
前回の記事で、自民党総裁選が高市さんに決まった瞬間、普段かなりリベラル寄りの私の妻が心底喜んでたみたいな点から、「右とか左とかいった党派的」な見方以上に支持が広がる可能性はあるなと感じたという話をしましたが・・・↓

案の上、かなり支持率が高い状態で高市政権はスタートした感じになってますよね。
今回は今後の日本政治がどうなっていきそうか?その中で「高市政権があまりに最右翼層と仲良すぎる様子」に警戒感を持っている層はどういう動きをしていけばいいのか?について書きます。
1. 「大成功か大失敗かの二択」になる高市政権
今後の日本政治について、半月ぐらい前にクローズドな場で書いた記事で私は、
高市さんという政治家はナアナアに密室でムニャムニャと公明党と交渉して政権を安定させる、みたいなことは全く得意なタイプではないため、今後の日本政治は「究極の二択」のどちらかに吸い込まれていくだろう
…という話をしていました。
つまり高市さんは「65点ぐらい取りながらナアナアに政権を維持する」みたいな事ができるタイプでは決してなく、「80点以上を取り続けて安定政権を実現」するか、それともある時から一気に支持率が離れて空中分解するか、
どちらか両極端で、中途半端な間のない二択
…になるだろうということです。
そしてもしこの「ミラクルサナエ」ムーブメントが頓挫したら、その先では日本は「多党並立」的な中道派による連携による政治が実現する可能性が高い。
大事なのは、そこで「中道派の連携政治」ができる準備を今からちゃんとやっていくことであって、高市さんが気に入らないからといって、例えば高市さんの容姿を揶揄するようなポストを皆でリポストするとか、そんなのは最悪も最悪な行為なんだってことですよね。
2. 日米首脳会談はまあ現時点ではあれで成功でいい。不満ならもっと長期戦略を真剣に考えよう。
で!
そういう意味では、今回の日米首脳会談とかについて、大部分の左派メディアとかもまあまあ高評価してる感じの流れは良いことだと思います。
良いものは良いと認めないとダメ。
「属国のような振る舞い」っていう批判はお気持ちはわからんでもないけど、だってまあ現状はぶっちゃけ属国みたいなものだからね(笑)!
そこで「属国性を脱却する長期戦略を練って着実に実行していきます」ならよくわかる。すげーよくわかる。俺もめっちゃ賛成ですよ。
でも一方で、実質的に国際パワーバランス上、どんどん孤立主義化する国内政情を抱える米国に対してアジア地域の平和安定に興味を持ち続けてもらわなきゃマジで困る状況の中で、ちょっと米国の態度が上から目線で失礼だからといって
我が代表堂々退場す
…みたいなことをやりゃあ良かったんですか?っていうのは真剣に問いたいんですよ。
それで何かポジティブな意味が生まれるのか?ただ自分がムカつくってだけの事じゃないんですか?まさに”匹夫の勇”でしかない。
石破だって首脳会談では「トランプの国を愛する精神には感服を受けて云々」とか言って一応おべんちゃら敬意を表するようなことは言っていたわけで、高市さんがやっていることが「過剰に接待的」だと見るのは少し性差別的なバイアスすらあるんじゃないかと思います。
x(Twitter)では高市さんの振る舞いは「すごいやり手の保険のおばちゃん」的って話があったけど(笑)、保険のおばちゃんの生き方だってこの現実世界における尊い一つの生き抜き方なんで、あまり否定的に見るのは良くない。
「肩を抱く仕草」が属国感あるとかいう批判もあったけれども、例えばオバマとメルケルとか、バイデンとメローニとかでもこういう距離感の仕草はあるわけで、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな発言をするのは良くないと思います(そのあたり検証してくれてた良いポスト↓があったので、高市批判が単なる右派憎しのバイアスではないか、というのは自己検証してみるといいと思います)。
日本人から見たら確かに違和感のある距離感かもしれないが、この言い方はないよな
参考までに、ドイツのメルケル首相、イタリアのメローニ首相、ウクライナのゼレンスキー大統領と、当時のアメリカ大統領との距離感がわかる写真を挙げる。
彼らに対しても同じセリフを言うのだろうか? https://t.co/Mm32UqBLd4 pic.twitter.com/sqMCH4vPm4
— エスケー/斉藤佳苗 (@KatzePotatoes) October 29, 2025
そういうところで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいなことをやり続けていると、余計に「その勢力に政治権力を握らせてもいい」という信頼感を毀損していくんですよね。
3. 「次は左派・中道に任せよう」という根底的信頼感をいかに醸成できるか?
僕は経営コンサル業のかたわらいろんな個人と文通するという仕事もしていて、そのクライアントには老若男女いろんな人が、政治的に左の人も右の人もいるんですが(ご興味あればこちらから)、その中で「かなり左派」の人でも、国際的状況が厳しい時代には自民党に入れざるを得なくなるメカニズムはあるっていう風に言ってる人は結構いて意外に思ったりしたんですけど、「そういうとこ」なんですよ。
「高市総裁」から「高市総理」になるまでの間にはリベラル寄りの勢力の大同団結政治でひっくり返る可能性だって1%ぐらいはあったわけですけど、「そういうところ」が国民から信頼されてないから結局実現しないんですよね。
玉木さんが色々と要求を突きつけて、立憲民主党は「原発再稼働や安保法制を認める」ことを一応容認したとかなんとか言ってたけど、それが「自分たちのお気持ちの問題」だと思ってる時点で、危なっかしくて国政を任せることは絶対できないんですよ。
「そこが揺るがせにされずにちゃんと現実に合わせてくれる信頼」が日本国の政治を司るならば最低限の現実的要請であって、
「はいはいわかりましたよ。一応認めるってことにしておきますよー」
…的な曖昧な程度で済むと思ってる時点でありえない。
脱原発をしたいなら、「東電と自民党の陰謀」だと言ってないで、賛成派の学者も反対派の学者も同じテーブルについて安定的な電力確保のためのプラン作成にちゃんと参加する粘り強い意志を示していくことが必要で。
「チャンピオンデータ」的なものを発表する特殊な団体のプランにすがりついて、「本当は原発なんていらないのに自民党と東電がー」ていう陰謀論を内輪で弄んでるだけじゃダメ。
安保法制も、結局人類の歴史の中で、ある覇権国に次の昇り龍的な国が勢力拮抗する状態になったら戦争になるのは「ほぼ避けられないほどのルール」として生起してきた中で、安倍政権時代からなんとか勢力拮抗を実現しようとして一貫して米国だけでなくオーストラリアやインドまで巻き込んだ同盟関係の構築を実現してきたプロセス自体に対する「理解と敬意」が必要なんですよ。
結果としてウクライナでは戦争になったけど米中対立が実際の「火を吹く」ことはまだ回避できてるわけですよね。
それは無料で勝手に手に入ったものではなくて、粘り強い政治力で、プーチンが「キエフなど3日で落とせる」と誤解してしまったような危ない状況にならないことを必死に担保してきたから実現しているわけで、日本国のリーダーになるというのは、その「天秤の両側に1グラムの重りを足しあってどちらかに倒れないようにするようなバランスを取る努力」を丁寧に保全し続けることを担うことなのだ、っていうことが最低限必要な理解なんですよね。
そういう「リアルな国際政治上の必死の努力」よりも、「トランプみたいなオジサンに媚を売る態度が嫌」みたいなレベルの話を優先できると思っている時点で相当にヤバい。そういう独自の理想論を述べる政治勢力がいてもいいけど、「政権交代可能な野党」がそれでいいはずがない。
4. 20世紀型の左翼性を脱却できるか?が問われている。
最近、ある左派な友人が教えてくれた保守派思想家の西部邁の本の一説がなかなかいいなと思ったんですが・・・

総じていえば、60年安保闘争は安保反対の闘争などではなかった。闘争参加者のほとんどが、指導者層の少なからぬ部分をふくめて、新条約が国際政治および国際軍事に具体的にもたらすものについて無知であり、さらには無関心であった。
(中略)
安保闘争の規模を大きくしたのは、まず、「平和」という言葉がひとつのマジック・ワードつまり魔語であったという事情である。その言葉が発せられるや、戦争とか軍事について具体的かつ現実的に語るということはただちに禁忌になった。戦争や軍事にかんする言葉は、「平和の敵」を抽象的かつ理念的に攻撃するという文脈においてのみ、使用可能なのであった。
20世紀にはそれで良かったんですよ。圧倒的なパワーを持った米国とソ連が、他の意向を無視して世界を支配していた状況だったから、それに対して「異議申し立てをする事」自体に価値があった。
その時には非現実的だろうと「理想論」を語る勢力も必要だったし、実際にそういう志向の延長に、原水爆禁止運動とか、あと欧米でなくイスラム側に肩入れする理想主義的運動とか、それ自体に意味があった事も確かにあった。
一方で、今はその「圧倒的パワー」を持った存在がどこにもいなくなる中でいかに平和を保てるかという喫緊の課題が生じている現象であり、そういう「20世紀型」の、「正義の自分たちと悪のアイツラ」論法の延長でなんとかできる環境では全くなくなってしまっている。
左派・中道勢力もその「同じテーブル」に逃げずにキチンとついて、そこでいかに自分たちの理想を実現できるかを考えざるを得ない領域に入ってきているんですよね。
高市政権がどれだけ続くかわかりませんが、「その次」を準備する勢力としては、自分たちの勢力の中に色濃く染み付いたその「20世紀型の左翼性」をいかに脱却し、エネルギー政策や安保問題に対して「揺るぎなく責任持てる」ムーブメントを、「政権批判側」の勢力のメインストリームに変えていけるかどうかが問われているのだといえるでしょう。
実際、果てしなく両極分化するSNSと違って、旧来メディアの気分はかなり自然に変わってきているのを感じます。
結果として40−50代の氷河期世代が言論のグリップを握るようになり、イデオロギー闘争でなく「現実的課題の解決」が必要だ、という揺るぎない共有点が少しずつ当たり前のものになりつつある。
例えば僕も昔出演した事があるTBSの「報道1930」とかはかなり左翼的な方向性の番組だけど、今回の首脳会談についてはまあまあポジティブな報道をしていて結構意外に思いました。
何か起きたら、細部の事情を読み解く努力をまずはするのが大事で、それをせずに「あ、これは”敵”の言ってることだな!」ということで最初っから批判すると決めて報道するとか逆に「味方」の言ってることだから徹底的に擁護するとか、そういう「20世紀の言論スタイル」こそが根底的な病そのものなんですよね。
その点、日本の旧来メディアの中の人は、特に僕と同世代ぐらいの人が方向性を決められるようになってきたことで、かなりそのあたりが自覚的に「客観的で問題解決志向」の方向に変わりつつあるのを感じています。
その変化の上では特に、西部邁とかと同世代の、「あらゆる現実的課題が右と左の政治闘争に見えちゃうビョーキ」の世代が急激に引退していっている影響が大きい。
欧米由来のイデオロギーを単純に当てはめることで、「欧米から見た辺境」の現地政府が自分たちの現実をグリップするための必死の努力たちを一緒くたに「許されざる悪(ナチス)扱い」をする思考停止・・・みたいな「20世紀の人類の病」を克服できる状況になってきている。
戦前の日本も含めて、「欧米と非欧米」を完全に対等でフェアなものと見たうえで、現実を受け止めながら理想を一歩ずつ実現していくための「ほんとうのたたかい」が始まろうとしているのです。
5. 「属国にならない」道は、「米国が果たしている役割」を認めることの先に初めて生まれる
じゃあどうやったら長期的に見て「属国にならない」道が見えてくるのかって話なんですけど、それはね、もう「米国が果たしてる役割」はそれ自体認めちゃうことが必要だと個人的には考えています。
国際政治学者の鈴木一人氏が、「対中」でのトランプ政権の苦しさが明らかになるにつれて、同盟国に対する扱いが良い方向に向かうという(趣旨の)分析を話されていたんですが、個人的にそれにはかなり賛成というか、「日本の立場」を認めさせていくにはその道しかないと考えています。
米国と対等に話したいなら、「世界秩序に対して米国が果たしている役割」に対して”同じ目線に立って”責任を引き受けるしかないんですよ。
安倍・岸田が米国議会で演説してきた路線のその先で、「同じ目線」にたって、どうやって平和秩序を守るのか、に対しての現実的な蓄積に参加していくしかない。
結局、欧州も米国便りで安全保障やるわけにはいかなくなって、独自武装するか、あるいはその分を米国に通商面で譲歩するか、色々と模索しはじめてますよね。
人類社会の中で米国が圧倒的ナンバーワンではなくなってきた事で、「世界の警察」をやり続けることはできなくなったのなら、「別の警察システム」を現実的に構想する=新しい安全保障の構造が必要になっていたのは当たり前のこととしてあった。
圧倒的に米国支配が安定していた時期に必要だった「とにかく異議申し立てをする事自体に価値がある」というような言説では全く太刀打ちできなくなってきている。
トランプのやり方は無理矢理感がすぎるけれども、その「維持不可能になっていた古いシステムを壊して作り直す」意味自体は否定できずにあるんですよね。
そういう意味では、高市路線でキチンと米国を「国際秩序維持の役割」に引き留めようと努力することは、多少ホステスさんぽい振る舞いが含まれていようと絶対的に必要なことなんですよね。
それと同時に、
米国が本当に自分たちにとって利益のある秩序性を維持するためには、同盟国をちゃんと大事にしないとダメなんだぞ。酷い振る舞いを続けてたらさらに敵を増やして余計にヤバいことになるんだぞ。
・・・ということをちゃんと言っていくしかない。
しかも面と向かってそう言うのではなく、自然とそういう状況になってくる中で表面上ニコニコしながらそういう立ち位置を確保していくしかない。
それは前者において米国と同じレベルの目線でキチンと「責任」を果たしていくことによってのみ、「発言権」が得られるようになっていく類の話なんですね。
そこの「責任」さえ揺るぎなく果たしていければ、「対中」での米国側の苦しさが徐々に明らかになるにつれて、明確に日本の立場は上がっていく。
今後の日本はその道を進むしかないという覚悟を本質的に腹決めしつつあるように思います。
そしてその道をキチンと果たしつつも、対中国では文化的に東アジア文化を共有する部分も多い大事な隣国としての「敵意がエスカレートしない付き合い」を両立させていくことが日本に求められているわけですね。
6. 20世紀型の知的枠組みそのものの再検証が必要
結局、こういう時に「我が代表堂々退場す!」をやれ・・・と言っている人たちこそが、むしろ戦前の日本を軍国主義に駆り立てていったエネルギーそのものなのだ、という理解が必要な時代になってるんですよね。
国際政治のぶつかりあいの中で弱い立場の国に「圧」がかかってくることは当然のこととしてあって、それに対して「国は弱腰だ!」という突き上げたいエネルギーも生まれてくる。
戦前日本について「反省する」という時に、当時の軍を押し上げていた勢力が何の意味もなく真空空間から突然出てくる「おとぎ話に出てくる邪悪な悪魔」みたいな存在みたいに扱っているから、こういう課題に対処できなくなるんですよ。
今、韓国は日本以上に米国との通商問題で揉めていますが、日本みたいに「米国から理不尽なことを言われ慣れてない」韓国の人が激怒しているのはすごいわかる。ウェルカム・トゥ・ザ・「”先進国の間の”複雑怪奇なポリティクスの世界」へ!という感じですね。
でも、国際秩序を維持するうえで「そこにそういうエネルギーが生まれちゃう」現実をどうハンドルしていくのか・・・を、単純な善悪二元論ではなく解決を目指すことが今後は必要なんですよ。
「我が代表堂々退場す」をやりたいですよね?でもそうできない事情が国際社会の中には厳然としてある。それをどうマネージしていけばいいのか?
そう考えた時に、第二次大戦における「邪悪な存在」である枢軸国に全部「悪」を押し付けてきた世界観自体が根底から揺さぶられるようになる。
どっちが絶対善でどっちが絶対悪かではなく、まず第一に「自分たちだけに負担がある」と感じる米国国民の負担感にも何等か対処していくことが必要になってきている。
そして同時に、世界中の強国が自国第一主義的にブロック化していくことで、日本や韓国レベルの中堅的な存在に対して過剰な圧力が加わり、余計に「反・今の国際秩序」的なエネルギーが暴発しかねない状況になる問題をどう解決するか?ももう一方の大事な課題として生まれてくる。
それに対して「自分たち善人とは違う悪人どもが何の意味もなく彼らのエゴのために暴走するから問題が起きる」というような無責任さではなく、
「当然自分自身もその連関の内側にあることを自覚したうえで暴発しないように、天秤の両側に1グラムずつ重りを載せてどちらかにガターンと倒れないようにしていくような努力」
…に対してあらゆる左派勢力も自分ごととして参加しないと、「現実的な権力」を握ることは危なっかしくて決してできない時代に入っていくというわけです。
1980年代に「世界一の経済」に手がかかりかけながら繁栄が手の内を滑り抜けていってしまった日本は、本能的に「この課題」を30年間真剣に考えてきたんですよ。
「米国という存在」が胴元になって世界の経済が成立し、その上で反米国家の民衆の生活ですら依存して生活している現実があるのならば、単にそのルールの中で「単純なプレイヤーとしての成功」をしてもガラスの天井を超えられない。
「そのカジノ」を成立させるための必須不可欠の部品としての機能を真剣に自覚的に果たすことによってのみ、「それ以上の安定した繁栄」を引き寄せることも可能になる。
日本は今まさに「そういう役割」を果たす道を選んでいるのだという理解が必要な現状だと思います。
そして、その副産物として過剰に「右派的」な要素が嫌いだと思う勢力は、「ポスト高市の政変」の時にキチンと役割を果たせるように、「リベラル勢力のメインストリーム」と目される部分については「20世紀型の党派性」から完全に脱却したものに変えていくチャレンジこそが、今求められているのだといえるでしょう。
次のタイミングで最右翼層から権力を奪還しようとする勢力が、「20世紀的党派性」を既に脱却した存在である方がメインストリームになっているように、着々と今から準備していくことが必要なタイミングなのだと思います。
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年10月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。







