと思い込む人だ。
その種の人は「なぜ私と同じように思いつめない!」と、周りを攻撃する。思いつめ度が「低い」と認定した相手を、非国民とか・革命戦士に非ずとか・ロシアを利するとか言って、「みんなで殴ってコイツを矯正しようぜ!」と煽り始める。
こうした人は現実の壁にぶつかり、自分の思いつめた独断が周囲を巻き込んで破綻する結末を見るまで、転向できない。ていうか転向しても、今度は新しい時代の別の原理主義にハマるだけなので、行動は改まらない。
そんな人の典型として、誰もが知る(架空の)人物がいる。コロナ禍やジャニーズ問題での「メディアの手のひら返し」を扱う、2024年1月の記事で中川淳一郎氏が、「過去の反省よりも正当化に走る「鮫島伝次郎」話法」として紹介していた。
鮫島「わたくし鮫島はすでに太平洋戦争がはじまった時点で このような時代がくることは予期いたしておりました わたくしは戦争反対を強く叫びとおしておりました 日本は戦争をしてはいけないと固く信じていたのです
(中 略)
しかるに日本の軍部のばかどもは かの偉大なるマッカーサー元帥のいられるアメリカ合衆国とイギリスに戦争をふっかけてしまったのです わたくしは悲しかった 平和の戦士、鮫島伝次郎 胸が張りさける思いでありましたグスン わたくしはだんこ戦争反対に立ち上がり必死でたたかってまいりました 終戦となってやっとわたしの時代がきてくれたとよろこびにたえません」
記事の2頁より
出典は『はだしのゲン』汐文社版5巻
で、「鮫島伝次郎ウォッチャー」としては、ぼくも人後に落ちない自負がある。拙著『江藤淳と加藤典洋』を読んだ、芸術誌『美術の窓』の編集部が、9月号で昭和100年特集をするということで、声をかけてくれた。
江藤淳は60年安保の、加藤典洋は70年安保の、最も誠実な転向者だった。それに学ぶという趣旨で、副題を「なんどもやってくる鮫島伝次郎のために」としつつ、こんな風に書いている。
昭和史上で日本人はなんども、信じるものを変えてきた。しかし「俺は別に悪くない」(=他の誰かが悪い)として自分を甘やかし、無謬のポジションに居続けようとする姿勢だけは、まったく変わっていない。
そんな鮫島伝次郎でいることをやめ、敗戦ですら改まらなかった虫のいい性根を直して、正しい意味で日本人が「変わる」ことはありえるか。
73頁
よく誤解する人がいるけど、「主張を変えること」自体は別に悪くない。大事なのは、変える以上は前に言ったことは「まちがっていた」、その誤りの責任を、自分が引き受けるか、他人に押しつけるかの違いなのだ。
歴史修正主義が非難されるのも、調べたら過去の解釈がまちがってました、すみません、という意味での “修正” ではないからである。むしろ、自分たちは常に正しい、だからそれに沿う形で過去を「つまみ食い」しようぜ、とする姿勢に、問題の本質がある。
さて、コロナでもジャニーズでもやってきた鮫島伝次郎だが、いま「鮫島化」に向けてアップを始める人が多いのが、ウクライナ戦争である。当初の想定と違う終わり方が、見えてきたからだ。
たとえばヒラリー・クリントンが、トランプがノーベル平和賞を受ける可能性に言及し、日本でも話題だが、
ヒラリー氏は条件として「ウクライナの領土を渡さないこと」とし、ノーベル賞推薦について「私の目標はプーチン氏への屈服を許さないことだからだ」と述べた。
産経新聞、2025.8.18
「領土を渡さない」が、①全占領地からのロシア軍の撤退を指すなら、実現する可能性はない。逆に②占領を容認しつつ、ウクライナ領だというタテマエだけ維持すればいいとの趣旨なら、従来の米民主党政権の立場と矛盾した「こっそり転向」になる。つまり、中身のない発言だ。
実は②は、1967年の第三次中東戦争の調停の際、イスラエルによる「占領は不法だが、事実上は黙認」とされて以来放置されている、ヨルダン川西岸(やガザ地区)とほぼ同じ扱いになる。で、ウクライナ東南部もそうなるのでは? とする憶測記事も、近日出てきた。
もう「ロシアがイスラエルで、ウクライナはパレスチナみたいなもんだ」と見なそう、という形で①戦争が “終わる” 可能性は、どれほどあるのか。次に②そうした “平和” の価値を、私たちはどう評価すべきか。
こうした問いを考えるのが、本来は専門家の仕事なのだが、その姿をとんと見ないのは、どういうことだろう。いまなら「ヒラリーに乗っかって」転向するチャンス! みたいなセンモンカは、ちらほら見かけるのだが。
2025.8.19
ヒラリー記事の翌日ですね。
時に、「ロシアの犯行!」と断定する人もいたノルドストリーム爆破事件(2022年9月)は、ついに今年の8/21、ウクライナ人容疑者が逮捕されてしまった。ドイツに移送されるので、即決処刑ではなく裁判が始まるから、色々出てくるだろう。まちがえた人はどうするんですかね。
もちろんわが国でも、また別の “裁判” が必要だ。今度こそ安易な転向を許さないことが、未来の日本有事に備えて、ぼくらの危機対応を強くする。
「戦後80年目の夏」が終わるけど、むしろ反省はここからが本番だ。今度の “敗戦” でも湧いて出る「鮫島伝次郎ショー」に目を凝らし、秋以降も、戦争と平和を考える1年にしたいものである。
同じく2025.8.19
「タイミング」があったんですね。
「わたくしはすでにウクライナ戦争がはじまった時点で このような時代がくることは予期いたしておりました わたくしは早期停戦を強く叫びとおしておりました ウクライナは戦争に勝てないと固く信じていたのです
(中 略)
しかるにゼレンスキーたち芸人どもは かの屈強なるプーチン大統領のいられるロシアに反転攻勢をしかけてしまったのです わたくしは悲しかった 平和の戦士、〇〇〇〇 胸が張りさける思いでありましたグスン わたくしはだんこトランプ米大統領への「叩き込み」に立ち上がり必死でたたかってまいりました 和平となってやっとわたしの時代がきてくれたとよろこびにたえません」
参考記事:
(ヘッダーは、8/15の会談時のトランプとプーチン。共同会見の全文訳を報じる読売新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。