
田久保眞紀市長
伊東市HPより
先日、学歴詐称疑惑の伊東市長に辞職勧告決議が出された。また27日には住民1万人による辞職要請なる署名が提出された。ようやく予算が成立した守口市の市長も昨年12月に議会から辞職勧告を決議されている。いずれも勧告は無視のようである。
首長だけでなく議員の辞職勧告決議もちょくちょくあるようだ。
伊東市長については、マスコミを見ている限りではほとんどすべてが、中立的報道ではなく、辞職すべきだと言っている。議会はようやく不信任を出すようだが(原稿執筆時では未提出である)、今までやったのは不信任ではなく辞職勧告だし、いわゆる住民による辞職要請もリコールではなく署名である。本当に皆がそう思うなら、なぜ最初から不信任やリコールではないのだろうか。たぶんそのほうが簡単だからだろう。
でも、それでいいのだろうか。私はこのお二人を知っているわけでもなく味方するつもりもないが、それでも疑問に思うのである。
辞職勧告については、基本的には法的な拘束力はない。にもかかわらず、法律に基づかないで選挙民から選ばれた首長・議員を脅すように辞職を強要する。こういったニュースやコメンテーターの煽りに触れるたびに、こういうやり方は民主主義に叶うのだろうか?と、思う。
以前、ガーシー元議員に対する除名決議はおかしいと投稿した。国会であろうと自治体であろうと、国民の負託を受けて当選した議員の資格を安易に奪うことに疑義を呈した。

先ほど述べたのは首長の例であり、ガーシー元議員の場合は除名であるが、議員でも、首長でも直接選挙で選ばれた以上同じだと思っている。
詳細は前の投稿をお読みいただきたいが、私がこれらに反対するのは、有権者の負託を受けて当選した人が、ほんの少しでもその負託にこたえるかもしれないという「可能性」がある限りは、弾劾される人が一見、悪い人に見えようとも、その負託を無にするという悪しき「前例」を作ってはいけないからである(残念ながら辞職勧告では多くの前例がすでにできてしまっている)。
前回の投稿では、憲法50条の国会議員の不逮捕特権を例に、国民の多くが賛成することに竿さす意見の持ち主を抹殺しようとしても簡単には抹殺させない、というのがこの憲法条文の意味であり、そのうえで除名という法律行為の適用は抑制的であるべきであるとの話をした。
辞職勧告についても同様の話をしたが、とくに、法律に規定のない辞職勧告などで、政敵となる議員や少数派を、多数派が排除したり弾圧できる可能性を増やすことにつながる「前例」を作るのは、除名決議よりはるかにタチの悪い行為である。
再度説明すると、議員や首長は直接の選挙で国民から選ばれている。これをやめさせることができるのは,法律上規定ある場合だけである。つまり、首長の場合、不信任決議かリコールによる失職以外にはないはずである(その時点で辞職してしまうこともあるかもしれないが)。
しかも不信任決議にせよ、リコールにせよ、辞職しなければ、最終的には解散か失職にともなう首長選挙、住民投票により弾劾は有権者の判断にゆだねることになっている。つまりそれだけ、有権者の負託を受けて選ばれた議員・首長は、思想信条その他により弾劾されないように保護されているのである※1)。
※1)厳密には、議員の場合は除名、という法律にのっとった仕組みがあるが、これは有権者の判断を待たないため、ガーシー元議員の投稿で述べたが運用は抑制的であるべきと考えている。
不信任やリコールのハードルは低くはない、低くない、というかハードルが高いのはそれだけ選挙民の負託を無碍にしてはいけない、という仕組みのはずであり、それを乗り越えてこそ嫌いな首長や議員を辞めさせることができるのである。
いかに物議を醸す行動をしたとしても、微罪であったり、殺人など明確な重大犯罪であることが明白でない場合に、投票者以外が議員の投票で辞めさせることができるとすると、大政翼賛会的な議会であれば、どんな理由をつけても辞めさせることができる※2)。
※2)現実には大政翼賛会になった段階での辞職勧告決議決議=処決決議は行われていない
とくに首長は直接選挙で選ばれるので、議会の勢力図とは異なる意見の方が当選することもある。首長に反対の多数派の議会議員が恣意的に首長の辞職決議をすることは可能である。しかも、今回の伊東市長の不信任のように、辞職勧告に応じないという悪印象を植え付けてから不信任に持ち込むこともできるのである(私は抑制的であるべきだと思うが、最初から法律にのっとって、嫌いな首長に不信任を突きつけるほうがまだましである)。
辞職勧告決議に参加する議員も選挙民に選ばれているのだとしても、それでも、直接選挙で選ばれた首長・議員を辞めさせるのは、法律によってしかなく、最終的には投票という有権者の判断によらなければいけないということになっているのである。
政敵となる議員や少数派を多数派が排除したり弾圧できる可能性を増やすことにつながる、法律にない辞職勧告を決議して辞めさせる、という前例は作るべきではないのである。
理解を深めていただくために、ちょっと強引な仮定であるが、あくまで仮定と思って、二つの例で説明したい。事実はどうなのかをここで述べているのではなく、もし仮に、万が一、そうだったら、という仮定でお読みいただきたい。
一つは,今回の伊東市長の件である。繰り返すが、事実はどうか知らないがあくまで説明のための仮定の話としてお読みいただきたい。
もし、この卒業疑惑が地元の図書館建設に対する現市長と意見が違う方のタレコミだったらどうだろうか。学歴詐称が犯罪を構成する可能性があるかどうかは、限りなく黒に近いように見えても、まだ可能性の問題である(つまり、判決が出ていないし、有罪でも重大犯罪かどうかは明確でない)とき、いかに市長が(これもあくまで仮定であるが)チャランポンな方であったとしても、犯罪は確定していないのだから、道徳的にどうかということで市長辞職を迫るということは、投票者の図書館建設に対する負託を無にする可能性があり、脇が甘かったとはいえ、タレコんだ人の思う壺である。
繰り返すが、事実がそうだと言っているのではない、理解を深めるための可能性の話であるが、そう考えてみると、安易な辞職勧告は民主主義を壊すことがわかるであろう。チャランポランと判断した市長を辞めさせるのは辞職勧告ではなく不信任決議(による辞職か失職)かリコール(による住民投票)であり、問題を認識している選挙民の判断しかないのである。
もう一つのわかりやすい例は兵庫県知事の件である。結果としては、県議会は辞職勧告ではなく不信任にしたが、再選挙の結果はどうであったか。
SNSや某党首の行動の結果とマスコミはいうが、私には選挙民が常識を働かせたようにしか見えない。さらに言えば、このときの百条委員会の記録をちゃんと見れば、県民の多くがそう思っていないという選挙結果と議員たちの考えがどんなに乖離していたかわかるであろう。私には百条委員会、というかこの問題自体が、前知事派と現知事派の政争の場とされたようにしか思えない。
仮にそうではなく、これが当時の状況での精いっぱいの議員の判断であり、彼らの認識はやむを得なかったということであれば、もし不信任決議ではなく辞職勧告なら、それこそ法律によらないで地位を奪ってはいけないという、明白な証拠となるであろう。後で無罪になった時には取り返しがきかないのである(いまだに斎藤知事がパワハラによる裁判になり、負けたという話は聞かないので、その時点では疑惑の段階であり、無罪推定、というか無実と推定するべきである)。
彼らが辞職勧告ではなく不信任を選んだこと、その後の知事の行動は、善悪は別として、少なくとも民主主義のルールにのっとっていると思う(個人的には、百条委員会を含め、そこに至る議会の動きは間違っていると思うが…)。
いかなる人でも、少しでも投票者の負託に応える「可能性」があるとすれば、安易な判断で投票者の票を無にすることは、民主主義に反するどころか、左翼やマスコミが嫌う犯罪に値するような反民主的な行為だと思うと思うがどうだろう。
雰囲気でというか、一時の感情で直接選挙で選ばれた首長・議員を法律以外では断罪してはいけないし、その法律の運用も抑制的であるべきである。今すぐそういうことの可能性がなくとも、できる限り「前例」は作ってはいけない。
ガーシー元議員も国会を無茶苦茶にしてほしいという選挙民の負託にこたえただけかもしれないし、維新の丸山元議員も戦争以外の手段では北方領土を取り戻せないというある意味当たり前のことをいっただけで戦争をすべきだと言ったわけでもない。
そういう個人の思想を無視して、そういう思想に賛同して投票したかもしれない有権者の権利を無視して、いかに問題のある議員と見えても、ほかの議員が自分の価値観で首長や議員を辞めさせることはしてはいけないのである。
ガーシー元議員や丸山元議員が正しいと言っているわけでなく、「万が一にも」選挙民の負託による活動かもしれない場合に辞めさせることができるのは、議員団ではなく、有権者である(ましてやマスコミ・コメンテーターでは絶対にない)。
(※)前の投稿にも書いたが、ガーシー元議員のような行動や、取り調べなど有罪が確定されるまでに議会に出席できないときなどで、その間に損害が発生する場合、議員の資格がないことが明確になるまでは、辞めさせるのではなく、議会に出られない間の報酬を中断して預託し本人には支払わない、というような立法行為が、民主国家としてギリギリやれることだと思っていると、再度、補足しておきたい。
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田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て、現在は隠居生活。






