青山社中設立15周年、我々が目指す「メタ攘夷・シン攘夷」:日本改援隊構想

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1. これまでの感謝

「本来であれば、『本日はご多用中にも関わらず、弊社15周年記念パーティにお運び頂きまして、心から感謝します。』というような優等生的挨拶をするべきなんでしょう。でも、今日は、本当に本当にお世話になっているクライアント・仕事仲間の皆さんなので、心からの本音から入って良いでしょうか?皆さん、私の心の声を聞いてください。15年間、青山社中も私も良くやってきた!頑張りました!今日だけは褒めてやってください。」

以上は11月13日に開催した青山社中15周年パーティ開催にあたっての私の挨拶の冒頭部分である。

身の丈を超え、帝国ホテルで100〜150人のキャパシティの会場を借りてパーティを開くこととなり、私個人としてではなく、会社としてお世話になっているクライアント・仕事仲間の皆さんだけを対象に、政治家であろうが官僚であろうが例外なく会費1万円を頂くということでお声かけをさせて頂いた。本来は無料にすべきであろうが、資力の問題もあり、差額を弊社負担ということにして開催した。

人生の様々な局面で、個人的にお世話になった方・現在もお世話になっている方が多々いらっしゃるし、出来れば、青山社中リーダー塾生たちやこのメルマガを愛読してくださっている読者の皆さん(登録者1.1万人。開封率は平均して40%)にもお声かけしたいところではあったが、キャパの関係もあり、ごく一部の例外を除いて、あくまで今回は会社としてのクライアント・仕事仲間の自治体・個人だけにお声かけをした。ご理解頂ければ幸いである。

結果、多くの国会議員や首長、地方議員の方々、また、官僚や地方公務員、民間企業の経営者・社員、学者など、キャパ一杯の約200名の方々が来てくださることとなり、誠に光栄であった。来てくださると言う方々の中から、特に、経産省時代から尊敬している齋藤健衆議院議員(元経産大臣)からご挨拶を頂き、山本一太群馬県知事に乾杯の音頭を取って頂いた。

そして、参加者の中から、現職大臣として、小泉防衛大臣と黄川田地方創生担当大臣にご挨拶頂き、各党から、泉・前立憲民主党代表、藤田・日本維新の会共同代表、古川・国民民主党代表代行、森村・都民ファーストの会代表にそれぞれご挨拶頂いた。

当日、小林(鷹)自民党政調会長や玉木国民民主党代表も来てくださり、玉木さんからも急遽お言葉を頂いた(玉木氏は元上司でもあるが、弊社で「玉木アプリ」などを作った際のクライントでもある)。30〜40名の国会議員が駆けつけてくださった。

知事や市長なども多数お越しくださり、全国知事会会長の阿部長野県知事からご挨拶を頂いた。埼玉県の大野知事やプロジェクトK時代からの盟友とも言うべき小紫・生駒市長、久保田・掛川市長、青山社中リーダー塾OBの藤代・印西市長なども駆けつけてくださった。

その他、多くの官僚仲間(経産省や財務省などの幹部)、企業人・起業家たち(角田朝日新聞社長、出雲ユーグレナ社長など)、学者の先生方(黒川政策研究大学院大名誉教授、五百旗頭東大教授など)にも多数おいでいただいた。感謝の言葉しかない。

さて、上記のとおり、開会の挨拶では冒頭、「我ながらよく15年頑張って来た」という本音の吐露から入ったわけであるが、官僚を辞めて、世間ではあまり馴染みのない分野で、いきなり起業したということもあり、最初から苦労が絶えなかった。

設立当初は、会社の信用がなくてオフィスもろくに借りられず、電話を引いても仕事の依頼もなく、ようやく仕事が来たかと思ったら、謝礼はお金ではなくリンゴ二箱だった、、、と、散々であった。最初の5年くらいは、給料の遅配も当たり前のようにあった。

そんなところからの15年なので、思わず冒頭の本音となったわけだが、上記の挨拶には続きがある。要すれば、そんなボロボロのスタート時から、実は仕事を回してくださったり、塾生や社員を送り込んでくださったりしたのは私ではなく、皆さんであるということだ。15周年記念パーティの会費も、1万円/1人ということで一部負担して頂いてる。支援してもらっている。

結局、皆さんに助けられての15周年ということで、開会の挨拶は、心からの感謝・御礼で締めることとなった。勝手な言い草にはなるが、これからも青山社中をよろしくお願いいたします。

2. 時代認識(幕末、戦後との比較)

上記の15周年記念のパーティでは、30分ほど時間を頂いて、青山社中のこれまでを振り返りつつ、今後目指す方向性についてもプレゼンさせて頂いた。ここでは、その場で述べた時代認識と今後の青山社中が目指す方向性について略述したい。

今年は戦後80年の節目であり、あと3年すると明治維新から160年となる。マルクスによれば、歴史は、1度目は悲劇として、2度目は喜劇として繰り返すそうだが、わが国における西洋社会との邂逅・敗北・挫折感が、悲劇か喜劇かはともかく、再度繰り返されようとしている。

幕末・維新以来のわが国の近現代の歴史をごく簡単に振り返れば、二度の大きな敗北・挫折がある。最初のは、①幕末に米国のペリー率いる黒船船団に圧倒され、不平等条約を押し付けられるなど西洋社会に全くかなわなかった(約160年前)という事象であり、二度目は、②80年前に敗戦を迎えた先の大戦で主に米国軍に物量で圧倒され、日本は2度と立ち上がれないほどのダメージを受けた、というものだ。いずれも、主にやられた対象はアメリカということになるが、西洋社会との邂逅・敗北・挫折を繰り返してきた。

そして今、日本は、AIやDX関連などの先端技術、宇宙空間や創薬・バイオなどにおいて、いわゆるGAFAMなどの米国企業に全く歯が立たない状態となっている。典型的なのは、どんどん膨れ上がっているデジタル赤字だ。

幕末の敗北がオリジナルで、先の大戦での敗戦が一度目の繰り返しだとすると、今は、アメリカ・西洋社会との敗北の歴史の2度目の繰り返しとは言えまいか。米国だけならまだしも、最近は、隣国である中国(企業)にも、宇宙、デジタル(サイバー)、EV、資源エネルギーなど、多くの先端分野で先を越され、そして、軍事的にもかなわなくなりつつある。

時に見える形で、そして時に見えない形で、陰に陽に迫りくる海外からの不気味な圧力・足音を感じる時代に常に台頭するのは、威勢の良い攘夷論(排外主義論)である。幕末の尊王攘夷派にしても、戦前の陸軍皇道派にしても、当初は威勢がいいわけだが、現実には、それぞれ、明治維新を成し遂げてからは、コロッと洋装して開国派に様変わりしたり(攘夷のために倒幕したはずが、よく分からない状態になったり)、敗戦を迎えたら、コロッとGHQの犬になったりしている。「適わない」という現実を直視できない者は、逆に、直視する局面になると目がつぶれて、えてして真逆に転じたりするものだ。

さて、先般の参議院選の際に盛り上がった排外的動きを見ても、今回の高市発言への中国の過剰な反発という日中対立を前にした国内世論を見ても、何となく威勢の良い「攘夷派」が大きく台頭してきているように感じるのは私だけではないと思う。ただ、果たして、彼ら・彼女らのどれだけ多くの方が、実際に海外勢の力の強さという現実を直視できているのかは、はなはだ疑問である。

手も足も出ず敵わないのだから、進んで海外勢の軍門に下れ、と言っているわけではない。ここで参考にすべきは、青山社中の名前の元になった亀山社中を構築した坂本龍馬、その坂本龍馬が私淑した幕閣の勝海舟のような在り方ではないか、ということである。つまり、メタ的な攘夷、真の(今流に書くならば“シン”の)攘夷が必要なのではなかろうか、ということだ。

もともと、剣の達人である坂本龍馬は、江戸の三大道場である千葉道場(桶町千葉)で免許皆伝となるほどの腕を磨き、当時の時代の趨勢もあって、過激派攘夷集団である土佐勤王党の一員となる。しかし、果たして「剣」で黒船に立ち向かって攘夷が出来るのだろうか、との疑問を恐らく頂き、脱藩して広い世界を見る中で、勝海舟のような意味のある攘夷姿勢、すなわち、単に異人を斬りに行くような攘夷ではなく、また、無謀な戦争を外国に仕掛けるような攘夷でもない、メタ的なシンの攘夷姿勢に共鳴し、弟子入りをする。

すなわち、①強大な海外勢を前にして、国内でやれ佐幕だ倒幕だ、薩摩だ長州だと内紛をするのではなく、②外敵は主に海からくるわけでもあり、軍艦などの海軍力を整備するとか、国力を上げるという「メタ的」で「シンの」攘夷姿勢に共感するわけである。そんな中、剣を捨て(剣術に没頭しないという意味で)、強い海軍創設を目指すことになる。

幕閣で海軍奉行並だった勝海舟は、幕臣の子弟や各国の藩士や、龍馬のような浪人まで幅広く人材を集めてその育成を図るわけだが、大阪で仮の形で創設し、神戸に本格的に設けた新たな海軍塾の塾頭に、何と脱藩浪人の坂本龍馬を抜擢する(途中、脱藩の罪を土佐にかけあって許してもらったりもするが)。

勝の失脚などもあって、海軍塾の活動は沙汰止みとなり、龍馬を中心とする浪人集団は、長崎に亀山社中という新組織を立ち上げることになるが、これはやがて出身元の土佐藩などと連携しつつ「海援隊」という形に昇華していく。

渦中の龍馬は、亀山社中や海援隊を基盤として、薩長同盟や大政奉還のアレンジにおいて一定の役割を果たし、「国内での内ゲバを避けつつ、メタ的なシンの攘夷をする」という信念を貫くわけだが、その姿勢は、現代においても参考になるのではないか。勝手ながら、いよいよ青山社中の意味が増してきているような気がしている。

3. これからの青山社中と日本「改援隊」構想

もちろん、現代日本において、日本人・外国人を問わず、犯罪についてしっかりと取り締まること、或いは、例えば投機目的の短期的な土地やマンションの売買を取り締まることは必要不可欠であろう。ただ、視野の狭い形で、排外的な思想を全面に出して取り締まりをすることに、果たしてどれだけの意味があるだろうか。経済力・軍事力で叶わない巨大な敵を前に、小さな剣を振り回していても限界がある。

あたかも幕末の異人斬りのような光景、或いは、無謀とも言える薩摩とイギリスの戦争(薩英戦争)や、長州藩と四か国艦隊との戦いのような光景を繰り返しても意味がない。それらの行為に全く意味がないとは言わないが(日本のサムライの気迫を見せつけた等々)、大勢には影響がなく、もっともっと別にやるべきことがある。

逆に、海外勢には敵わないと、進んで外資系企業の傘下に入ったり、外資系がもたらす資金の恩恵にいそいそとあずかろうとしたりする姿勢も、ちょっと頂けない。自動車産業の影も形も国内になかった時代に自動織機から車に乗り出した豊田家や、渡欧して西洋文明に圧倒されつつも「今日の冨庶は欧州も40年あまりで築いた」(ので、日本はもっと早く追い付ける)と嘯いた遣欧使節団のような気迫もまた大事である。

すなわち、本当に必要なのは、冷静でかつ気合の入った姿勢、当時で言えば海防力をつけるような国力を高める工夫に突き進むという勝海舟や坂本龍馬が取ったアプローチであろう。

当時の一流道場だった(江戸三大道場だった)千葉道場で腕を磨いて免許皆伝となった坂本龍馬が、ある意味でその無力さを悟ってより広い世界で羽ばたこうと剣を捨てて、海軍構築に走ったように、私も15年前に霞が関を飛び出した。

東大やハーバード行政大学院を出て、官僚として、一流の方々とともに政策作りに励んではいたし、また、その霞が関の「刃」をより研ぎ澄まそうと霞が関改革も模索してグループも結成し、改革をある程度実現したが、残念ながら、政治や行政という「刃」では、どうしても斬れないものがあると感じた。

そして、政治に行くでもなく、浪人となって現場を見ているうちに感じたのは、一度目の敗戦(幕末:160年前)、二度目の敗戦(先の大戦:80年前)の後、それぞれ、1度目の奇跡の逆転(富国強兵による列強の仲間入り)、2度目の奇跡の逆転(高度成長を経ての奇跡の経済大国化)の原動力となった2つの点、すなわち、①日本人個人個人のリーダーシップ(始動力)、②そうした人材を生み出した日本各地の地域のレジリエントな力が、かなり失われてしまっているという現実であった。

日本の各地は、自治体ベースで、もはや、消滅可能性都市が約半分となっている。長年にわたって継承されてきた祭りや文化や街並みやコミュニティが、人口減や都市流出で崩壊しつつあり、そこで培われてきた人材育成の力、すなわち、世のため人のために尽力する、時に勇気を振り絞ってチャレンジするという人材を生み出す家庭・地域教育がなくなり、とにかく塾に行って高偏差値の学校を目指して、「儲かる職業・安定している職業」に就くことばかりが奨励されている。

また、当時で言えば海軍にあたるのが、企業内起業のような動きも含めての、ベンチャー企業・メガベンチャー企業の存在であろう。GAFAMやNVIDIA、中国の新興企業たちなどが黒船だとすると、日本の企業はそれらに全く太刀打ちできず、差は広がる一方である。

消費税をなくすなど、政府による経済対策、成長戦略作りがしっかりできれば、すなわち政治や行政がしっかりすれば、あたかも日本は簡単に復活するような言説が政治やメディアの世界を中心に跋扈している。

政権が代わったり、しっかりした政党が力を持ったりすれば、そして、財務省を解体すれば、日本は簡単に良くなるような幻想を抱いている国民も少なくないのかもしれないが、私の感覚だと、残念ながら、政治や行政には解はない。

戦後の奇跡の復活、ソニーやホンダを産んだのは、政策や政府の成長戦略ではない。人材や地域の力だ。政治や行政に出来ることは、無から有の創出ではなく、基本的には分配である。

今年の初めから、青山社中で月に一度ほど、元官僚、元首長などが集まって、上記のような議論を積み重ねてきている。具体的には、日本の改革を進めるような社会運動を地道に広げていくこと、すなわち、①人材の育成、特にリーダー(始動できる人たち)育成を大規模に進める、②地域活性を大きなスケールで進める、③規制の改革などや伴走型の成長支援などによって日本からメガベンチャーを生み出して行く、ということが企図されている。

亀山社中の後に海援隊が生まれたように、青山社中から、今後の日本の改革を支援する「“改”援隊」が生み出せないかと議論を重ねており、少し目途が立ってきた。具体的に検討されているのは、一般社団法人としての日本改援隊を構築して、多くの賛助会員などを募り、株式会社日本海援隊も同時に設立して、地域や企業向けのコンサルを進め、そして、ファンドとしての改援隊も構築して、地域やメガベンチャーなどの成長を促すという3本柱である。

気が付けば世界ではSDGs的なリベラルな世の中(環境や人権や平和を大切にする“偽善的”な世の中)が一変してしまっている。中国、ロシアはもとより、民主主義の旗手だったはずのアメリカにもトランプ政権が生まれ、自国の利益誘導を露骨に行い、外国人を排斥して時に武力行使も辞さないという偏狭なる右派の世界(“露悪的”な世の中)が普通になってきてしまった。

そうした世界的な激動の時代にあって、日本の置かれた状況はかなり厳しいものがあるが、我々は設立当初からブレることなく日本の活性化を目指してきている。そして、引き続き、青山社中は、「改援隊」に脱皮することも模索して、今日も歩みを続けていく。

どうか、読者諸賢にあっては、これからも温かく見守って頂き、時に手を差し伸べていただければ幸いである。