ローマ・カトリック教会の総本山バチカン教皇庁の教理省長官ビクター・フェルナンデス枢機卿は4日、「マテル・ポプリ・フィデリス(信徒の母)」という「特定のマリア称号に関する教理覚書」を公表し、キリスト教信仰の教理と一致しないマリア崇拝に警告を発した。具体的には、マリアの「共同贖罪者」(ラテン語:Co-Redemptrix)や「恵みの仲介者」といった称号を今後使用しないように申し出ているのだ。その理由として、「キリスト教のメッセージの調和のとれた全体性を正しく考察することを妨げるからだ」と説明している。

バチカン庭園にある幼子イエスを抱えるマリア像、2025年11月04日、バチカンニュースから
カトリック教会でのマリア崇拝の歴史は長い。マリアの神学的な意義などを学ぶ「マリア神学」があるほどだ。マリアの崇拝は20世紀半ばに始まり、ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1978~2005年)の在位期間以降、大きく広がっていった。ヨハネ・パウロ2世は生前、「マリアは共同救世主である」と何度も語ったことがある。マリアを‘第2キリスト‘と呼んでいたわけだ。ただ、同2世は「共同贖罪者」、「第2のキリスト」といった称号が何を意味するのかについては正確に定義していない。
「共同贖罪者マリア」という称号については、カトリック教会内でも議論があり、正式には教義化されていない。「この称号は、キリストによる唯一の救いの仲介を曖昧にする危険性をはらみ、キリスト教の真理の調和に混乱と不均衡をもたらす可能性がある。なぜなら、救いは他の誰にも(キリスト以外には)見出されないからだ」という。同内容はバチカンの教理に関する最高権威機関(教理省)が作成し、新教皇レオ14世が承認した「特定のマリア称号に関する教理覚書」の中で述べられている。
教会はマリアの重要性を強調するが、「共同贖者」という表現は誤解を招く可能性がある。なぜならば、聖書では、「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」(「テモテへの第1の手紙」第2章5節)と記されているからだ。マリアを救い主イエスと同列視する教義は明らかに聖書の内容と一致しない。ヨハネ・パウロ2世の下で教理省長官を務めたヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)は2002年、「『共同贖罪者』という表現は聖書の言葉から逸脱し、誤解を招く」と述べている。
フェルナンデス教理省長官は今回、「贖罪の業においてマリアがキリストに従属する役割を示す必要があることを考えると、マリアの贖罪への関与を定義する際に『共同贖罪者』という称号を用いることは不適切だ。この称号はキリストによる救いの唯一の仲介を不明瞭にする」と説明し、「共同贖罪者」という称号はリスクを伴い、混乱を招く可能性があると述べている。
同覚書はまた、マリアの称号である「すべての恵みの仲介者」についてもかなり批判的な見解を示している。ラッツィンガー枢機卿は教理省長官時代、「この称号は黙示録に明確に根拠づけられておらず、神学的考察と霊性の両方において困難を生じさせる。私たちの救いは、他の誰の力でもなく、キリストの救いの恵みのみによるものだ」と述べている。
ちなみに、ローマ・カトリック教会にはマリアに関連した大きな祝日が2回ある。8月15日の「聖母マリアの被昇天」と、12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」の日だ。前者はローマ教皇ピウス12世(在位1939~58年)が1950年、世界に宣布した内容だ。キリスト教会の中で東方正教会はマリアの肉身昇天ではなく、霊の昇天と受け取り、マリアの昇天を教義とは受け取っていない。
「聖母マリアの無原罪の御宿り」は10世紀ごろから伝えられていた。1708年にクレメンス11世(在位1700~21年)が世界の教会で認定し、1854年、ピウス9世(在位1846~78年)によって正式に信仰箇条として宣言された。「マリアは生まれた時から神の恵みで原罪から解放されていた」という教えだ。その結果、マリアは罪なき神の子イエスと同じ立場となり、「第2のキリスト」という信仰告白が生まれてくる一方、キリストの救済使命の価値を薄める危険性が指摘されてきた。中世のトマス・アクィナスらスコラ学者はマリアの無原罪説を否定した。聖書の中にはマリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。プロテスタント教会や正教会ではマリアを「神の子イエスの母親」として尊敬するが、「無原罪の懐胎説」を信じていない。
それでは、なぜカトリック教会は聖書に記述されてもいないマリアの神聖化に乗り出したのだろうか。キリスト教社会で長い間、神は父性であり、義と裁きの神であったが、慰めと癒しを求める信者たちは、母性の神を模索し出した。その願いを成就するために、マリアが母性の神を代行するとしてその神聖化が進められていった経緯がある。
ただし、マリアが第2のキリストに引き上げられれば、イエスの十字架救済の価値を薄めるだけではなく、キリスト・イエスの降臨の意味すら曖昧にしてしまう。12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」は非常に危険な神学的な矛盾を内包しているといえるわけだ。
マリアはイエスの母だ。431年、エフェソス公会議において、マリアは「神の母」の称号を授けられた。マリア信仰はカトリック教会と東方正教会の特徴だが、ルター派教会ではマリア信仰はない。改革者マルティン・ルター(1483-1546)は、その著作の中で、「救いはイエス・キリストを通してのみもたらされ、マリアは救いの仲介者とみなされるべきではない」と強調している。バチカンの今回の教理覚書はこの見解に賛同しているわけだ。
いずれにしても、バチカン教理省が今回発表したマリアの称号についての教理覚書は、ポーランドなどマリア崇拝が強いカトリック教国で混乱と戸惑いをもたらすかもしれない。同時に、世界のフェミニストたちから抗議の声が出るかもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






