『日本の名門高校 – あの伝統校から注目の新勢力まで』(ワニブックス)の内容に手を入れて婦人公論電子版で二年にわたって連載してもらえることになったことは、「ノーベル賞が西日本の公立高校ばかりから出る不思議」で紹介した。

この枠で、先週は筑波大学附属高校、今週は筑波大学附属駒場高校を扱った記事が掲載されている。

国立大学の附属高校が東京には8校もあるが、老舗といえば、やはり筑波大学附属高校だろう。明治5年(1872)、昌平黌(しょうへいこう)(江戸幕府が設けた幕臣や藩士の子弟を教育するための学校)の跡地(現・東京医科歯科大学)に創設された師範学校に始まる。

筑波大学附属高校 Wikipediaより
その後、明治21年(1888)に師範学校尋常中学科、東京高等師範学校附属中学校、東京教育大学附属高校(男女共学)などを経て、昭和53年(1978)、現在の筑波大学附属高校となった。明治33年(1900)には一ツ橋に移転し、明治38年(1905)から順次、東京高師の大塚新校地に移転し、東京教育大学(現・筑波大学)の筑波への移転後もそのまま留まっている。地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅と有楽町線護国寺駅の中間にある。
略称は「附属」、あるいは「教育大大塚」といっていたが、最近は「筑附」や「筑波」と称することが多い。
中学は「強く、正しく、朗らかに」、高校では「自主、自律、自由」をモットーとしている。生徒の総合力を重視し、社会に出て活躍するときに大事となる力を重視。学問・スポーツ・文化などの活動における協同体験を大切にしているという。
鳩山一郎(元首相)、美濃部亮吉(元東京都知事)、鳩山邦夫(元法相)、渋沢敬三・山際正道・澄田智という三人の日本銀行総裁、高階秀爾(美術史学者)、永井荷風(作家)などが主な卒業生。女性の有名人も多く、佐藤欣子(法学者)、川口順子(元外相)、片山さつき(財務大臣)、檀ふみ(女優)、山口真由(弁護士)など。
悠仁さまがなぜこの学校を選ばれたかには、ふたつあまり知られていない理由がある。一つは、美智子上皇后の父である正田英三郎氏は、東京高等師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)と旧制東京高等師範附属中学校の卒業生で、次男で日清製粉の社長を継いだ正田修氏も東京教育大学附属高等学校の出身である。
秋篠宮皇嗣殿下御夫妻としては、正田家の知的でリベラルな家風を好ましく思い、なにがしかでも継承させたかったのだろう。
もうひとつは、筑波大学の前身は東京教育大学で、その前身は東京文理大学と東京高等師範だが、東京高等師範の姉妹校のようなものが東京女子高等師範であって、これがお茶の水女子大学の前身であり、常に校舎も近かった。
お茶の水女子大学附属高校は女子だけだが、戦後しばらくは東京大学へ進む女子の数はナンバーワンだったし、いまでも高いレベルの進学校である。当然、女子高校なので悠仁さまが筑波大学附属高校からお茶の水女子大学附属高校に進まれるのは、もっとも自然な形だった。

悠仁親王 宮内庁HPより
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