こんにちは!自由主義研究所の藤丸です。
今回は「政府は私たちの通貨に何をしたのか?」シリーズの第2回です。
前回は「なぜ通貨について学ぶのか?」という、このシリーズの説明でした。今回から、いよいよ本格的な内容に入ります。
実は一番難しいかもしれない「通貨」について、まずは歴史から解説していきます。
(前回:政府は私たちの通貨に何をしたのか?第1回「なぜ通貨について学ぶのか?」)
第2回:通貨の起源
まず、そもそもの話から始めましょう。
「通貨(お金)の起源」は何でしょうか?
通貨が存在する前の世界では、「物々交換」が行われていました。
これは、人々がお互いにが商品やサービスを直接交換することです。
この経済行動こそが文明の基盤です。
もし誰も交換ができず、完全に自給自足しなければならなかったら、ほとんどの人が飢え死にしてしまうでしょう。
また残った人も、なんとか生き延びることしかできないでしょう。
「交換」は、経済だけでなく、「人間の存在そのもの」の生命線なのです。
物々交換には、2つの基本的な問題があります。
それは「分割不可能性」と「欲求の不一致」です。
たとえば、ある農家が靴を欲しがっているが、靴屋は卵を欲しがっていないという状況を想像してみてください。
靴屋は牛肉を欲しがっているかもしれませんが、農家は靴のために牛を屠殺するつもりはありません。
両者が満足する取引は、この状況では困難です。
単純な直接交換では、高度な経済は不可能なのです。
しかし、人類は適応しました。どのようにでしょうか?
答えは、「間接交換」です。
農家の例を続けて考えてみましょう。
農家は靴屋が本当に欲しいもが「バター」だと知り、自分の卵を酪農家のバターと交換します。
農家はまず、自分の卵を酪農家のバターと交換します。
その後、農家はバターと、靴屋の靴を交換します。
バターを欲しがる人が他にもたくさんいれば、農家はバターをさらに得ようとするかもしれません。
それは、バターを自分で消費するためではなく、バターを使って他の商品やサービスと交換するためです。
農家はバターを使って、靴屋の靴と交換します。
歴史的に、多くの品物がこの「交換の媒体」としての役割を果たしてきました。
植民地時代のバージニアではタバコ、西インド諸島では砂糖、古代エジプトでは銅などがその例です。
そして歴史を通じて、「金と銀」は自由市場で広く受け入れられる交換手段としてなりました。
これらの金属が、硬貨のように耐久性があり輸送しやすい単位に変換できただけでなく、その美しさと実用性から、古くから人々に求められてきたためです。
人々は「金貨」と「自分の欲しい商品」を交換します。
このプロセス、つまり自由市場における「交換手段」の累積的な発展こそが、物々交換から貨幣が確立される唯一の道なのです。
この市場プロセスにより、「交換手段」と「他の商品やサービス」との間に価格が生まれます。
このプロセスがなければ、通貨の適切な価値を測定することは不可能です。
政府は通貨の価値を操作することはできますが、無から通貨を創造することはできません。
通貨は、抽象的な会計単位として始まったわけではありません。
交換にしか使えない無用のトークンでもありません。
社会に対する「請求権」でもありません。
通貨は、単なる「商品」だったのです。
他の商品と同様に、通貨の「価格」、つまり他の商品との交換価値は、現在も供給と需要によって決定されています。
たとえば、将来への不安から貯蓄を増やす場合など、通貨の需要が高まると、通貨の価格は上昇し、その結果、商品やサービスの価格が下落します。
たとえば、明日には貨幣の価値が下がるかもしれないという懸念のため、通貨の需要が低下すると、消費者は積極的に支出しようとし、その結果、商品の価格は上昇します。
競合する通貨が存在する場合、異なる通貨間の価格も変動する可能性があります。
過去には、消費者の需要によって、銀と金の価値が変化しました。
現在では、たとえばドルとユーロの交換比率は変わる可能性があります。
これらの為替レートは市場で自由に変動するのです。
では、なぜ私たちは「金や銀」から現在の「ドルやユーロなど」へと移行したのでしょうか?
それを理解するためには、まず通貨の存在の結果として生まれたサービス、つまり「銀行」について理解する必要があります。
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最後まで読んでくださりありがとうございました!
次回は「銀行」について解説します。