オーストリアのユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイク(1881年~1942年)はロンドンに亡命した時、既に亡命していた精神分析学者ジークムント・フロイト(1856年~1939年)と会っている。ツヴァイクによると、フロイトとは「なぜユダヤ民族は迫害されるのか」について話し合った。両者は納得できる答えを見いだせなかったという。ただ、ツヴァイクは「フロイトは温和で優しい紳士であった」と証している。
シュテファン・ツヴァイク Wikipediaより
ツヴァイクは当時、世界的ベストセラー作家として既に有名だった。ツヴァイクはヨーゼフ・ロート(1894年~1939年)と同じようにハプスブルク王朝時代を夢見ていた。民族を超えて、様々な民族が君主制のもと共存する時代だ。しかし、ドイツでナチス政権が台頭し、ユダヤ人迫害が激しくなったため、ツヴァイクはロンドン、米国、そして最後はブラジルに亡命した。その後、ペテロポリスで妻と共に自殺した。60歳だった。人気作家で有名なツヴァイクの自殺は当時、メディアでも大きく報道された。
最近、ツヴァイクが自殺する直前に書いたA4一枚の最後の「遺書」を読む機会があった。「自分の言語の世界が私にとって滅び、精神的な故郷であったヨーロッパが自らを破壊してしまった今、私はどこよりもここで人生を根本から新たに築き直したいと願ったであろう。しかし60歳を過ぎた今、まったく新たに始めるには特別な力が必要である。そして、故郷を失ってさまよい続けたほぼ十年の歳月によって、私の力は疲れ果ててしまった」と書き残している。
ツヴァイクの最後の作品である「昨日の世界」の前書きで「私が語るのは、厳密には私自身の運命ではなく、一つの世代全体の運命――歴史上まれに見るほどに運命に翻弄された、私たちの唯一無二の世代――の運命なのである。私たち一人ひとり、もっとも小さく、もっとも取るに足りない者でさえ、ほとんど途切れなく続くヨーロッパの大地の火山的震動によって、その存在の奥底まで揺り動かされた。そして私は、数えきれない人々の中にあって、自分に与えられた唯一の特権をこう認めるほかにない――すなわち、オーストリア人として、ユダヤ人として、作家として、人道主義者として、平和主義者として、常にちょうどその地震がもっとも激しく作用した場所に立っていた、という特権を」と述べている。
ツヴァイクが生きていた時代は、第1次世界大戦(1914年~18年)、ハプスブルク王朝の解体(1918年)、ナチス・ドイツの躍進(1930年代初頭)、共産主義の台頭(1920年代から30年代)、そして第2次世界大戦(1939年~45年)の勃発といった歴史的な大変革期だった。ツヴァイクは自伝の「昨日の世界」の中で、「私の家と生活を3度覆し、あらゆる過去から私を引き離し、その烈しい力で私を空虚の中へと投げ飛ばした」と述懐している。
そして「私は1881年、偉大で強大な帝国、すなわちハプスブルクの君主国に生まれた。しかし地図を探しても、もはやその姿はない。跡形もなく消え失せてしまったのである。私は二千年の歴史を持つ、超国家的な大都市ウィーンで育ち、そこがドイツの一地方都市へと堕ちる前に、犯罪者のようにそこを去らねばならなかった」と述べ、「私の文学作品は、私がそれを書いたまさにその言語の国で、灰となって焼かれた。かつては何百万の読者が私の本を友として迎えてくれた国で、である。だから私はもはやどこにも属していない。どこへ行っても異邦人であり、せいぜい客人にすぎない」と記している。
ツヴァイクは裕福な家庭で生まれ、金銭的な苦労はなかった。作品も世界的に読まれていた。その点、オーストリア=ハンガリー帝国領ガリツィア東部、ロシア国境近くの町ブロディ(現、ウクライナ)生まれの貧しいユダヤ人作家だったロートとは違っていた。ツヴァイクの人生は順調だったが、それらはすべて失われていった。そして自身の作品は焼かれ、灰になるのを目撃せざるを得なかったのだ。
ツヴァイクは「黙示録の蒼ざめた馬たちはすべて私の人生を駆け抜け、革命、飢饉、インフレ、恐怖、疫病、亡命が押し寄せた。私は巨大な大衆思想が目の前で成長し広がるのを見た。イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ロシアのボルシェビズム、そして何より、ヨーロッパ文化の華を毒した根源的な疫病――ナショナリズム。私は無力に、抵抗できぬまま、人類がはるか昔に過ぎ去ったはずの野蛮へと、意識的で計画的な反人道の原理を抱えて逆戻りするのを見なければならなかった」と書いている。
ちなみに、ツヴァイクは「昨日の世界」の中でアドルフ・ヒトラーについて言及している、曰く「ヒトラーは自分を冷遇し、侮辱したウィーン市にいつか仕返しすることを願っていた」と述べ、ヒトラーにとって「ウィーン凱旋」(1938年3月15日実現)が祈願だったと語っている。
ツヴァイクは「昨日の世界」の前書きの最後に「私は戦争のさなかに書いている。異国の地で、記憶を助ける一切の資料もなく書いている。私の著書の一冊も、記録も、友人の手紙も、ホテルの部屋には何一つない。どこに問い合わせようにも、世界中で郵便は分断され、検閲によって妨げられている。そして自分の人生から忘れられるものは、すでに内なる本能によって忘れられるべきものとして裁かれていた。私が自ら保とうとするものだけが、他者のためにも保持される権利を持つ。さあ、私の記憶よ、私に代わって語り、選び取り、私の人生が暗闇へ沈む前に、そのせめて鏡のような反映だけでも与えてくれ!』と述べている。
歴史的な大転換の時代に生き、激しい迫害を体験したユダヤ人作家の「時代の証言」は、21世紀を生きる私たちにとっても看過できない内容がある。
注:ツヴァイクの「遺書」と「昨日の世界」の日本語文はChatGTP訳に基づく。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年12月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。