黒坂岳央です。
近年、ネット上では「自分の弱さを積極的に見せることは良いことだ」といった論調が強まっていると感じる。
実際、初対面での挨拶もそこそこにいきなり「私はこんな辛い過去があって…」と自己開示を全開で話す人もいる。
弱さの自己開示自体は悪いことではないし、こちらを信用して胸襟を開けてくれる姿勢にはリスペクトは必要だろう。そして自分自身、家族には弱さを話すこともあるので自分のことを棚に上げるつもりはない。
だが一方で見せ方にも「マナー」が必要で、その視点がないとかえって相手との距離を遠ざけてしまうこともある。
本稿では弱さを見せて、愛される人、嫌われる人の違いを独自の視点で展開したい。

Satoshi-K/iStock
弱さを武器化する人は避けられる
まず、弱さを見せて避けられるパターンを考察したい。結論から言うと、自分の弱さを武器化し、相手を動かしたいという自分の利益だけを考える姿勢が見える時だ。
具体例を言おう。昔、筆者が会社の部署のみんなで飲み会に行った時、お会計の段になって「私はみなさんと違って正社員ではないので」という趣旨の話を振って来た人がいた。
これはつまり、非正規雇用という立場の弱い自分のために、みんなからカンパを募りたいといっているわけだ。その場は空気を読んで、みんなでその人物の分も割り勘で払ったが、これはあまり印象がいいとは言えない。
この件に限らず、その人物は事あるごとに「正社員になりたかったが時代に恵まれなかった」という話を繰り返し、相手からの援助を期待する姿勢を見せていたので周囲から避けられていた。
また別の例を挙げよう。プロジェクトの山場や重要な役割分担の際、常に「実は昔から持病があって、無理な長時間労働は絶対にできないことになっていて…」といった自身の身体的な弱さや制約を事前に、必要以上に詳細に開示する人が一定数いた。
もちろん、健康上の制約は最大限配慮されるべきだ。しかし、この開示が「自分の業務負担を減らすため」の武器として機能し始めると、周囲に違和感が生まれる。チームの他のメンバーが泊まり込みで頑張っている中、その人物だけ定時で帰り休憩室で元気よく話していると、やはりモヤモヤした印象を与えてしまうだろう。
他の人もわざわざ言わないだけで、当然に様々な事情を抱えているものだ。たとえば子供が生まれたばかりの人もいるだろうし、多少の無理をおして頑張っている人たちである。それでも成人した大人かつ責任を持った社会人で、どうしても避けられない鉄火場の状況を前に突破するまで頑張っているのだ。
自分の弱さを武器化し、有無を言わせず周囲に救済させようとする人は避けられる傾向にあるだろう。
愛される弱さの開示
一方で愛される人の弱さの開示は何が違うのだろうか?
条件の1つに「教訓」を価値提供出来る人だろう。すでに受容した弱さと、自分の欠点や失敗経験などを認め、そこからどう学び、どう克服したか?を淡々と話せる人である。加えて「自分はかわいそうな人なので、新たな共感や救済を与えよ」と聞いている側に負担をかけない配慮がなされている。
聞いている側はすでに自己救済したことで、新たな救助リソースを割かずに済むし、自助努力で困難を突破した事実に尊敬の念を送るだろう。
このような開示は、「私は完璧ではない自分を認識し、克服する努力を獲得した」という自己認識力の高さと精神的な自立を示し、そこが相手のリスペクトを勝ち取る。
筆者が会社で働いている時、尊敬している先輩ビジネスマンが「俺、自分の仕事は自信があるけど、黒坂君がやってくれているこの仕事は全然できなくて、こういう失敗を良くしてきたんだよね。だから君にはいつも感謝しているよ、ありがとう」という話をされ、大変いい気分になったことを覚えている。
彼は非常にプライドが高く、仕事に厳しくていつも怖い印象だったのだが、意外なタイミングでの弱さの自己開示と、相手を立てて感謝を示す器に精神的成熟さを感じたのだ。それ以来、彼のこの言動の学べる点は積極的に学び取ろうと感じたものである。
弱さの自己開示マナー
ネット上では「あなたはそのままでいい」「弱い自分を認めよう」といった意見をよく見る。これ自体は間違いとは思わない。
しかし、問題は「弱さの自己開示」そのものではなく、「見せ方」というマナーにある。あまり信頼関係が出来ていない「ほぼ初対面」の相手に、いきなり辛い過去をぶつけるのは避けるべきだ。
聞かされる側の立場からすると、話が重すぎてコメントがしづらく、話題が話題だけに軽々しく別の話もできない。会うたびに弱さの自己開示をされると、次第に相手からその話を聞かされるのが苦痛に感じてしまうだろう。
そのため、1つ目のマナーとしては「信頼関係が構築するまでその話題は避けるべき」があるだろう。お互いに仲の良い関係になった後にいえば、「自分を信じて言ってくれてありがとう」といえるだろう。
そして2つ目はあまり空気を重くしすぎないことだ。友達関係などであれば、苦しい話ばかり聞かされると聞く相手も気分が落ち込んでしまう。筆者の場合、必要性に応じて失敗談を話すことがあるが、その際はなるべく重くならないよう、自虐的に明るく笑えるテイストで言うようにしている。
たとえば「就職氷河期ってマジでヤバかったよね。”正社員は都市伝説”って感じで、履歴書出しすぎて100円安い証明写真機を使うために、自転車で隣町まで爆走してたわ」みたいにあくまで軽いテイストにする。
この場合、苦しい、しんどい心情を全面に出さず、あくまで「こういう状況だった」という事実ベースで話す。そうすれば聞いている側は話し手のネガティブな感情を受け取らずに済み、なおかつ置かれた立場の状況を想像して「自分ならどうしたか?」といった教訓として受け取ってもらえる。
◇
「弱い自分を認めましょう」みたいな論調自体は正しいのだが、それを他人に無編集でぶつけると相手から避けらてしまい、「やっぱり話すんじゃなかった」と話し手も後悔することになる。
どんな話題でも聞く相手の心理を想像しながら、相手に気分を悪くさせないための配慮は必要だ。家族や大親友なら別だろうが、昨今はSNSを使う人が増えすぎて初対面の相手に全開で出す人もいるのだが、それは得策ではないだろう。
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