落語の枕って、実は本編より面白くない?

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先日、久しぶりに寄席に行ったんです。池袋演芸場だったかな。で、そこで気づいたことがあって——落語家の枕、めちゃくちゃ進化してません?

教養としての落語」(立川談慶 著)大和書房

[本書の評価]★★★★+(85点)

【評価のレべリング】※ 標準点(合格点)を60点に設定。
★★★★★「レベル5!家宝として置いておきたい本」90点~100点
★★★★ 「レベル4!期待を大きく上回った本」80点~90点未満
★★★  「レベル3!期待を裏切らない本」70点~80点未満
★★   「レベル2!読んでも損は無い本」60点~70点未満
★    「レベル1!評価が難しい本」50点~60点未満

いや、昔から枕は大事だって言われてましたよ。本題に入る前の軽い雑談みたいなやつ。でも最近の若手、特にSNS世代の落語家たちの枕が、もう別次元なんです。

例えば、その日見た二つ目の落語家(名前忘れちゃいましたが)。まず「今日電車で来たんですけど」から始まって、スマホの充電が切れた話、そこからバッテリー切れでGoogleマップが使えなくなった話、で、道に迷って通りすがりのおじいさんに道を聞いた——という一連の流れを5分くらいで。

普通なら「それで?」って話じゃないですか。でも、この人の話し方がうまくて、気がついたら客席がその世界に引き込まれてる。で、最後に「昔の人の方向感覚ってすごいですよね」でスムーズに古典落語の世界へ。

これ、計算なのか天然なのか分からないんですが、とにかく見事でした。

昔の名人たちの枕も確かにすごかった。でも、あれってどちらかというと「芸」として完成されすぎてた気がするんです。枕だけで一つの作品みたいな。それはそれで素晴らしいんですが、なんというか、完璧すぎて近寄りがたい。

ところが最近の若手の枕って、もっとライブ感がある。その日その場の空気を読んで、リアルタイムで作り上げてる感じ。失敗することもあるし、滑ることもある。でも、その生々しさがいいんですよね。

特に印象的だったのが、コロナ禍明けの頃。マスクの話から始まって、リモート会議の愚痴、そこから江戸時代の疫病の話につなげて古典に入る——みたいな枕をよく聞きました。時事ネタと古典の橋渡しが、昔よりもずっと自然になってる。

ただ、これって諸刃の剣でもあって。時事ネタを使いすぎると、数年後に聞き返したときに古くなっちゃうんですよね。「あー、あの頃はこんな話題あったなあ」みたいな。

でも考えてみれば、落語ってもともとそういうものだったのかも。江戸時代の落語だって、当時の流行や社会情勢をネタにしてたわけで。それが時代を経て「古典」になった。今の若手がやってることも、50年後には「平成・令和の古典落語」になってるかもしれません。

あ、そうそう。枕について一つ面白い発見が。最近の落語家、明らかにYouTuberの影響受けてます。導入の仕方とか、視聴者(観客)との距離感の取り方とか。「今日のテーマは」みたいな入り方する人もいるし。

これって邪道なのかなあと最初は思ったんですが、よく考えたら落語って昔からそうだったんですよね。その時代の最新メディアの影響を受けて進化してきた。ラジオが普及したときも、テレビが普及したときも、落語家たちはそれを取り入れてきた。

だから今、YouTubeやTikTokの要素が入ってくるのも自然な流れなのかも。

ただ、一つ心配なのは、枕が長くなりすぎてる落語家もいること。ネタが面白いからって調子に乗って、枕だけで20分とか。いや、枕も芸のうちだから文句は言えないんですが、古典落語を聞きに来た身としては「早く本題に入ってくれ」って思うこともあります(笑)。

結局のところ、枕って落語家の人となりが一番出る部分なんじゃないでしょうか。技術も大事だけど、その人の人生観とか世界の見方とか、そういうものが滲み出る。だから面白い落語家の枕は、何度聞いても飽きない。

これも私の個人的な感想なので、落語通の人からは「何も分かってない」って言われるかもしれませんが。でも、素人目線で見ても、枕の進化は確実に感じられます。

これからの落語がどう変わっていくのか、楽しみです。とりあえず、また寄席に通おうかな。

尾藤 克之(コラムニスト、著述家)

22冊目の本を出版しました。

読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)