
いつの世も、政治小説は時代を映す鏡である。
で、始まる書評を、共同通信の依頼で書きました。採り上げるのは、真山仁さんが今年7月に出した『アラート』。9/17に配信されたそうなので、早ければ先の週末あたりから、各紙に載り始めたのではと思います。

国際情報サイトForesightでの連載なので、まさに政治や経済に関心の高い層に向けた作品でしょう。「現実そのまま」ではフィクションにする意味がないから、「ありそうだな」「あるかもな」と思わせる範囲で、時代の特質を誇張して描く。
そうしたカリカチュアの仕方に、かえって「いまどんな世の中か」が映り込むわけですが、書評はこう続きまして…
作中の日本政府は、現実よりもはるかに「対米従属」している。だから閣僚の人事すら、CIA(米中央情報局)が首相を恫喝して決まる。
一方で、国民のナショナリズムは「嫌中」に向いている。与党の議員が訪中するだけでもバッシングや、果ては離党の覚悟が要るくらいだ。
やれやれだ。実際にかつてなく日本人はいま、自分が選挙で選んだ政府を「操られ国家」のように見始めている。そんな傾向を助長して回る国際政治学のセンモンカとかまでいることは、先日の記事でも書きましたね。

『アラート』の冒頭で、日本の首相は防衛費の倍増を決めたものの、財源をめぐり方針がブレまくり「フラフラ殿下」なる不名誉なあだ名をもらっている。まぁ普通に考えて、「増税メガネ」と呼ばれた人がモデルとわかる。
というか同じ人を、ぼくはむしろ「カネカネ眼鏡」と呼んでいた。戦争が話題なら防衛費、人口減少が話題なら子育て支援金と、「あ。じゃあそれ、予算つけといて」と言う以外、なんの芸もない人だったからである。

政権当時の毎日新聞より
(2023.3.29)
が、世の中、カネで動く問題ばかりではない。
たとえばLGBTの人権はカネで買えないので、同じ人が「あ。法律通しといて」と言った結果、ブチ切れた保守派がより右の新党を作ってしまった。政治資金の不祥事も、「あ。国民にも裏金あげといて」とはいかないから、場当たり的に派閥を解散し、党内までガタガタである。
一度きりだから給付金でいいのに、「うおおお俺は減税メガネ!」とばかりに謎の定額減税で全国の担当者を大混乱させたが、人気は上がらなかった。国民もバカじゃないので、政府が気前よく奢っても「つけ」になるだけで、後から取り立てが始まることを、コロナで学習したからだ。

結果として「気前悪くてもいいから、最初から取らないでよ」な民意が高まり、課税のベースを狭めて「手取りを増やす」しか言わない野党が大人気になってしまった。ここまで節操なくカネを配りつつ、無自覚に “自民党をぶっ壊した” 首相も、史上初だろう。

たった20年でこの違い。
日テレの平成特集より
対して、『アラート』の主人公の女性政治家が、次のような設定なのは励まされた。少なくとも作者は、「カネで解決したふり」幻想の出発点がどこにあるかを、わかっている気がしますよね。

「ですが、財政再建を敢行しなければならない国会議員としては、これ以上未来の世代に、負の遺産を残したくない。それは、今日の素晴らしい体験をしても変わりません」
都倉は、政府のコロナ対策についても「やみくもにお金をばらまくのではなく、もっと効果的な対策を」という発言で、物議を醸したことがある。
『アラート』53頁
いろんなヤバい事情込みで、後に防衛大臣に就いた彼女は、防衛増税に国民の理解を得るべく、効率化できる部分の削減に取り組む。「陸上自衛隊が侵攻に対して出番になるような時は、既に勝負は決まっている時。ならば、これだけ大勢は、不要では?」として(203頁)、陸上自衛官の半減を提案するのも、そのひとつ。
これまたコロナの最中、昭和史上の挿話を引いて、ホンモノが語った論理と同じなのは嬉しい。
この文章のタイトルは桐生悠々が1933年夏に発表したことで知られる「関東防空大演習を嗤ふ」に借りた。……桐生は、「首都が空爆を受ける状況に陥った時点で敗戦は必至であり、軍はそうならないよう事前に全力を尽くすべきで、なった後の不安を煽っても意味がない」と主張した。
同じようにいま、水際での防疫に失敗し国内にウイルスが広がった後も、もはや不可能な感染経路の追跡に拘泥し、国民の恐怖心ばかりを助長する政府広報がなされるならば、嗤われて然るべきだろう。
拙稿(2021.3.3)
強調等は原文ママ、段落を改変
歴史を誤用せずに “正しく” 使えば、社会がパニックな中でもこれくらいすぐ言えちゃいます。そうしたホンモノの言論を伸ばし、ニセモノを削減する。それこそが予算の不要な、国防の強化でもあるのは、自明でしょう。

今回の書評の末尾は、こう結びました。中途でも、より作中世界と現実を結ぶひと工夫を凝らしているので、ご自宅で取っている新聞に載っているのを見たら、お楽しみいただけますよう。
世間の話題に予算さえつければ、あたかも問題に対応したかに見える錯覚を、新型コロナウイルス禍やウクライナ戦争が広めてきた。そんな「お金で解決」幻想の終着点を示して、作者は読み手を挑発している。
どの時代にも、カネで買えるのは先送りのみであり、解決ではない。
参考記事:1つめは、前回の書評について



(ヘッダーはダイヤモンドの記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






