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結論から言う。着物は自由だ。
いや、正確には「ふだん着物」は自由だ、か。この区別が大事なのに、なぜか誰も教えてくれない。成人式で振袖を着て、窮屈な思いをして、「もう二度と着ない」と思った人、多いんじゃないか。私もそうだった。
「新しい自分が動き出すふだん着物の魔法」(シムラアキコ 著)きずな出版
話が変わるようだけど、聞いてほしい。
習っていた茶道の先生——当時60代——がいた。お稽古が終わると、着物姿のまま自転車にまたがって「じゃあ、また来週ね!」と手を振って去っていく。その後ろ姿が、今でも目に焼きついている。
着物で、自転車。
乗れるんだ、と思った。というか、乗っていいんだ、と。
あの瞬間、私の中の「着物=特別な日のもの」という思い込みが、ガラガラと音を立てて崩れた。大げさじゃなく、本当にそうだった。
そもそも、かつての日本人は毎日着物を着ていたわけで。季節が変われば素材を変え、縫っては解いて、布の命を使い切る。それが当たり前だった。「ハレの日」だけじゃない。「ケの日」——なんでもない日常——こそ、着物の本来の居場所だったのだ。
それがいつの間にか、結婚式と成人式専用みたいになってしまった。おかしな話である。
で、私はどうしたか。
先生の真似を始めた。最初はデニムの着物から。洗濯機で洗えるし、多少汚れても気にならない。半幅帯を締めて、足元はスニーカー。これ、全然アリなのだ。草履じゃなきゃダメなんてルールは、ハレの日用。ふだん着物には関係ない。
着物のままコンビニに行く。ソファでうたた寝する。車も運転するし、新幹線にも乗る。何も制限されない。制限されると思い込んでいただけだった。
ただし——これは言っておかないといけない——自転車は注意が必要だ。オイルで裾が汚れるし、縫い目に負担がかかる。私も丈夫なデニム着物のときしか乗らない。先生みたいに絹の着物で乗る度胸は、まだない。
「クローゼットを開けてもときめかない」
最近、こういう声をよく聞く。わかる。洋服のコーディネート、正解がわからなくなってくるのだ。年齢を重ねると特に。何を着ても「なんか違う」。
そういう人にこそ、ふだん着物を勧めたい。
木綿、ウール、ポリエステル、デニム。選択肢はいくらでもある。絹みたいに水洗いできないわけじゃない。ザブザブ洗える。気軽なのだ。
帯を締めた瞬間、背筋がシャンと伸びる。これは本当。姿勢が変わると、気持ちも変わる。大げさに聞こえるかもしれないけど、世界があなたを丁寧に扱い始める——そんな感覚がある。道で見知らぬ人に「素敵ですね」と声をかけられることも増える。
魔法みたいだ、と思う。いや、魔法なのかもしれない。
まずは一着。休日の朝に袖を通してみる。それだけでいい。
自転車に乗るかどうかは、そのあと決めればいい。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムの形で編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)







