前回は、浜崎洋介さんとの対談動画(前編)にかけて、高市政権は経済でも外交でも、「安倍政権」をコピーすべきではない(=しようと思っても、その条件がなくできない)という話をした。
……と書くと、安倍ファンだから高市さん大好き、な人はみんな怒って、後編(リンクは末尾に)のコメント欄は「與那覇は経済に無知!」の嵐なわけだが、意外なところから援軍がやってきた。
第2次安倍政権でアベノミクスの最大のブレーンと呼ばれた、経済学者の浜田宏一氏(イェール大名誉教授)は、はっきりこう書いている。
第2次安倍政権の当時から、高市氏はどちらかというとインフレ促進派に囲まれ、支持者の多くに金融緩和派や財政拡張派が多かった。そのため「浜田も経済政策では高市氏に賛成」だと思う人が多いだろう。しかし物事はそう単純ではない。
なぜなら、日本経済を取り巻く状況はデフレの恐れがなくなり、過度の円安でインフレが現実となりつつある。経済政策の舵取りとしては、私は金融緩和でなく、むしろ円高を目指す金融引き締めへの転換を高市政権には選択してほしいと思う。
Newsweek、2025.10.31
(強調は引用者)
……と言われても、きっと「それは緊縮ダー! 財務省ガー!」になるのだが(苦笑)、浜田氏は2016年に安倍ブレーンでもいち早く、金融政策から財政政策に “転向” した人でもある。『平成史』のp.427で描いてるから、みんなも読んでね。
現実がデフレからインフレに変わったのに、政策を変えないのがあり得ないことはふつうわかるが、なんと「インフレでもデフレマインドは変わってない!」とか、いろんな言い張り方があるらしく、もうこっちが意味がわからない(涙笑)。
で、そんな時こそ、ホントは歴史の出番だ。
しょちゅう言ってるが、いまに直結する世界の課題は半世紀前、1970年代に始まっている。ウクライナ戦争が「資源高」をもたらし、どの国もインフレに苦しむのも、中東戦争やイラン革命時のオイルショックと同じだ。
このとき最も円滑にインフレを乗り切って、先進国の最優等生と呼ばれたのが日本である。キーマンは、「積極財政」の田中角栄との激しい政争で知られる、福田赳夫だった。ちなみに、”悪名高い” 大蔵官僚の出身ね(笑)。
総裁選で福田を破っての、田中内閣の発足は1972年7月。当初は、福田派からは軽めのポストに2名のみと、ライバルの派閥を徹底的に干した。
ところが電光石火の日中国交回復をなし遂げたにもかかわらず、同年12月の解散総選挙で自民党は敗れてしまう。後がない角栄は、第2次内閣では重量級の布陣を敷き、福田本人も入閣させる。
1年後の73年11月、石油危機への対応でワークライフバランスを崩し、愛知揆一蔵相が急死する。狂乱物価と呼ばれた大インフレを抑えられるのは「福田だけだ」と考えた角栄は、後継の蔵相への就任を要請し、頭を下げた。
この際の両者の問答は、福田の自伝『回顧九十年』によれば、こうである。古き “よき” と呼ぶと、今度はアベもサナエも嫌いダーな人が怒りそうだが、まさに自民党史でベストの名場面だ。
田中首相は「石油ショックでこうなって……」というから、私は「そうじゃないんだ。あんたは石油ショックというけれども、あれは追い討ちだ。あんたが掲げた日本列島改造論で、昨年7月に内閣をつくって以来1年しかたたないのに、物価は暴騰に次ぐ暴騰で、……この(日本列島改造の)旗印に象徴される超高度成長的な考え方を改めない限り、事態の修復はできない」と説明した。
しかし、彼は「そうか、では旗を降ろす」とは言わない。「明日、また会おう」ということで、翌朝また首相官邸で会ったところ彼は今度は非常に割り切っていて、日本列島改造論を「撤回する」と約束した。
210頁(算用数字に改変)
いま風にいえば、物価を下げて暮らしを守るのが第一だから、インフレをプーチンやトランプのせいにしてないで、ワークライフバランスの前に「サナエノミクスを捨てろ」と言ったわけだ。選挙で保守票を食われても「ロシアのせいだ!」な目下の自民党に、こんな政治家はいない。
蔵相に就いた福田は、国民に対しても「日本経済は全治3年」という、有名なメッセージを出す。
「『全治3ヵ年』とは言うけれども、日本経済を根本的に3ヵ年で全治せしめるためには、皆さんにこの際、相当我慢してもらわなくてはならない」と言った。それは何かと言うと、総需要管理政策というものに協力してもらわなくてはならない。
財政を抑えなければならないことは、もちろんである。さらに、企業も以前のような成長を期待しない、家庭はまた消費需要を控え目にする、これが根本的な治療のために絶対必要なのだ、と国民に向かって繰り返し強調した。
こういうことでやったわけだが、国民もよく協力してくれた。
211-2頁(段落を改変)
正面から時流に異を唱える一言居士の存在と、危急の時はその人でも起用するリーダーの度量が、ポスト高度成長期の日本にもういちど、世界一の安定と豊かさをもたらした。まぁ、後ですぐグダグダに戻っちゃったけど。
いま、令和の日本は、まるで逆である。
コロナ禍でもウクライナ戦争でも、起きたのは、カーッと熱狂した民意にベッタリ乗っかり、危機の解決は “カネで買える” かのように振るまう政治だった。「岸田・石破か、高市か」は、その内側での主導権争いに過ぎない。
外から政府を批判する人にせよ、言ってることは大差ない。今年出た新刊でも、いまだに「弱者限定でなく “全員にカネを配る” のが、うおおお新しいリベラル!」してるようでは、高市政治への対抗軸は生まれそうにない。
要するにオルタナティブ(代わる選択肢)にも、ホンモノとニセモノがあるわけだ。昭和の自民党は “ホンモノなら” 異論でも尊重し、出番を作る組織だったことで、国民生活の危機を乗り切り復活したが、令和はどうだろう。
文藝春秋PLUSでの、浜崎さんとの対談後編では、まさにこの問題を正面から議論している。
この対話シリーズのコンセプトは「保守とリベラル」だが、実のところ、それはそこまで大事じゃない。いま必要なのは、ホンモノどうしなら “たかだか” 現行の政権の当否くらい越えて、議論がなりたつ姿を見せることだ。
かつて日本にも、それがあたり前な政治があった。過去の記憶の共有は、その基盤となる点に意義がある。歴史を扱うニセモノが世に溢れても、歴史のないホンモノは、いまもどこにも居ない。
参考記事:
(ヘッダーは1972年の総裁選前、田中角栄と握手で好勝負を約す福田赳夫。ポストセブンより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年11月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。