カナダで見た「当たり前」が、なぜこんなに眩しいのか

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バンクーバーのバスで、ベビーカーの母親が乗ってきた。

何が起きたか。何も起きなかった。ただ、すっと通路が空いて、優先席に座っていた若者が自然に立った。それだけ。母親は「すみません」を連呼することもなく、子どもに「静かにしなさい!」と声を荒げることもなく、普通に座った。普通に。

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これだけのことに、私は泣きそうになった。いや、泣いた(電車の中で)。

日本だったらどうだろう。ベビーカーを畳め、邪魔だ、舌打ち、無言の視線。最悪の場合、抱っこ紐のバックルを外されるという犯罪まがいの嫌がらせ。そこまでいかなくても、母親は常に「すみません」「ごめんなさい」を言い続ける。何に謝っているのか。存在に、だ。子どもを連れて外に出ること自体が、まるで罪であるかのように。

おかしくないか、これ。

バンクーバーで3人の子育てをしている田辺陽子さんという日本人女性に会った。彼女はこう言った。「カナダでは、過度に周囲の目を気にしなくてもいい」と。

過度に、じゃない。日本は「過度」どころの話じゃないだろう。常に、だ。常に周囲の目を気にして、常に謝って、常に萎縮している。「いい母親でいなければ」「迷惑をかけてはいけない」。その呪縛が、どれだけ母親たちを追い詰めているか。

カナダのカフェには、ベビーカー連れの母親が普通にいる。普通に、コーヒーを飲んでいる。子どもが少し騒いでも、周りは気にしない。というか、微笑んでいる。「子どもってそういうもんでしょ」という空気。

日本で同じことをしたら? 想像するだけで胃が痛い。

少子化対策とかいって、政府は何兆円だか使っている。知らんけど。でも、いくら金をばらまいても、社会の「空気」が変わらなければ意味がない。子どもは迷惑、母親はもっとしっかりしろ——そういう無言の圧力がある限り、誰が子どもを産みたいと思うか。

制度より先に、まなざしを変えろ。

……と、偉そうに書いたが、私自身、電車でベビーカーを見たときに無意識に眉をひそめていたことがある。あるんだよ、正直。だから余計に、バンクーバーで見た光景が刺さった。

あの母親たちの、力の抜けた笑顔。あれは「社会に信頼されている人」の顔だった。日本の母親たちにも、あの顔をさせてあげたい。

できるのか? この国で。

わからない。でも、少なくとも舌打ちはやめよう。それくらいは、今日からできる。

※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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