トヨタが自社所有地に開発していた未来都市の実証実験であるウーブンシティの第1期が完成しました。全体開発の1/6程度に当たる47000平米の敷地にトヨタに関連する人たちが移り住み、実証実験を繰り返すことになります。

ウーブンシティ トヨタHPより
さて、この未来都市の実験、いくらかかっているのか公表してないので全くわかりませんが、その大半を請け負った日建設計と大林組に発注したのでしょう。昨今の工事費は暴騰していますが、先々次の発注を控えていることと日建設計や大林組にとって設計施工を通じて未来都市のノウハウの取得ができるため、案外、安値で受けている気がします。
では報道を受けてお前はどう感じたのか、と言われると「うーん」であります。もちろん、中を見たわけではないし、まだ生活できる都市として稼働されたわけではないので評価ができないということもあるのですが、私に「お前、そこに住んでみるか?」と言われたらひと月程度ならよいが、それ以上は厳しいと感じる気がします。
何故でしょうか?
今回豊田章男氏の長男、大輔氏がイニシアティブをとったこのプロジェクトは自動運転、自動配達といったモビリティ中心の実証実験であります。つまり私がやって来たような普通の不動産デベロッパーが作り出す都市空間とは趣を異にします。そこにフォーカスされたものは「いかに楽をするか」という究極の目標を達成するために人やモノの移動を意味するモビリティの深堀りに注力したといえます。
モノのモビリティで革命的変化を起こしたのはアマゾンで疑いはないと思います。24時間、自分の好きな時にECサイトでショッピングし、ぽちっと押せば1-2日後には配達されるという便利さに人々は酔い、無限のビジネスの広がりを見せました。次いでコロナの時に急速に普及したレストランメニューのデリバリーは人がわざわざ混んでいる店に出向かなくても玄関先まで配達員が持ってきてくれるという発想を水平展開させました。もともとはピザのデリバリー、日本では出前という発想が前提にあったものをマネタイズしたものです。
今回、自動車会社であるトヨタが挑んだ最大の目的の一つは自動車の自動運転であろうと察します。それも自動車は所有するものからシェアするものへとコンセプトを変化させています。スマホで呼べば玄関口に迎えの車が来ており、スマホで指示した目的地に連れて行ってくれます。これは電車バスなどの共有する乗り物からタクシーやウーバーのような顧客と自動車が一対一のサービス関係を現代的に発展させたものと捉えればウーブンシティが作り込んだものに斬新なアイディアが詰め込まれたわけではなく、既存の発想やサービスを一歩踏み込んでみた、というレベルではないかと見ています。
ではここに私が住みたくないのは何故か、といえば住民の扱いを非人格化させているイメージがあるのです。非人格化、つまり人々の個性を全部封印し、テクノロジーという枠組みにはめ込むことで楽な生活を強制しているように見えるのです。
以前、お話ししたことがありますが、私がバンクーバーの大規模住宅開発をするにあたり、元上司がはなむけに言ってくれた言葉があります。「開発が成功した時のイメージは、朝日が降り注ぐ中でお父さんと子供たちが『行ってきます!』と元気よく出かけていく姿が1つ。もう1つは開発が失敗した時のイメージで、誰も住まないその街の中で初冬の空っ風に枯葉が舞い、日が暮れていくその両方の絵図を頭に描け」と言われたことは一生忘れないでしょう。極めて抽象的ながらも誰でも理解できるそのシーンが意味することはその主役は決して建物ではなく、居住する人間なのです。
今回、ウーブンシティには約20社が関与していますがいわゆるソフト系は日清食品(栄養食)、増進会(保育)、共立製薬(ペット)などに留まります。
日本とカナダの住宅事情を比べて思うのは日本のマンションは閉鎖的な傾向が強く、居住空間をシェアしているという発想はカナダに比べて劣ると思います。その違いは同一空間で居住する人たち同士の信頼感が薄く、より自己中心的になっている点です。特に東京のように寄せ集めの大都市においてその傾向は非常に強いと思います。精神を病んでいる人が急増している現代社会の根本原因のひとつは悩みを相談できる人がいないという背景があります。つまり東京の生活はまさに前川清の「東京砂漠」の歌詞通りだとも言えるのです。
都市空間の設計において最も重視されるべきは人流であります。それは様々な人が都市空間で各々の人生模様を築くなかで自分の立ち位置を見出し、自分の所属する共同体を作り出すという人類1万年の歴史そのものの具現化であります。自分の所属する共同体は似たような価値観や金銭的地位をベースに一定集団を作ります。ここに人々は相対的な立ち位置と心地よさを実感するのです。抽象的言いまわしでわかりにくいかもしれませんが、端的に言えば世の中、無数の個性をグルーピング化させることで人間社会が成立しているとも言えます。
ところがウーブンシティにみられるモビリティ社会はあくまでもソフトとハードを中心とした人間生活の上辺においていかに楽にするか、という発想であります。もちろん、楽な生活に慣れた今、我々が昔のような不自由さに戻ることは不可能でしょう。ただ、大事なのは人間は1万年という時間を経て極めてゆっくりとしか変化しないのです。その変化は時として世代を3つくらい経ないと物事のスタンダードすら変わらないほど緩やかなものなのです。
現代社会においてたぶん大半の人にとりウィンドウズ95が出た90年代半ばからこのわずか30年の間の急激な変化に喜びもありますが、人間の本質に与えた目に見えない影響も大きなものがあったはずです。
とすれば未来都市に求められるものは便利さばかりではなく、人間が人間らしさを取り戻す逆流もありではないでしょうか?時代の流れに対する変化球も必要だと感じます。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年9月26日の記事より転載させていただきました。






