
PeopleImages/iStock
いやはや、怖い事件がおこりました。水戸のネイリストストーカー殺人事件。
殺されたのは一人ではありません。被害者のお腹の中にいた新しい命、私たちにとっても新しい希望になるかもしれなかった命も奪われたのです。心から御冥福をお祈りいたします。

繰り返される執着型ストーカー殺人
ただ、もっと残念なことがあります。それは、「別れ話からの執着型」ともいえるようなストーカー殺人事件が繰り返し起こっているという現代社会の死角が放置されていることです。
例えば、2012年の逗子ストーカー殺人事件では30代の女性が犠牲になりました。2013年の三鷹ストーカー殺人事件では当時高校3年生の女性が元交際相手の男性に刺殺されました。2014年の館林ストーカー殺人事件では20代の女性が転居後も執拗に追跡され射殺されました。
2023年の名古屋・本笠寺駅ストーカー殺人事件では、被害者はDVや束縛から逃れようとしていた18歳女性が交際相手の男に胸を刺され死亡しています。
法による統治が及ばない、ストーカー殺人の心と脳
被害者のみなさま、ご遺族のみなさま、本当に無念だったことでしょう。このような悲劇を防止するために2012年の事件を機に法律や制度が改められました。
かつては、当事者同士の問題、民事不介入…などと警察はなかなか取り扱わなかったのですが、今の警察はかなり被害者に親身に取り扱うようになっています。その中でこんな事件が繰り返し起こるということは、法治では及ばない何かがストーカー殺人の背景にはあるのです。
ここでは、ストーカー殺人の背景にある法治が及ばない何かについて、脳心理科学から考えてみましょう。
事件の概要
まずは事件の概要を整理してみましょう。
2025年12月31日の夕方、茨城県水戸市のアパートで、妊娠中の女性ネイリスト(31)が自宅玄関付近で血を流して倒れているところを夫が発見し、後に死亡が確認されました。
遺体には首の刺し傷や頭部の鈍器による十数か所の強打があり、腕には抵抗した際の防御創が多数残っていて、お腹の子を守ろうとした痕跡もあったようです。
犯人の執拗な殺意、被害者の必死の抵抗、抗いきれなかった無念さ…。平和な生活の場が一転して、双方の壮絶な想いが入り乱れた凄惨な現場になってしまいました。
警察の捜査の結果、被害者の元交際相手男性(28)が浮上。様々な方法で執拗に連絡を試み、拒否され、居場所を執拗に聞き回る…などのストーカー行為が確認されていたようです。被害者も事件の4日前、警察への相談を試みていたようですが、相談には至りませんでした。
謎のご祝儀袋
今のところ容疑者となった男性は事件への関与を否認し続けているようですが、謎なのは現場アパートのリビングに残された「ご祝儀袋」です。状況から加害者が置いたものと考えられます。
仮に元交際相手の容疑者が置いたものだとしたら、なぜこのような物を置いたのでしょうか?
男性に潜むストーカー脳
このようなストーカー殺人事件の脳心理科学的な背景としては、男性の「配偶者防衛本能」という比較的原始的な心と脳の仕組みが関わっていることがほとんどです。この本能、実は大変危険な本能です。
男性は自分で子どもを産めないので、配偶者が産んだ子どもが自分の子どもだという確証がありません。そのため、男性の脳は、配偶者と認識した女性が他の男性に接触することを本能レベルで狂おしいほどに嫌がります。
この本能が発動すると理性も良識も吹っ飛んでしまうくらいパワフルで、男性のほとんどが配偶者の女性を他の男性から遠ざけることしか考えられなくなります。このことが男性による極端な束縛やDVの原因になることもあるのです。
男性の脳は、女性のリリースを自身の子孫の生存リスクと認識する
そして、もっと怖いのがその女性が自分から離れようとしたときです。自分から離れるくらいなら殺してしまえ…と本能が囁くのです。
なぜ、男性にこのようなメカニズムが備わってしまったのかは仮説の域を出ませんが、次のように考えられています。
まず、女性が自分から離れるということは、生存競争のライバルである他の男性の子どもを産む可能性があるということです。生存競争のライバルの子どもは自分の子孫の生存競争のライバルです。つまり、配偶者と認識した女性を手放してしまうことは、自分と子孫の生存を脅かすリスクなのです。
生存本能は最も根本的な本能で、私たちが社会性という比較的新しい本能を身につける以前から機能しています。何よりもパワフルで、あらゆる生物の究極の行動原理とも呼べるものです。私たちの脳内では、生存を脅かすリスクは何に変えても排除しなければならない…という目的意識を私たちに与えます。
男性の脳が「この女性を自由にさせることは自分の一部、自分の子孫のリスク」と認識し、生存本能が「リスクを排除しなければ!!」と働きかける時、「殺してしまえ」と脳が囁くのです。
社会性の本能は配偶者防衛本能に負けてしまう? ご祝儀袋への2つの仮説
容疑者の男性は普段は明るくて優しい方だったと言われています。おそらく社会性の脳は十分に成熟した好男性だったことでしょう。しかし、このような方であっても男性の脳に潜む根深い本能に逆らうことは簡単なことではありません。
まだ、捜査中ですので断定的なことは言えませんが、社会性の本能 vs 配偶者防衛本能の狭間の中で配偶者防衛本能の囁きに傾いてこのような凶事に至ったことでしょう。
では謎のご祝儀袋は何を意味するのでしょう?
社会性の本能 vs 配偶者防衛本能の物語は2つの仮説を導き出します。
仮説1:会うまでは“本当に祝うつもり”だった可能性
まさにこの狭間の中で、直接会うまでは被害者のこの方のこの先を本当に祝うつもりで持参した…という仮説です。この場合、会うまでは2つの本能が同時に働いていたところ、会ってしまって、また何らかの拒否のメッセージを受けることで、配偶者防衛本能がより強く刺激されて凶行に至ったと考えられます。
仮説2:より怖い仮説 —— 歪んだ「祝福」
もう一つはより怖い仮説です。配偶者防衛本能によるストーカー殺人は、加害者は罪悪感に陥ることなく、「間違ったことをする前に殺してあげた」という気持ちになりがちです。ここから、「自分に殺されてよかったね」という歪んだ祝福の気持ちでご祝儀袋を用意した…という仮説が浮上します。私たちの良識からすると言葉を失うような意味が描かれてくるわけです。
なぜ、別れ話からの執着型ストーカー殺人事件が繰り返されるのか?
ご祝儀袋については単に捜査の撹乱を狙った…という可能性もありますが、いずれにしてもご遺族、特に残されたご主人の無念のお気持ちは察するに余りあるものです。
ストーカー殺人が繰り返されているにもかかわらず、男性の脳に潜む危険な本能への対応や対策は未だに現代社会には実装されていません。
このような問題を二度と起こさないための対策として、警察への期待がよく検討されますが、実はそれ以外にも有効な対策があります。それは思春期、青年期の心のリテラシー教育とカウンセリングを誰もが受けられる社会インフラとすることです。
男性は愛と嫉妬に狂うと配偶者防衛本能が暴走する可能性を抱えている…ということを知っているだけでもある程度はストーカー殺人の抑止力になるでしょう。また、定期的なカウンセリングで心のバランスを保つことが日常の習慣になれば、特定の本能を暴走させることも減ることでしょう。
安心して結婚し、子どもを持って暮らせるこの国のために
現在、心のリテラシー教育もカウンセリングも一部の興味を持つ方に限られたものになっています。この事件も「特別な男女の気持ちのもつれ」として片付けずに、誰の周りにでも起こり得るものと捉えてください。そして、繰り返されてきた別れ話からの執着型のストーカー殺人の背景にある問題が放置され続けている…という視点でも見ていただければと思います。
私たちがもっと安全に、安心して暮らせる社会の実現に向けて、この国の社会資源を傾けていきましょう。
■
杉山 崇(脳心理科学者・神奈川大学教授)
臨床心理士(公益法人認定)・公認心理師(国家資格)・1級キャリアコンサルティング技能士(国家資格)。
1990年代後半、精神科におけるうつ病患者の急増に立ち会い、うつ病の本当の治療法と「ヒト」の真相の解明に取り組む。現在は大学で教育・研究に従事する傍ら心理マネジメント研究所を主催し「心理学でもっと幸せに」を目指した大人のための心理学アカデミーも展開している。
日本学術振興会特別研究員などを経て現職。企業や個人の心理コンサルティングや心理支援の開発も行い、NHKニュース、ホンマでっかテレビ、などTV出演も多数。厚労省などの公共事業にも協力し各種検討会の委員や座長も務めて国政にも協力している。
サッカー日本代表の「ドーハの悲劇」以来、日本サッカーの発展を応援し各種メディアで心理学的な解説も行っている。







