中道改革連合の安保政策転換を問う(島田 和久)

中道改革連合HPより

副会長・元防衛事務次官 島田 和久

中道改革連合が公表した基本政策について、平和安全法制を合憲と認めたことから、世上では、「基本政策の転換」「現実路線への転換」「政権担当能力のアピール」などと評価する声が相次いでいる。そして、最早、選挙戦の争点ではないかのような受け止めすら広がっている。

確かに、「違憲部分の廃止」を掲げていた立憲民主党の従来の主張と比べれば、大きな転換に見えることは否定できない。しかし、政策文言を丁寧に読み解くと、それをもって直ちに「完全な政策変更」と断じてよいのか。なお慎重な検討が必要であろう。

最大の論点は、中道改革連合が「平和安全法制が定める存立危機事態における自国防衛のための自衛権行使は合憲」と述べながら、「集団的自衛権」という語を一貫して用いていない点にある。安全保障政策において、用語の選択は単なる修辞ではなく、国際法上の評価と自衛隊の行動を規定する。日米同盟への影響も大きい。ここに残された曖昧さは、看過できない。

まず確認すべきは、国際法上の基本的な整理である。国連憲章51条に基づく個別的自衛権は、自国に対する武力攻撃が発生した場合にのみ行使が認められる。したがって、我が国が直接攻撃を受けていない段階で武力行使を正当化する場合、それは国際法上、集団的自衛権の行使として位置づける以外にはない※1)。この点について、政府の説明は一貫しており、通説的理解も同様である。

これに対し、2015年の平和安全法制の審議では、当時の民主党から異なる整理が提示された。政府が「集団的自衛権の行使を認めなければ対応できない」として示した事例について、個別的自衛権の延長で対応できると主張するものだった。どういう理屈であったのか。

個別的自衛権の行使は、自国に対する武力攻撃が「発生」したことが条件だ。そして「発生」とは、相手が武力攻撃に「着手」した時とするのが確立した解釈である。民主党の主張は、「着手」の判断を再構成することで、個別的自衛権の適用範囲を広く捉えようとするものであった※2)。政府が、国際法上許されない、と拒否したことは言うまでもない。

現在の中道改革連合の基本政策は、この当時の論理構造と少なからぬ連続性を持つのではないか。「集団的自衛権」とは言わず、「自国防衛」、「自衛権」といった表現にとどまる点は、2015年当時の用語選択とよく似ている。もしこれが単なる政治的配慮にすぎないのであれば問題は限定的である。しかし、「個別的自衛権の範囲で説明できる」という含意を残しているのであれば、事態は深刻だ。

なぜなら、我が国が攻撃を受けていない段階での武力行使を、個別的自衛権と位置づけることは、国際法との整合性を欠くとの評価を免れず、国内で「合憲」と整理しても、対外的な正当性には疑義が生じる。

実際、立憲民主党の創設者である枝野幸男氏は、X(旧Twitter)で、中道改革連合の基本政策について、「これまでの立憲民主党の見解と矛盾しません。」と述べている。

そして、2015年9月14日の参議院特別委員会で、政府が「実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると思います。」と答弁したことを論拠に挙げている。

しかし、この答弁で言う「武力攻撃事態等」のポイントは、「武力攻撃が予測される事態」と「武力攻撃が切迫している事態」であり、その段階でも存立危機事態には該当し、武力行使をし得る、ということだ。これは、当該答弁が個別的自衛権を前提としているのではなく、まさに政府が想定していた限定的な集団的自衛権の射程を説明したものであることを意味する。

ここで、より具体的な状況を想定してみよう。たとえば台湾に対する武力侵攻が発生し、それを阻止しようとした米軍も武力攻撃を受けた場合、それが平和安全法制の定める「存立危機事態」に該当すれば、日本は米艦防護や関連する軍事行動を行うことができる。この日本の行動は、国際法上は集団的自衛権の行使として理解される。

しかし、もし日本政府が国内解釈を理由に「それは集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の範囲に限られる」と整理し直すならば、日米間で想定されている共同対処の前提が揺らぐ。これは机上の議論ではなく、実際の抑止と対処に直結する問題である。

日米合意である「日米防衛協力ガイドライン」では「日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」(太字筆者)として、存立危機事態における自衛隊による武力行使が明記されている。そして、この合意に基づいて日米の共同作戦計画が作成されているのだ。防衛白書や外交青書では、英語で世界に向けて、集団的自衛権の一部行使容認を説明している。

なお、平和安全法制の条文そのものには「集団的自衛権」という言葉は登場しない。このため、法律だけを読めば、「自衛の措置」、「存立危機事態」という表現によって、従来の枠内で説明できるようにも見える。

しかし、この外形的整合性は、立法の前提となった解釈を切り離して読んだ場合にのみ成立する見かけのものである。実際には、平和安全法制は、2014年の閣議決定において政府が限定的な集団的自衛権の行使を憲法上許容し得ると解釈したことを前提に整備された体系であり、法律と閣議決定は不可分の関係にある。

以上を踏まえると、中道改革連合の基本政策を、ただちに「完全な政策変更」と評価することには慎重にならざるを得ない。そこには、用語を抑制することで、過去との連続性と断絶の双方を維持しようとする意図的な曖昧さが残されているようにも見える。

問題は、その曖昧さを抱えたまま政権を担った場合である。日米同盟は、相互の役割と行動について、これまでに積み重ねてきた合意と信頼の上に成り立っている。

もし、日本側の政策が「集団的自衛権を行使するのか否か」「存立危機事態において、どこまで実際に行動するのか」という点で不明確なままであれば、同盟の運用に不確実性を生じさせ、結果として日米同盟そのものを毀損しかねず、日本の安全に直結する問題である。

だからこそ、この点は選挙戦において明確にされるべきである。「合憲」と言うだけでは足りない。平和安全法制が前提とする、「国際法上の集団的自衛権」に該当し得る行動を、政権を担った場合にも実際に行う意思があるのか。有権者が判断するに足る明確な結論が、選挙戦を通じて示されることを強く求めたい。

※1)国際法上、武力行使が許容される場合としては、個別的自衛権および集団的自衛権(国連憲章51条)のほか、国連安全保障理事会の決定に基づく集団安全保障措置があり得る。本稿では議論を簡潔にするため後者は割愛する。

※2)例えば、平成27年7月27日の参議院本会議において、北澤俊美議員は民主党・新緑風会を代表し、「相手方の武力攻撃の着手の評価を再検討することにより、朝鮮半島を含めた近くの有事には個別的自衛権で確実に対応してまいります」と述べている。

島田 和久
1962年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。防衛省にて防衛計画課長、防衛政策課長、大臣官房審議官、内閣官房にて内閣参事官(安全保障・危機管理)などを歴任。2012年から2019年まで安倍晋三内閣総理大臣秘書官。防衛省大臣官房長を経て、2020年から2022年まで防衛事務次官。退任後は防衛大臣政策参与、内閣官房参与を務め、現在、日本戦略研究フォーラム副会長。その他、「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」委員、東京大学公共政策大学院客員教授、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授、全国防衛協会連合会理事長なども務める。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2026年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。