とくに英文学に詳しくなくとも知る人の多い、「吠えなかった犬」というシャーロック・ホームズの挿話がある(白銀号事件)。番犬が不審者を見かけて吠えたことではなく、むしろ問題の夜には吠えなかったことを手がかりとして、探偵が事件の真相を見抜く話だ。
前回(連載第5回)の内容に対して、「さえぼう先生」こと北村紗衣氏から連続して10ツイートを超える反論が寄せられた(このツイートからのツリーとして、全体を読むことができる)。冒頭から「最初の與那覇記事のどこが間違ってたか全部指摘しましょうか?」(原文ママ)と宣言しておられるので、そこで挙げられているのが、私が3月28日に「論座」に載せた記事の(彼女にとっての)問題点のすべてということなのだろう。
むろん彼女の「指摘」には追ってお応えするが、冒頭に「吠えなかった犬」の挿話を引いたのは、北村氏がいったい何を述べて「いないか」に注目していただきたいからだ。私は、相手の主張を読者の目から伏せて議論を進めるようなアンフェアな手続きを踏みたくないので、ぜひ、彼女の一連のツイートを熟読してみてほしい。
呉座氏との関係においては、北村氏は明白に被害者であるので、私もこれまでは筆致を抑えてきたつもりだが、前回の連載に記したのは「3つの媒体が與那覇の寄稿を断ったのは、編集者が内容を『間違いだらけ』と判定したからだとする、北村氏の主張は事実誤認だ」という内容である。これに反論する際に必要なのは、たとえば「いや、私(=北村氏)は現に編集者に取材し、そうした証言を得た」といった調査結果であって、「とにかく私は與那覇の記事を間違いだらけだと感じた」という北村氏個人についての「事実」ではない。
長大な北村氏の連続ツイートには、「各媒体の編集者が與那覇の記事を『間違いだらけだ』と見なして、掲載を断った」ことの証拠となるものがあるだろうか?
ひとつもない。つまり、北村氏は根拠なしに「與那覇は、書いた記事が『間違いだらけだ』と編集者に見なされて掲載を拒否された、社会的に信用のない物書きだ」とする風説を流布しており、(呉座氏に対しては被害者であっても)私に対しては加害者の位置にあるのである。
私見ではおそらく北村氏も、自身のツイートが反論になっていないことには気づいているように思う。末尾で、以下のような挿話が披露されるのはそのためだろう。
北村氏は朝日新聞の社員ではないから、「書けと言ってきました」といってもむろん命令されたわけではなかろう。先の「論座」記事のリンクをTwitterで検索すればわかるが、当時は(北村氏を揶揄した)呉座勇一氏への憎悪感情が広がる中で、私の記事もまた――主に、後に4月4日のオープンレターに集うことになる面々によって――炎上させられていた。「論座」の編集部がそれに対し、問題の当事者だった北村氏に「與那覇の記事に批判があるならそれも含めて、主張される場を提供します」と申し出たとしても、なんら不思議はない。
もちろんそのオファーを不快に感じて断るのは北村氏の権利であり、現に断られた以上は「論座」側が詫びるのも当然であろう。しかし、それがなぜ「おそらく『論座』は載せた記事が不正確だったことは認識してる」(北村氏の原文ママ)と推測する根拠になるのか。もし編集部がそのように「認識」したなら、現に炎上まで発生していた以上、與那覇の記事は即日削除され、編集部名義のお詫びと訂正のコメントが出たはずであろう。
このように北村氏の反論のどこにも、「各媒体の編集者が、與那覇の記事を『間違いだらけだ』と見なした」ことの根拠になるものはない。むろん、それとは別個に「北村氏が」與那覇の記事に事実誤認だとクレームをつけるのは自由であるが、実は彼女の長大なツイートの中で、この「論座」の記事についての「事実関係」を争うものは、以下のひとつしかない。
さすがにこれには驚かされた。フォロワーではない北村氏には本来見る権限のなかった呉座氏の発言が流出し、結果として呉座氏が鍵アカウントを開錠(=誰でも閲覧可能に)して、大炎上する事態を招くきっかけとなったのは、3月17日の北村氏の以下のツイートである。
そして上記の呉座・北村両氏のやり取りに至る経緯――網野善彦をめぐる論争は、以下にリンクを張る「呉座勇一氏と北村紗衣准教授の揉め事について」の中央部にまとめられている(画像が多く、やや重いので留意されたい)。近日は嶋理人氏のように「リンクを踏めば証拠がある、と自称しつつ実際にはない」といった不誠実な叙述をする者もいるので(連載第4回)、北村氏が「論争」の中で発言されたシーンを、スクリーンショットでも示しておこう(まとめられている範囲では2度目の同氏の発言で、3月16日。1度目は15日)。
「冷笑系とかいう言葉あるでしょ」で始まる北村氏のツイートが、上記2枚の写真で共通する点に注目されたい。リンク先にあるとおり(繰り返すが、ぜひ実際に踏んで確認されたい)、当時のTwitterでは(呉座氏とも親交のある)歴史学者の亀田俊和氏が「網野善彦は左翼学者」という趣旨の発言をして論争を呼んでおり、多数の有識者を含む(まとめられている範囲に限っても)20以上のアカウントが盛んに自説を述べていた。
そのなかで北村氏が「冷笑系」云々のツイートを発したのに対して、呉座氏が(鍵アカウントの内側で)「妄想」だと批判し、これに反発した北村氏が呉座氏の発言の写真を公開した上で、さらに「他にも呉座氏は女性研究者の悪口を言っているんですか?」(大意)として情報を募るという構図である。
網野善彦をめぐる論争の中で、北村氏と呉座氏の意見が食い違い、とくに呉座氏の側が鍵アカウントの内側で応酬したことを不服とする北村氏が、呉座氏を批判しえる発言がないかと広く募集した。その結果として呉座氏が(過去の揶揄を)謝罪し、炎上に発展した。ここまで明白にツイートが残っているプロセスが、どうして、ことの発端に「「論争」などというものはありません」(北村氏の原文ママ)ということになるのだろうか。
「論座」の拙稿における表現面での北村氏の「指摘」や、「論座」以外の争点については次回お応えするが、こうした、あったものを「ありません」と公言してなかったものにする態度は、いわゆる(悪しき意味での)「歴史修正主義」であるとだけは明言しておこう。そして、なぜ北村氏が連載前回への「反論」としてそうした(アンフェアな)手法を取られたのかについては、私なりに推量していることがある。
おそらく北村氏は、①私(與那覇)が網野善彦を主題とする2本の学術論文を著し、その興味関心のために網野をめぐる「論争」を最初期から眺めていたことを知らず、むしろ呉座氏が炎上した後になって初めて「いっちょかみ」で、男性の側をかばい女性の側を叩きに出てきたのだと錯覚しているように思う。実際にプロセスの全体を見てきた者(與那覇)に対してまで、「「論争」などというものはありません」と言い放てる理由は、それ以外には想像しがたい。
そして②フェミニズムの現場では時として、たとえば女性の側が性的な行為への「同意」を否定しているのに対し、男性の側があくまでも「同意していた」と唱える場合に、「「同意」などはありませんでした」と主張すべき局面がある(むろんそれが正しいかどうかは、司法の場での審理を経た上で初めて判定される)。私は別にアンチ・フェミニストではないので、そのこと自体に異議はまったくないが、根本的に性質の異なる問題に対して安易に類似の話法を援用し、存在した論争をなかったことにすることは認められない。
もし私が北村氏の立場であったなら、調査不足のまま「與那覇は編集者に記事を『間違いだらけ』と判定されて寄稿を断られた」(大意)と書いたことに関しては、いったん謝罪した上で、「しかしやはり與那覇の記事内容には疑問がある」として論を進めただろう。なにがしかの理由でそうしたくない北村氏は謝罪をスキップし、一方的に與那覇の記事を攻撃することで乗り切ろうとした結果、多数のツイート(の画像)が現に残っている論争を「なかった」とまで、強弁せざるを得なかった。それが長大な彼女のツイートの本筋であると、遺憾ながら判定せざるを得ないであろう。
残された脇筋の諸問題については、元は歴史学者だったのなら「ちょっとはアーカイブをあさったらどうでしょうか」(原文ママ)とする北村氏のリクエストも踏まえ、自ら「あさった」資料とともに次回応じることとする。もっとも(元)歴史学者であれば誰もが知るように、史資料として現に残っている事実を「なかった」と主張する方との対話は非常に困難であるので、北村氏に直接お応えするというよりはむしろ、彼女のような振る舞いを生み出す「背景についての考察」を重視するだろうことを予告しておきたい。
(連載⑦に続く)
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與那覇 潤
評論家。歴史学者時代の代表作に『中国化する日本』(2011年。現在は文春文庫)、最新刊に『平成史-昨日の世界のすべて』(2021年、文藝春秋)。自身の闘病体験から、大学や学界の機能不全の理由を探った『知性は死なない』(原著2018年)の増補文庫版が11月に発売された。
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