1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足して以来、平成を通じて “歴史修正主義” といえば絶対悪の代名詞だった。とりわけ学者の世界がそうで、ほとんど “人種差別主義” と同じくらい、存在自体が許されないものという感じだった。
とはいえ、まじめな研究の結果として歴史像が “修正” されることは常にある。それに乗って「歴史修正主義のなにが悪い!」と居直る人もいる。なのでより強い言葉で非難する風潮が、令和の歴史学界にはあったりする。
たとえば、2021年に出た本には、
最初から事実と異なる歴史像を広める意図であからさまに史実を否定する主張を、欧米では「歴史修正主義」ではなく「否定論」(denial)と呼ぶようになっている。こうした主張をする人は、「否定論者」(denier)と呼ばれる。こうして意図的に歪曲された歴史記述が選り分けられる。
日本では、歴史修正主義と否定論は必ずしも区別されていない。
中公新書、ⅲ-ⅳ頁
(強調を付与)
と、書かれている。単に過去の「解釈を書き換える」に留まらず、あった史実を「抹消する」タイプの議論(ホロコーストはなかった、とか)は、歴史修正主義よりも “もっとひどい悪” として、呼び分ける風潮があるわけだ。
そんな究極の悪を、歴史否定主義と名指したりする件については、いまやWikipediaのページまで立っている。”Erasing History” なる物騒な原題の書物も、今年邦訳が出たりした。
……が、真に受ける人は、もう居ない。
当の歴史学者自身が、自分に都合の悪い過去は「解釈を変える」——すなわち反論するどころか、削除を要請し抹消して回っていることが、SNS時代に知れ渡ってしまったためだ(笑)。
当の私も近日、まさにこのnoteに載せた記事への反応を通じて、実態を痛感した。今年がおわるまえに、そうした歴史否定主義への抵抗として、しっかり文字にして残しておこう。
① 渡邉英徳・東京大学教授の場合
この人はAIを使い、主に昭和史の写真に色を塗って書籍化するのが仕事で、ベストセラーもある著名人である。私は11/17に、彼を批判するnoteを公開し、翌日にアゴラにも転載された。
これに対し転載当日の11/18に、アゴラの編集部から「渡邉氏から削除の要請が来た」旨、連絡があった。一貫してキャンセルカルチャーに反対してきたアゴラが、そんな圧力に屈しないのはもちろんだが、驚いたのは渡邉氏の言い分である。
渡邉氏はなんと、noteに対しても私の記事への削除要請を出しており、だからアゴラも削除せよと伝えたという。noteが拙記事を「削除した」ならともかく、「よそで申請したからお前も消せ」とは、どういう了見なのか。
もちろん、noteは私の記事を削除していない。ファクトに基づく意見論評で、消せと言われる理由がそもそもないからだ。
ファクトとは、今年8月に出た渡邉氏に対する民事訴訟での賠償命令のことである。共同通信が一度は報じたにもかかわらず、なぜかリンクが切れていたのを復元したのだが、
詳しくは上記の拙記事を
ますます驚いたことに、渡邉氏はアゴラに対して、この共同の記事はもともと自分が抗議して消させたものだ、だからそれを引用した與那覇の記事も削除せよ、と要求していた。
歴史家な以上、もし共同の記事に事実誤認があるなら、それを公開の場で具体的に指摘し、堂々と反論して訂正を出させればよいことだ。それを見えない場所でもみ消したばかりか、「復元したお前も消せ」とは、居直り強盗に等しい理屈だろう。
その史料は「終戦時に焼いたはずだ」、だからそれを使った史実の復元は認めない! と叫ぶ人がいたら、まごうかたなき歴史否定主義者である。かような人物が “AIで色塗ったから歴史” と自称する時代の問題を、われわれは問い続ける必要がある。
② 玉田敦子・中部大学教授の場合
この人は、2021年4月に出たオープンレターの署名者として、ネットでは知られている。今年の11/27にも、著名な事件の加害者と被害者を逆に報じる名誉毀損をやらかしたので、同月29日に以下のnoteを出した。アゴラへの転載は11/30だ。
例によってアゴラから「玉田氏から削除の要請が来た」と報告があったのは、12/8。玉田氏はあれこれと(彼女にとっての)理由を並べたそうだが、呆れたのは、上記の拙稿の
この玉田氏についてはもう一件、”やらかし” を知っているのだが、そちらはまた今度にしよう。
(強調は今回付与)
との一節に、中傷だとクレームをつけたことだ。
人生で自分は「一度しか “やらかし” なんてしてない!」というのは、結構な自信である。その1回が次のものという時点で自慢できる話ではないが、この玉田氏の主張は正しいだろうか。
彼女も署名したオープンレターが4月に出たが、まだ批判が高まる前の2021年10月8日に、「学会とSNS、人文学のあれこれ。」というまとめ記事が出ている。なぜか先のリンクを踏んでも表示されないが、仔細はこうだ。
非常勤の男性研究者が、玉田氏と重なる時代のテーマを研究会で発表した。聴講した玉田氏が、
とツイートしたのが、炎上の発端だ。これを信じると、当該の男性は「女性の学者は女性が残した史料しか読んでおらず、彼女らの研究は偏っており、自分に劣る」という趣旨の、女性差別的な発言をしたことになってしまう。
男性の側はツイッターで即座に「そんな発言はしていない」と反論したが、衝撃的なことに、
男性研究者のツイート
なんと玉田氏は、自分が遅刻して報告の全体を聞いていないのに、いっちょ噛みの「聞きかじり」で、(自分より立場の弱い非常勤の)男性研究者を非難するツイートを発していた。控えめに言って “やらかし” である。
この場合、被害者の抗議に接して玉田氏が誤解を謝罪し、訂正すれば済む話なのだが、それができないのが日本の学者だ(失笑)。むしろ正反対の対応をとり、自ら傷口を広げる。
男性研究者のツイート
輪をかけたのは、噂が広がるのは「被害者にも損だ」なる理屈で、玉田氏の加害行為そのものを隠蔽しようとした、周囲の西洋史研究者たちのツイートだった。たいそうご立派な歴史否定主義だが、これが著名な識者の目につき、批判される。
池内恵氏(イスラム研究者)
東浩紀氏(哲学者)
批判の相手は田野大輔氏
文脈を補うと、オープンレターの契機となる歴史学者の騒動が起きたのは、同じ年の3月。その被害者が「なにがあったかを知ろうとするのも二次加害!」と言わんばかりの言動を展開し、実際に多くのまとめ記事が非公開になっていた。
なおその “被害者” 氏、十分まとめが消えた後で、なにがあったか語る相手を「事実誤認!」だと中傷してきたので、事実はこうでしょうと史料を発掘して突きつけたら、黙った。うおおおお歴史学とはジッショー!!(笑)
ところが4年も経つとその教訓も薄れ、オープンレター署名者の玉田敦子氏のように、「もう “やらかし” の記録は消されて、復元できまい」と居直って、因縁をつける歴史学者が出てくる(苦笑)。
なお、この玉田氏が行った削除要請について、12/17にnoteの運営から連絡があった。その仔細を報告し、さらなる問題点を検証する論考も、まもなく公開し以下に掲げる。
③ 令和にふさわしい人文主義とは
かつてアーレントは、ナチズムすら記憶を完全に抹消する “忘却の穴” は作り得なかったと論じ、その当否が平成では論争を呼んだ。だが令和のいまや、歴史学者が率先して「削除要請で忘却の穴は作れる!」と居直っている。
なんと、醜い集団だろうか。
そして、こうした問題をガン無視しながら、「インフルエンサー」どうしで言及しない・評価を寄せないという “忘却の穴2.0” を作り出し、俺たちが新しい人文主義ですと誇る人びとの、なんと軽薄で無責任なことだろうか。
当初は本人自身が「見て見て!」と誇示しながら、大炎上し擁護する方が勇気の要る状態となるや、黙って支持者が去ってゆく点で、2021年に玉田敦子氏が署名したオープンレターは、25年の令和人文主義に重なる。
そして、視野から “消して” しまえば存在しないのと同じとする発想と裏腹の、色を塗って “見せて” あげればそれが歴史だという感覚は、渡邉英徳氏のAI着色が、まさに依拠するものだ。
SNSを通じて多メディア展開する学者たちが映し出す、みじめな令和の時代相。その本質にあるものとは、なにか。
年末の大火となった「令和人文主義」論争の中で、最も辛辣だが的を射た評言に接したのは、12/12に出た年間読書人氏の以下のnoteだった。いわく、「100円ショップ人文主義」。
「令和人文主義」は、日本の経済的な貧困化と、それに伴う精神的な余裕の喪失(精神の貧困化)を背景とした、さまざまな事象における「100円ショップ商品化」の一形態なのではないだろうか?
(中 略)
「令和人文主義」は、庶民大衆をターゲットとし、「お客さま」として媚びてみせるものだからこそ、「皆さんの見ているものこそが真実。哲学者や思想家の語る小難しい話など、浮世離れした戯言にすぎないのです」なんていう調子にもなるのだ。
(強調箇所を変更)
そうした知の100円ショップ化を先導し、居直ってきたのは、人文学でもはたしてどの分野だったか。一方でそれに抗する者は、ほんとうにその分野には居なかったのか。
歴史学者自身が手を染めてきたから、ひときわ醜悪に映るだけで、戦後80年を閉じるいま、自らの歴史否定主義の清算と無縁でいられる分野は、おそらく1つもありはしまい。
参考記事:
(ヘッダーは、戦後80年目の中日新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。