米国嫌いだからといって『中国の言い分を丸呑みにするリベラル』に未来はあるのか?

先日、僕の本の担当編集者だった梶原麻衣子さんが以下のようなXポストをしていて…

僕はこれを見つけた瞬間、

あ、これは内田樹さんだろうなwww

…と思ったら本当にそうでしたね。

該当ポストは以下に貼りますが、今回はこのポストで述べられているような「中華世界の共有常識」に対して我々日本人はどう立ち向かっていけばいいのか?という話について考えます。

高市総理の発言が妥当だったか軽率だったかとかそういう話を超えて、急激に成長した自分たちの大きさを扱いかねているような危うい隣国とどう付き合うべきか?というテーマをどちらのサイドからも歩み寄れる形で考察したいと思っています。

1. 「中華世界的美しき安定」は現代にありえるのか?

上記ポストはめちゃ読まれていたので、色んなコメント欄のツッコミが入っていますが、最大の問題はコレ↓なんですよね。

ほんまこれやで!って話で、さらにいえば香港の民主主義もペッシャンコにされてしまってますよね。

百歩譲って!ですが、「中華文明の本来的な形」とかをもし尊重する意味があるとすれば、

本当に本当に中国の指導者が、まるで中国の古典に出てくる聖人君子みたいな存在が未来永劫その地位につき続けるというのならば、まあそりゃそれでいいと感じる人もある程度は出てくるのかもしれないが・・・

って話で、

実際の”あの”中国共産党指導部に対してそんな権力を認めるみたいなのが、本当に「理想」だと考えてるんですか?というのはめちゃくちゃ大問題

ですよね。

実際、これだけ自由主義的な議論環境が普及している現代において、「高位者のメンツ」が決して傷つかないコミュニケーションが常時行われるみたいなことは絶対不可能なんですよ。

で、それに対して、「ちょっとでもメンツが傷ついた」と高位者が思ったらめちゃくちゃエスカレートして四方八方に威圧を加えまくるみたいなことを現状の中国政府はやってるわけで、もう既にその時点で「王道」どころか「ガチ覇道」そのものじゃないですか。

だからこそ、単に「中華文明ではこうなんです」とかをそのまま認めるわけには絶対いかない。

ほっとくと「権力を一点に集中させようとする」「強い者が弱いものを好きにしていい方向に動く」傾向に対して、ちゃんと「拮抗する力」を与えていくことは、

高市政権とかアメリカが好きか嫌いかとは全く別の次元で自由主義陣営に生きる誰しもが真剣に考えなくてはいけない課題

…なわけです。

2. 「中華文明的本能の安定」を尊重すればこそ、”むしろより切実に”国際社会の関与が絶対必要な状況になっているという理解が必要

一方で、上記ポストのコメント欄にはこういうの↓もあったんですが・・・

まあだいたい上記のような視点であるなら意味があると思う人も多いと思うんですよね。

台湾の人たちのだいたいの意向として、

・「即時独立派は多くない」
・「直近では現状維持派が圧倒的に多い」
・「とはいえ中国との統一を望むのは極少数」
・「ただし超長期的には独立志向が多数でもある」

のは有名な話ですが、この「曖昧な関係性」の背後にはある種の「中国文明的な本能」があるのではないか、というのを、「知識として知っておくことの有用さ」自体はあると思います。

ある意味で、中国政府側から見て「中華世界の中心は俺で、あれは朝貢してきてる国みたいなものだから」みたいな「気分」をもたせておくことが、台湾問題がガチで戦争にならないために大事な「配慮」だという「現実的なレトリック」の問題であるならばわからなくもない。

なぜなら、そもそも日本などの周辺国や国際社会が考えている、台湾の領有に関する法的問題の細部も「そういう配慮」によって成り立っていると言えるところがあるからです。

例えば、台湾の問題に関する重要な事実について専門的かつものすごくわかりやすく書かれた以下の記事を読んでみるとわかりますが・・・

新聞ですら間違えた「台湾問題」に対する日本政府の立場。「日本は台湾を中国の一部と認めている」と思い込む人たちの課題
11月7日の衆議院予算委員会における高市早苗首相の「存立危機事態」に関する答弁が、いまなお大きな波紋を広げている。高市首相は「台湾に対し武力攻撃が発生する。海上封鎖を解くために米軍が来援し、それを防ぐ…

上記記事から引用すると、

「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」というのはあくまで中国側の主張であって、日本はそれを「承認(recognize)」しているわけではないということだ。日本は、中国がそのように表明している事情を「十分理解」し、その意見を「尊重する」と述べることで、相手のメンツには一定の配慮を示しつつも「賛同はしない」、しかし「議論の余地は残す」という外交の妙味を持たせている。

要するに台湾に対する日本の態度は、「中国政府が台湾は中国の一部だと思っていることは理解する」と言っているだけで、その「領有を認める」とは言っていない(上記記事では、英語・中国語の両方の版でも同じように細心の注意が施された表現になっていることが論証されています)。

ネット用語で

「そんなにいうんならそうなんだろう、お前の認識の中ではな!」

っていう表現ありますけど、要するに日本の台湾に対する態度は公的に「まさにそういうスタンス」なのだということです。

そしてこの「曖昧さ」の本質を考えると、

これはまさに、「中華世界の夢に浸ってる人たち」のメンツは維持してやるが、それが「現実の一線を踏み越えることは容認していない」

…という、国際社会が台湾問題に対して維持している一線そのものだと言えるでしょう。

さて、この「事実」を丁寧に確認した上で、私は何が言いたいのでしょうか?

それは、

もし内田樹氏が言うような「中華世界の本能」みたいなものをある程度現実的レトリックとして尊重するとしても、それでもなお、国際社会の意志によって緊張関係を保ち、台湾の独立性を維持する配慮は必要なのだ

・・・ということです。

3. 「中華世界の論理に理解を示す」としても、今の均衡を守るための努力は最低限必要

要するに、

「完全に欧米的メカニズムで台湾を独立主権国家として扱う明快さを常に振り回すと中国を刺激しすぎるので曖昧にすることが大事だ」

↑コレに合意するからといって、それは決して、

中国の言い分を丸呑みにし、台湾は中国の内政問題だから中国共産党政府が好きにしてよい。まわりは口を出してはいけないのだ

↑コレに合意することには全くならない!

…ということです。

高市政権をはじめとして日本の右派勢力は、ここで「台湾問題」を単純な「主権国家」的枠組みで考えて、中国側を過剰に刺激しすぎる言動をしがちだ・・・という意見は、一考の余地ぐらいはあります。

それは過剰に火種となるからやめたほうがいいという現実的な「レトリック」の問題ならば、それに合意する人は多くいるでしょう。

繰り返しますが、「レトリック」の話であるならばOK。

しかしだからといって!

もし「台湾に対する国際社会的な監視による緊張感の維持」が全くなくなってしまったら、それはもう内田氏がいうような、

「辺境」は「独立」を明言しない限り「高度な自治」を許される

みたいな、牧歌的な古代中国の聖典にあるような理想とは全く程遠い状況になってしまうのは明らかです。

今の中国共産党政府の「日常の振る舞い」を見ているだけで、ウィグルやチベット、そして香港の民主主義が「ペシャンコ」になってしまったような圧力を、台湾にも当然かけざるを得なくなるに決まってますよね。

最初のハネムーン期間だけは「大人物の余裕」を見せるでしょうが、そのうちなにかのキッカケで急激に抑圧をエスカレートさせるに決まっている。少なくとも「そう思わせる」だけの行動を彼らは毎日やり続けている。

「ほんのちょっとのトップのメンツの問題」でもチャレンジされたら上から下まで荒れ狂って次々と経済的抑圧を仕掛け、末端の外交官までアニメの悪役みたいな暴言をSNSで吐きまくるような政体が、「中国古典の聖典の”王道”を行く聖人支配者」みたいな動きをするはずがない。

内田氏がいうような「中華的本能の仕組み」に配慮を示すことは、むしろ「台湾に関する国際社会の関与と均衡による独立の維持」にちゃんと関わる必要性を”むしろ切実に必要としている”ことなのだと言えます。

4. 高市総理の発言を批判したいなら、ちゃんと代替可能な「受け皿」にならないと!

高市総理の発言については、もっと配慮があったほうが良かったと考えている人もいるでしょう。自分は必ずしもその意見にくみしませんが、そう考える人がいる理由は十分理解できる。

一方で、「高市発言はやりすぎ」だと考える政治グループが、内田樹氏みたいな発言を丸呑みにして、ただ「中国共産党政府の言いなり」になることを求める言説をするのは全く容認できない。

そんな「美しい中華古典的体制」を本当に維持するためにも、台湾が今のように「国際社会の関与における曖昧な拮抗関係」にあることがむしろ必須不可欠なのです。

そこがダダ崩れに「中国の直接の支配」になってしまったら、「皇帝陛下の巨大なご温情により辺境には高度な自治が・・・」みたいな事は決して実現するはずがない。

SNSにクマのプーさんの写真上げることも禁止される政体になるに決まってますよね?

そのことについての「責任感」を、今リベラル勢力が持てるかどうかが、「高市政権を代替したい」と思うのならば最低限必須不可欠な条件なんですよ。

5. 「やーいトランプに怒られてやんの」じゃないでしょ!

実際、今は中国が長年の間、自由主義経済国家には決してできない「レアアース資源の武器化」を行って、トランプ政権の圧力も腰砕けになってる状況ですから、中国がトランプと会談して、なんとか日本の頭越しに解決しようとすること自体は理解できる。

トランプも、中国がおみやげに色々な経済的条件を提示してきたんだから、「おう、日本には”まあ程々に”ぐらいはいうとくわ」ぐらいになってもおかしくはない(反・高市派がいうほどそんな強い表現じゃなかったみたいですけど)。

でもそういう状況に対して、日本の右派やアメリカが嫌いだからといって、

「やーい、トランプに怒られてやんの!ばーかばーか、バカ高市ー!」

…みたいなことを大合唱している勢力が、本当に「次の日本の政権を担う」役割として信頼されると思ってるんですか?って話なんですよ。

トランプが、国際的な平和や秩序の維持より「ディール」で適当な決着を目指すことに「反対してきた」のがリベラルの正道じゃないんですか?

考えてみてほしいんですが、「同じような状況」として、その中国の動きと連動し、ロシアがトランプにはたらきかけてウクライナにとって非常に不利な条件のディールを飲ませようとした時に、欧州はどうしたか?

あの!なかなかバラバラでまとまらないので有名な欧州が急激に団結して、そのディールの内容をもっと「現状の秩序が維持される」方向に修正した案をねじ込む動きを見せましたよね?

同じように考えるならば今、リベラル側が喫緊に最重視しなくてはならないことは、トランプと中国が「実利でディール」して台湾を手放して東アジアを中国に飲み込ませたりしないように真剣に働きかけることであるはずです。

「リベラルの精神」というのは、単に「自民党がいうことの全部逆を言ってやる!」的な脊髄反射をすることなのか?

それとも、「世界観自体は違うとしても、自分たちなりに一貫したリベラルの原則を守った旗印を掲げること」なのか?

その違いがここで問われているんですね。

6. 自由と民主主義の連帯を日本ベースでいかに作れるか?

中国側の圧力に対してどう対処すべきかについて、「リベラルならこう考えようぜ!」という見本みたいな記事として、普段保守派から常にバッシングされてる阿古智子さん(東大大学院教授)のこの記事が大変良かったです。

ここへきて中国の言論統制・経済状況が悪化…多くの人が理解できていない「中国関係者の暴言・無礼」の構造
11月7日の衆議院予算委員会における高市早苗首相の「存立危機事態」に関する答弁に中国政府が反発し、日本への渡航自粛要請を出すやいなや、日本行きツアーの中止や留学プログラムのキャンセルなどが相次ぎ、日本行きの航空便も減便されている。19日、中国政府は水産物の輸入を停止する方針を日本に示した。

(上記記事から引用)

こうした中国のナラティブに対抗し、日本の立ち位置を説明する際に、私は日本が民主主義国家であること、その前提で他国との関係を構築する必要があることを強調すべきだと考える。民主主義の原則に基づくなら、中国と台湾がどうあるべきかについては、当事者である中国と台湾の人々が議論して決めるのであり、一部の権力を持つ人間が独占的に判断すべきではない。(中略)
これは日本にとって内政干渉ではない。戦後日本が並々ならぬ努力を重ねて作り上げた民主主義を存続させることは、日本にとって死活問題である。民主主義を普遍的な価値とする国際秩序を、権威主義が脅かす構造を何としても変えなければならない。(中略)
中国共産党政権の過酷な環境で苦しむ人に同情し、リスクがある中でも良心と勇気を持って行動しようとする人々をさまざまな形でサポートすることが権威主義国家の基盤を崩し、日本の民主主義を守ることにつながる。さらに、この厳しい状況の下では、権力に擦り寄り、嘘と欺瞞に塗れた生活を送っている人もいるという現実を、できるだけ冷静かつ客観的にとらえ、対策を考える必要もある。
戦後、日本人が享受してきた民主主義と自由、そして平和はこれからも無条件で続くわけではない。自らが意識してリスクを管理し、方向性を定めていかなければ、知らず知らずのうちに進みたくない方向に進み、取り返しのつかないことになる。日本人は今こそ、「平和ボケ」の状態から脱却しなければならない。

国家間に見解の相違があるからといって、渡航者を急激に制限するとか、日本人アーティストの公演を中止させるとか、その他アレコレの圧力を加えるなどというのは、そもそも根底的に自由主義経済の基礎から言って問題外の「ならずもの」行為なんですよ。

シンガポールの首相がやたら日本サイドに立って発言してくれていることからわかるように、いまさら「1945年の勝敗」を金科玉条のように振りかざして、そんな大昔の歴史的事実を根拠として「”今現在”の他国への国家的圧力を正当化する」みたいな行為が、広く理解を得られるはずがない。

そういう無茶を放置してきたのは、結局どうすれば戦争を回避できるのかについて真剣に考えるのではなく、「戦争責任勢力」扱いしやすい自分以外の誰かに全部の罪をかぶせてレッテル貼りをすることしかしてこなかった欺瞞が、まわりまわって中国政府やプーチンによるロシアの暴走を生んでいるとすら言える。

過去に韓国やオーストラリアに中国が圧力をかけた時も、自由主義国家の中での中国への「根底的な敵意」を刺激するだけで終わった。

そこにある「自由主義を信じる人々の連帯」こそ、日本が寄って立つべき旗印なはずですよね。

高市氏の発言が多少浅慮があったからといって、リベラルの本当の原則をないがしろにするような言説に踊っていて、本当に「高市政権よりも自分たちの方が日本をリードするのにふさわしい」という信頼が得られるのかどうか?

そこを真剣に考えるべき時だと言えるでしょう。

7. 中国は20年単位では最強。しかしその先は・・・

中国は手強い敵です。まさに「孫子の兵法」よろしく、長期的に自分のち穂を固めるべく、自由主義社会ではなかなかできない一貫した戦略を打ってくる。

そんな強大な敵の野心に、われわれ自由主義社会はどう対抗していけばいいんでしょうか?

それは、中国は「20年単位」の戦略は圧倒的だが、更にその先の長期戦略は苦手だ・・・という点をいかに突いていけるかです。

20年かけてレアアースを圧倒的に「武器化」するようなことは自由主義社会には決してできません。

一方で中国には、その「20年単位の一貫性」を維持するだけの「権力の中心」の強大さを確保するために、やたら「トップのメンツ」を決して茶化せない国になってしまい、ちょっとした刺激で激昂してまわりに威圧を加えまくってしまうという「弱点」もある。

実際、高市氏の発言は実質レベルで見れば「過去の延長」をちょこっと具体的に述べた程度のことであり、それに対して「最大限に上から下までエスカレートして威圧しまくる」ようなことをしていたら、周囲の国は当然警戒しはじめます。

そこが「自由主義社会」ならではの強みとなる。

ある意味で「アベ●ね」みたいなことをいう勢力すら放置している国と、クマのプーさんの写真のSNS投稿すら時に規制されたりする国との圧倒的な違いがそこにある。

「自分たちは当然のように普通に」しているだけで、中国は「まわりを威圧しまくる」態度を取り続けなくてはいけなくなる。

そこにこそ、自由主義社会の勝ち目が存在する。

そうやって「中国側の威圧」によって惹起される自由主義社会の連帯心を形にし、長期的なリスク低減や「中国をバイパスした産業サプライチェーン」を作ろうとしていくとき、そこに「日本」という存在の唯一無二の勝ち筋が見えてくるでしょう。

「アメリカに対して従属的」なのを苦々しく思う人達の無念は、単に本能的に「反米」するだけだと袋小路になってしまいます。結果として「媚中」になるだけで、そのうち中国の支配が進めばプーさんの写真をSNSにアップするのも難しくなりかねない。

むしろ「自由主義社会を維持するための連帯」をリードする存在となることによってのみ、単なる「米国追従」ではない本当の日本の独立性、自律性を切り開いていくナローパスが見えてくる。

今まさにそこに進めるべきチャンスが来ているのです。

それをリードするのは、高市政権的な保守派なのか、それともリベラル側なのか?

どっちだってありえると思いますが、少なくとも左派が「中国サマの言い分」をただ垂れ流す何の一貫性もない脊髄反射的な意見しか持てない状況を放置しているようなら、日本国民が高市政権を支持することも当然の結果としかいいようがないですよね。

単に「あいつムカつくから悪口言ってやれ」「あいつ嫌いだから逆が正しいってことにしよう」みたいなレベルの話じゃない、本当の「今後100年の国家戦略」をこそ、競い合うべき時が来ているはずです。

(以下、お知らせ3点の後もう少しだけ続きます)

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長い文章をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここから先は、以前も少し話したことがある話題のように思いますが、「中国人との付き合い方」の話をしたいと思います。

これは、さっきちょっと「お知らせ3」で話した「文通の仕事」でやりとりしていた多国籍企業で結構ご活躍されていた女性が言っていた話なんですが・・・

中国人の同僚になにか頼む時には、「あること」をちゃんと話すことが大事だ・・・という話。

これは結構、納得感あるし、個人相手だけでなく、国家間のやりとりでも似たような問題はあるはずだと思います。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年11月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。