
Krzysztof Winnik/iStock
「温もり」の裏に潜む有害排気
薪ストーブは「自然」「癒やし」「カーボンニュートラル」という言葉で飾られ、環境に優しい懐古的なやさしい暖房と誤解されてきました。
しかし、実際には最も大気汚染度の高い暖房機器です。英国の環境調査機関リッカルド(Ricardo Energy & Environment)が公表した最新の「UK National Atmospheric Emissions Inventory」報告書では、住宅の薪燃焼が都市住宅地でのPM2.5排出量の主要因であることが明確に示されています注1)。
英国では家庭暖房における薪ストーブ・暖炉の使用は、交通・工業由来を上回るPM2.5発生源であり、政府が「クリーンエア戦略」で重大な健康リスクと位置づけています注2)。
それにもかかわらず、英国薪ストーブ業界団体SIA(Stove Industry Alliance)は「エコデザイン規格ストーブは清浄」「薪は再生可能燃料」と未だに強硬に宣伝主張し続けています。
しかしリッカルド報告書は、いかなる高性能機器でも有害排出は避けられないと明記しています。これは日本の薪ストーブ業界がよく言う「適正燃焼なら煙は出ない」「乾燥薪を使えば安全」「適切な器具と設置、煙突掃除で解決可能」「人にも環境にもやさしい」「環境を一切汚染しない」という説明と根本的に矛盾します。
燃焼とは化学反応であり、炭素・水素を含む物質が燃える限り、粒子状物質と有毒ガスは必ず生成され、空に吐き出されるのです。どちらの言説が科学的に正しいのかは議論の余地が無いのです。
注1)Ricardo Energy & Environment, UK National Atmospheric Emissions Inventory (NAEI), 2023年版.
注2)DEFRA, Clean Air Strategy 2019, 英国環境・食糧・農村地域省.
リッカルド報告書が示す具体的数値
リッカルドによる調査では、薪ストーブ1台あたりのPM2.5排出量は、最新型ディーゼルトラックに比して数百倍に達する場合があると指摘されています注3)。
主な結果は次の通りです。
- 家庭用薪ストーブは英国全体のPM2.5排出の27〜38%を占める。
- 「エコデザイン」認証機器でも、平均排出は1時間あたり約3〜5グラムである。
- 換算すると、エコデザイン薪ストーブ1台で大型ディーゼル車数百台分の微粒子を放出。
- ブラックカーボンやベンゾ[a]ピレンなどの発がん性物質も大量に含有。
つまり、業界の宣伝とは正反対に、この報告は「高性能薪ストーブ」いわゆるエコデザイン機器でも公衆衛生上のリスクは全く回避できないことを示します。
リッカルドはさらに、排気ガスが屋外で希釈される前に周囲住民の呼吸圏に拡散し、特に高齢者・子ども・呼吸器疾患患者に深刻な影響を与える脅威になると警告しています注4)。
注3)Ricardo報告書第5章「Residential Combustion」セクション
注4)British Medical Journal(BMJ)2021年特集「Domestic Wood Burning and Health Risks」より
日本における構造的虚偽──廃材・間伐材利用の実態
日本では「薪ストーブは森林資源の有効活用」「間伐材を使えば環境に優しい」「里山・古民家再生」といった言説が流布され美化されています。しかし実態はまったく異なります。現場では、特に都市近郊住宅地にあっては以下のような構図が成立しています。
- 間伐材など無く、建築廃材・造園廃棄物が「薪」「大工薪」として転用販売される。
- 廃棄物処理費用を節約したい建築造園業者が、薪ストーブ愛好家に無償または安価で提供。
- これらの「薪」は塗料・防腐剤・合板・接着剤を含み、燃焼時に有害化学物質を排出。
- 行政の監視は全く機能しておらず、環境法規のグレーゾーンに放置。
- 行政は「暖をとる目的の薪ストーブでの焼却なら合法」とまで言う。
このように、薪ストーブは事実上、廃棄物焼却場の延長線としても機能しており、SDGsや炭素中立などの理念とは根本的に無関係です注5)。
しかも日本の薪ストーブ業界は「広葉樹薪が理想」「針葉樹でも乾燥すれば大丈夫」といった自己矛盾を繰り返しています。
針葉樹はヤニ分が多く煙突詰まりを起こしやすく、広葉樹は重く流通コストが高い──そのため現場では結局、最も安価で手に入る廃材(造園廃棄物、建築端材、解体材、廃パレットなど)が普通に燃やされているのが現実なのです。
筆者は葉山町で、このような現実例を何件も確認していますし、各地の被害者による情報に基づけば、この廃棄物処理装置として機能する薪ストーブという実態が判明しています。
注5)環境省「再生可能エネルギー熱利用」関連報告書(2022年)参照。
「エコ」装いの欺瞞と倫理の崩壊
英国SIA、日本の薪ストーブ業界団体、地方自治体の「エコ推進」施策──これらはいずれも、最近の科学的知見を無視し、彼らの主張には科学的根拠が無くイメージ戦略を優先したグリーンウォッシュの典型です。
彼らの共通の手口は次のように整理できます。
- 「カーボンニュートラル」を錦の御旗に掲げ、CO₂排出実測を無視。
- 「地域材利用」「林業振興」と称して、実際には廃棄物燃焼を助長。
- 「家庭用だから問題ない」と言い逃れし、公害の外部化を正当化。
- 自治体は使用者や業界からの圧力・クレームを恐れて苦情を握りつぶす。
- 一部の研究者は補助金や業界との癒着により問題を矮小化した結果を出す。
これらの結果、被害者は二重に加害を受け孤立し、環境行政の信頼は失われます。
英国では既に薪燃焼に対して販売・使用規制が進んでいますが、日本ではむしろ「地方創生」「自然との共生」といった歯の浮くような美辞麗句のもとで不適切な助成(SDGsで削減すべき有害な補助金に該当)が未だに続いています。
この乖離は、倫理的・科学的な破綻の象徴です注6)。
注6)Green Alliance Report 2022「Greenwash in Domestic Heating」分析結果より
結論──科学の眼を曇らせてはならない
リッカルド報告書が示す通り、薪燃焼は本質的に汚染行為であり、装置の改良や燃料管理では決して解決し得ないことが明確になっています。
「薪ストーブの煙は心を癒やす」「木は再生可能」という物語は、最近の研究による知見を無視した現代の住環境境域大気汚染における最も巧妙な欺瞞の一つです。私たちはこの悪質極まりない環境詐欺の社会的構造を見抜き、事実を科学的に測定し、共有し続けなければなりません。
薪ストーブは、近隣住民にとっては温もりではなく有害な排ガスを吐き出すだけの前時代的な汚染生成装置です。
そして「癒やし」という言葉の裏で、静かに隣人たちの肺と心を一方的かつ理不尽に蝕んでいます。
私はこれを社会的暴力構造だと指摘します。なお、この反社会性に関しては別稿で詳説する予定です。
いま求められるのは、感情的擁護ではなく、冷静な科学と倫理の回復による住環境からの煤煙排斥です。
参考-リッカルド報告書該当部分(要約和訳)
リッカルド社報告書(Ricardo Energy & Environment, 2023, “Air Quality Pollutant Inventories for the UK”)より該当箇所の要約和訳。
「家庭部門の固体燃料燃焼、とりわけ薪燃焼は、都市部大気中PM2.5濃度の主要な寄与源である。エコデザイン規格に準拠した最新ストーブでも、排出削減は限定的であり、旧式機器との差は一桁未満に留まる。薪燃焼から排出されるPM2.5、ブラックカーボン、PAHs(多環芳香族炭化水素)は、健康被害をもたらす重要因子であり、気候変動への負の寄与も無視できない。」
「乾燥薪や高効率燃焼を用いても、完全燃焼は達成できず、住宅密集地における使用は地域的な大気汚染の原因となる。これらの排出は、ディーゼル排ガスと比較しても毒性が高く、吸入粒子は肺胞深部に沈着する。」
※ この明快な科学的警鐘に比べ、日本の薪ストーブ業界・自治体広報はあまりにも遅れ、また身勝手極まる自己都合的です。科学を装いながら、実際には科学的データを持たずそれを得ることも提示もしない、おまけに最低限の倫理さえも欠く──それが薪ストーブ業界と使用者の現実です。
編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2025年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。






