"決裂" が起きるときはつねに、物語がすれ違っている

谷川が「すべては1955年から始まるんです」と語り出し、虚を突かれた。一般的な戦後史の叙述では、公明党の結党は64年。前身の公明政治連盟も61年の結成で、それ以前に遡って語られることは、まずない。
(中 略)
ふつうの人が「55年体制」と呼ぶとき、内容は自民党結成と社会党統一に限られる。詳しい歴史書でも、共産党が7月の六全協(第6回全国協議会)で武装闘争を放棄し、議会主義に復帰したことを足すくらいだ。

ところが創価学会員は、異なる戦後史の語りを生きている。

『潮』2026年2月号、61-2頁
(表記を改め、強調を付与)

遠からず齢五十になるのを前にして、新たなジャンルに挑戦することになった。今月出た『潮』2月号に、新連載「平成の回廊 創価学会と日本社会」の第1回が載っている。

引用に「谷川」とあるのは、創価学会事務総長の谷川佳樹氏。2025年10月の “自公決裂” のひと月後に、ホントのところはどうなのかを取材した。ズバリ訊く冒頭部は、以下から読める(無料登録すると、全文も閲覧できる)。

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なぜ公明党は「高市さんにNGを出したんですか?」と訊いて、まさか70年前の話が返ってくると思う人は多くない(現に、ぼくも思ってなかった)。が、それがナチュラルに出てくる空間が、同党を支える創価学会のコアには実際にある。

どうして1955年から始まるかというと、この年は候補者を推薦する形で、創価学会が初めて政治に進出した年だからである。そうした歴史の捉え方は、関係者に語り継がれて、長らく根を張ってきた(ただし、外からはほぼ見えない)。

地方議会から出発した公明党
今年は、戦後70年、国連創設70年、被爆70年という節目の年です。公明党にとっても今年は地方議会に初進出して60年という極めて重要な年となります。 公明系候補が初めて統一地方選に挑んだのは、1955(昭和30)年の第3回統一地方選。東京都議

公明系候補が初めて統一地方選に挑んだのは、1955(昭和30)年の第3回統一地方選。東京都議会と横浜市議会で初議席を獲得したのをはじめ全国の各市議選で51人が当選、合計53人の地方議員が誕生し、1961(昭和36)年の公明政治連盟(公政連、公明党の前身)結成、1964(昭和39)年の公明党結成へとつながりました

荒川区議・きくち秀信氏、2015.1.16

このとき以来、創価学会ないし公明党のスローガンは “政界浄化“。宗教団体が「なんで議員とか出すんですか?」と訊かれたら、そう答えるというアイデンティティで70年間、やってきている。

初期には “国立戒壇” の目標も掲げたが、批判を受けて後に撤回したし、もうひとつの柱だった “大衆福祉” は、逆にどの政党も言うようになった。結果として、「クリーンな政治の追求」がアイデンティティに占める比重は、もっと高まる。

その1955年に結成された、別の政党の自意識になぞらえて、連載で今回、ぼくはこう書いている。

公明党に限っては、政治とカネの追及を「なぁなぁ」にするのは、結党の原点の否定になるという趣旨だろう。ちょうど自民党の総裁がいつまでも、憲法改正は「やります」と言い続けないと、面子が立たないのと同じだ。

拙稿、61-2頁

自民党の公式サイトより。
結党時の政綱に
「現行憲法の自主的改正をはかり」とある

ぼくも含めて多くの人が、昨年の突然の「連立離脱」に驚き、裏金問題が云々はタテマエで、ホンネでは「よほど高市さんが嫌いなのかな」と勘ぐった。誰より高市氏自身がそうだったことは、当時の報道からもわかる。

「総裁が私でなければ離脱しなかった?」自民・高市氏 公明・斉藤氏「誰が総裁でも同じ」
自民党の高市早苗総裁は10日、公明党の斉藤鉄夫代表との党首会談で、連立離脱方針を伝えられた際、「例えば総裁が私でなかったら連立離脱はなかったか」と尋ねた。斉藤…

ところがそれは外からの見方で、内の見方というか当事者の視点では、まったく違う物語が描かれている。相互の “違い” を認識し、すり合わせて同じ物語にはできずとも、少なくとも違いを踏まえてつきあう関係を築けなければ、決裂に至る。

この構図は「政党間」に限らない。個人と個人、多数派と少数派、国と国のあいだ……。あらゆる次元で、それまで実現していた “平和共存” が壊れる力学は、おおむね同じだ。

個人間では、ハラスメントとはそうした問題だ。そのことは、2020年に出した共著で述べている。

『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』 斎藤環、與那覇潤 | 新潮社
「友達」はいないといけないのか。「家族」はそんなに大事なのか。「夢」をあきらめたら負け組なのか。「話し上手」でないとダメなのか。「仕事」を辞めたら人生終わりなのか。「ひきこもり」を専門とする精神科医と、重度の「うつ」をく

最近は「部下上司に」パワハラをしていたと認定される事例がけっこうあって……「どちらの立場が上だった? それで加害者と被害者を決めよう」という思考法では、すでに対応できない局面に入っている。

ハラスメントの人間関係をタテ軸のみで切るのではなく、ヨコの軸でも見てみて、いったいどこから「意味のすれ違い」が生じ、どの人が相手に歩み寄ろうとして、誰がそうでなかったのか。そうした視点での捉え方が必要になる

203頁(與那覇発言)

マクロに見ても、民族紛争や対外戦争はいまや、だいたいはそうした形で起きている。世界が共通に “悪” だと認める闇が湧き起こり、一方的に襲いかかるといった単純すぎる構図は、それこそ宗教の世界の神話くらいだ。

そのレベルの解像度で「”悪の側”の視点は不要だ、うおおおお!」で現実の戦争を処理できると勘違いする人が、センモンカとして下の下な部類なことも、もはやとうに自明だろう。

ウクライナ政治の悲劇: 民主化への道はどう「戦争に」開かれたか|與那覇潤の論説Bistro
あまり知られていないが、ヘッダーの左の本の著者は私の指導教員である。専門が明治維新史なので、実は私も博士論文は「実証的」な明治史だった(笑)。かつ琉球処分という「領土の併合」を国際関係史の立場で研究したので、ウクライナでいま起きている問題にも関心を持ってきた。 開戦から2か月強の時点で、「はっきり勝ち負けをつける」形...

谷川佳樹氏が拙著『平成史』に目を留めてくれて始まった、『潮』での連載(隔月)では、昭和以来のヴェールに包まれ “憶測” で語られつつも、確かに政治のキーマンでもあった人々に取材し、新たな同時代史の見え方を探ってゆくつもりだ。

いわば人生初の「ノンフィクション」、それも政治と宗教の分野への挑戦だ。昔から読むのは好きだったが、まさか書き手に回るとは思ってなかったので、貴重な機会を大事にしたい。

それはまさに、年頭にお話しした、”歴史” をもういちど他者理解の技法に活かす試みでもある。今年は他にも連載が増えそうで、noteの更新頻度は落ちるかもしれないが、書店で楽しみにしてくれるなら、とても嬉しい。

日本列島を、弱く貧しくしてきた「専門家の王国」を取り除こう(朝日新聞とBSフジ出演!)|與那覇潤の論説Bistro
1/3の『朝日新聞』朝刊が、長めのインタビューを載せてくれた。翌日にさらなるロング・バージョンもWebに出たので、(有料だが)以下に掲げるリンクから読んでいただける。 ぼくがここ数年考えてきた "歴史" の社会的な意義を、多角的にお話ししたが、なんといっても―― 歴史が消滅した社会で 與那覇潤さんが探す「共感...

人間には予測できす理解困難な出来事に直面することが多くありますが、もし自分たちに歴史があるように、他者にも相手なりの歴史があるのだと思えれば、「予測や理解ができなかったのは、こちらの見方が偏っていたからかもしれない」と内省することができます。

それが「いまの私にはわからないけど、何かゆえんがあるのだろう」という過去への探究心をもたらし、他者理解へつながります

『朝日新聞』2026.1.3
(改行を追加)

参考記事:

公明党の連立離脱をどう見るか: プレイバックする1970年代|與那覇潤の論説Bistro
ご存じのとおり10/10、公明党の斉藤鉄夫代表は自民党の高市早苗・新総裁との会談後に「連立離脱」を発表した。 興味深いのは、外野の多くが高市氏と公明党とで溝になると見ていた、靖国神社参拝などのいわゆる "右傾化" ではなく、「政治とカネへの対策」が離脱の決定打になったことだ。 【速報】公明党が自民党との連立離...
ぼくたちの歴史は、敗戦後に注射された「ワクチン」である。|與那覇潤の論説Bistro
ぼくにとって、今年は「戦後批評の正嫡」になった1年だったけど、おかげでとても嬉しい與那覇潤論にもめぐり逢えた。まぁ、ふつうに考えてすごいニッチなテーマだよね(笑)。 もっともこれは一種の便乗で、正しくは佐々木大樹さんという方が福嶋亮大さんの新刊に寄せた書評に、オマケでぼくへの評価がけっこう長く出てくる。その冒頭は、こ...

(ヘッダーは1962年9月、主に地方議員が集った公明政治連盟の初の大会。池田大作氏の死去を受けた公明党の記事より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。