下野危機まで囁かれた高市早苗総裁の自民党が10/15、こともあろうに「N国」と統一会派を組み、波紋を呼んでいる。N国は政党要件を満たさない政治団体なので、表現は微妙だが、実質的には閣外協力となろう。
なんとも情けない “連立もどき” だが、数合わせだけを考えれば合理的な行動である。公明党の与党離脱後、連立の組み換えをめぐり台風の目だった国民民主党の榛葉幹事長は、前日にこう語った。
「皆さんは衆議院の数ばかり見ているが、参議院は自民党=101議席〔ママ〕、野党第1党は50議席もない。……では共産党やれいわ新選組が入ってくるのか? 安定した政権になるか? その神輿に玉木乗れっていうの?」
2025.10.14(強調を付与)
そうなのだ。以下は参議院の公式サイトから採ったが、過半数が125なのに対し、自民党(とN国)だけで101。もし “非自民” の枠組みで過半数を狙うとなると、参院では、ほぼ全野党連立でないと不可能になってしまう。
逆にいうと、自民党とN国(しつこい)にとっては、公明に代えて維新と連立した場合、参院の過半数までは残り5議席。各派に属しない議員のうち野党色の薄い人と、日本保守党の有名なお二人を足せば、ギリ届く。
もし実現すれば、待望の “ネ申連立” だと狂喜する人も一定数いるだろうが、みんながそうではないだろう。次の選挙を、その面子の「ウヨウヨ」路線で勝ち抜けるかも、微妙すぎる。
参院で自民党が「過半数ちょい下」の規模をキープするかぎり、連立の自由度はあまり上がらない。自民党が左右で半々に割れてくれれば、組み合わせは増えるし、そうなりかけた時代もあったが、いまは難しそうだ。
もし、単なる数合わせでない新連立があり得るなら、衆参にわたる “選挙制度の大改訂” をめざす場合のみではないか。改革の実現後は速やかに、衆院を解散し(新制度で)リセットする、ミッション型の時限政権として。
1994年に非自民連立政権の下で、衆議院に導入された小選挙区比例代表並立制は、日本の二大政党化をめざしたものだった。だが30年が経ったいまは、むしろ「多党化」が進んでおり、主要政党が二つに収斂する芽はない。
今回の「自公決裂」を、こうしたミスマッチを修正する好機にしてはどうか。現行の制度のままでは、次回から小選挙区で創価学会の票を失い、戦略の抜本見直しが必須の自民党にとっても、悪い話ではないと思う。
以下は自民党に厳しめの試算だが、記事を読むとこれでも「公明票は……他の政党にも流れないことを前提」とした数字だ。ふつうに考えて、実際には野党候補に流れるだろうから、どこまでいくか想像もつかない。
結果、自民党が〔2024年に〕小選挙区で勝った132選挙区のうち、最大50選挙区で敗北する可能性があることがわかった。これは自民党の小選挙区当選者の約4割にあたる数字で、比例代表での獲得議席などを考慮すると総獲得議席はさらに減ることが予想される。
日本テレビ、2025.10.14
そして、ここからが本当に書きたいことなのだが、実は平成に多党制を捨てて二大政党化をめざしたのは、連立にともなうハプニングだった。歴史の必然とか、そういうものじゃなかったのだ。
平成のことならなんでも書いてる本に、いわく――
細川・香山・佐藤らが55年体制への代替案としたのは「穏健な多党制」でした。
つまり細川政権下で、むしろ党執行部が公認権を握る「集権的な二大政党制」と相性のよい小選挙区制(=当選者が1名のみの、直接対決)が導入されたとき、実は180度逆の方向へのビジョンのすり替えが起きていたのです。
(中 略)
宮澤喜一政権下で政治改革が議論された第126回国会では、単純小選挙区制をもちだした自民党に対し、社会党・公明党が〔小選挙区と比例代表の〕併用制を共同提案して対抗しています。宮澤内閣不信任案が(小沢氏らの造反により)可決した後の93年総選挙でも、小選挙区と比例代表の並立制を公約として明記する政党は限られていました。
81・83-4頁(段落を改変)
1993年に最初の非自民連立を率いた、日本新党の細川護熙氏の持論は、中選挙区制の連記化(複数の候補に投票できる)による多党化の促進。解散前に有力野党が掲げていたのも、比例代表をベースに連立を組み換えながら運用する、ドイツ型の併用制だった。
それを覆したのは誰か。首班を細川氏に譲って “非自民” をまとめ、剛腕と呼ばれた小沢一郎氏である。当時ベストセラーとなった彼の『日本改造計画』には、ずばりこうある。
急激な変化を避け、小選挙区制の欠点を補う意味で、比例代表制的な要素を加味した小選挙区比例代表並立制の採用を考慮してもいいだろう。
(中 略)
しかし、比例代表制に小選挙区制を「併用」するという案には必ずしも賛成できない。何よりも、その案の基本は比例代表制であり、現行の比例代表制的な中選挙区制の原理をそのまま引きずっているからだ。
70-1頁
この小沢ビジョンが、細川擁立を決めた彼の剛腕が連立を主導する中で、政権の方針となり実現していった。にもかかわらず、ふたたび多党制に戻ってしまったいま、”ボタンの掛け違い” を直してみるのもいいと思う。
先の自民党総裁選で3位だった林芳正氏も、かねてから選挙制度の見直し論者として知られる。高市氏が彼を他党との調整役に「要職起用」すれば、連立するかとは別に、共産やれいわまでの全党が窓口に並ぶのは確実だ。
ころころ変わる報道では、昨日からは副首都なるものを “大義” とした「自維連立」が本命のようだが、大阪府民以外には意味がわからない。地元で維新と争ってきた自民党大阪府連には、もっとイミフで泣きたいだろう。
なにより結果として(国政上の)維新が自民党に吸収され、消滅するリスクは代表者が認めている。せっかくの多党化の政局を、歴史に残る転機に活かすには、組み合わせを問わず “選挙改革連立” の他はないように思う。
参考記事:
(ヘッダーは、10/15のABEMA Newsより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。