薪ストーブ業界の虚偽広告:ASA裁定に見る科学的倫理の崩壊と日本の制度的放置

青山 翠

poliki/iStock

第1章 英国ASA裁定が示した「環境広告の虚構」

2025年、英国広告基準審査機構(ASA:Advertising Standards Authority)は、Stove Industry Alliance(以下、SIA)が発信した広告に対し、「消費者を誤認させる環境表示である」と正式に裁定した※1)

SIAは、薪ストーブを「カーボンニュートラル」「環境負荷が極めて低い」「エコデザイン基準を満たせば汚染は生じない」と宣伝していた。

しかしASAは、SIAの提示したデータが独立検証を欠き、「木を燃やしてもCO₂排出はゼロ」という表現が科学的事実に反することを明確に指摘した。

この裁定は、環境広告における“科学的誠実さ”の義務を改めて示したものといえる。

「自然」「エコ」「サステナブル」といった語が、科学的根拠を伴わずに使われた瞬間、それは環境保護ではなくイメージ操作**に転化する。

英国ではこうした行為を「greenwashing(環境偽装)」と定義し、社会倫理に反する行為として明確に禁止している※2)

第2章 虚偽広告の構造──「環境」と「感情」の結託

SIAの広告が利用したレトリックは、「木は再生可能資源だからCO₂ゼロ」「二次燃焼で有害物質を燃やし尽くす」「健康被害はない」といった“希望的言説”であった。

これらは、燃焼化学・大気環境・公衆衛生学の知見から見て全く成立しない。

欧州の最新研究では、薪ストーブ排気が都市PM2.5の主要発生源の一つであり、超微粒子(UFP)および揮発性有機化合物(VOC)を高濃度で放出することが確認されている※3)

とくにRiccardoら(2023)は、木質燃焼から発生するUFPが肺胞を透過し血中に侵入、炎症と酸化ストレスを誘発することを示した※4)

この事実を踏まえると、SIAの広告は「科学的無知」ではなく、販売促進を目的とした科学の意図的悪用であると解釈すべきである。

第3章 見えない排気──UFPとVOCの科学的危険

薪ストーブの煙は、視覚的に薄く見えても安全ではない。

むしろ、肉眼で見えない粒径100ナノメートル以下の超微粒子(UFP)が最大の健康リスクをもたらす。

これらの粒子は肺の奥に沈着し、血管内皮機能を損ない、心血管疾患・脳卒中リスクを増加させる※5)

さらに、薪燃焼ではベンゾ[a]ピレン、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒドなどのVOCが発生し、二次生成粒子を通じて地域大気の酸化負荷を高める※6)

したがって、PM2.5の質量濃度だけを基準にしても、この実害は可視化されにくい。

今後は、粒子数濃度(PN)やVOC指標の同時計測を政策的に導入すべきであり、行政がこの指標を軽視する限り、健康被害は「見えないまま」拡大し続けるだろう。

第4章 日本の業界広告──英国と同型の“科学的虚偽”

日本の薪ストーブ業界が発信する広告も、SIAのそれと構造的に同一である。

「人にも環境にもやさしい」「炭素中立」「サステナブル」「有害物質を燃やし尽くす」「乾燥薪なら有害排気は出ない」「欧州エコデザイン基準で汚染しない」「健康に良い」「二次燃焼や触媒できれいな排気」「何でも燃やせて無煙無臭」などの支離滅裂極まる非科学的表現が業界サイトや販売資料に日常的に登場している。

これらは、いずれも科学的根拠を欠き、ASA裁定で問題とされた表現と本質的に同一である。

したがって、日本でもこれらの広告は、景品表示法第5条(優良誤認表示)に抵触する可能性が極めて高いものである。

しかし、不思議なことに現状では行政も広告審査機関も、実質的にこの問題を放置している。

第5章 行政の沈黙──放置された“構造的虚偽”

日本の消費者庁および広告審査機構(JARO)は、薪ストーブ業界の虚偽的環境広告を長年看過している。

その背景には、木質バイオマスを「地域循環型エネルギー」や「脱炭素社会の象徴」とする政策的思考がある。

林野庁・環境省・経産省はいずれも、薪ストーブを「里山再生」や「地域経済活性化」と結びつけて推進しており、そのために科学的批判を制度的に封じてきた側面がある。

消費者庁が掲げる「合理的根拠」の概念も抽象的であり、燃焼排気の化学分析や健康影響データを求める制度的仕組みは存在しない。

結果として、行政の沈黙が虚偽広告を制度的に保護する構造を生み出している。

これは科学以前に、倫理の崩壊である。

環境政策の目的は、産業の支援ではなく、国民の生命と空気の保護にある。

この基本を忘れた瞬間、行政は「環境」の名を借りた加害暴力装置に転化する。

第6章 確立された科学的結論──薪ストーブの健康・環境リスクと制度的責任

薪ストーブが「環境に良い」「健康に良い」という言説は、すでに科学的に否定されている。

近年の包括的メタ分析では、木質燃焼は都市部PM2.5の最大寄与源の一つであり、肺機能低下、喘息悪化、心血管疾患リスク増大、がん罹患率上昇などとの統計的関連が確立している※7)

WHOも2022年報告書で「住宅用薪燃焼は健康に対する主要な環境リスクであり、代替熱源への移行が必要」と明記した※8)

したがって、欧米諸国にあっては議論の焦点は「安全かどうか」ではなく、なぜ危険であると分かっているのに放置されているのかに移行している。

日本社会における問題は、科学的証拠の欠如ではなく、科学的事実を政策と倫理に反映させる意思の意図的な欠如である。

ASAの裁定は、科学と社会倫理の境界を再確認させる警鐘である。

「エコ」や「カーボンニュートラル」という語を広告が用いるとき、その背後には常に検証責任が伴わなければならない。

薪ストーブをめぐる虚偽広告問題は、単なる燃焼器具の話ではない。

それは、科学の尊厳と行政倫理をめぐる社会の成熟度の試金石である。

【参考文献】

※1)Advertising Standards Authority (2025). Ruling on Stove Industry Alliance Ltd. London.
※2)UK Green Claims Code (CMA, 2023). Guidance on misleading environmental claims.
※3)Johansson, L. et al. (2022). Residential wood combustion and air quality: source apportionment and health impacts. Atmospheric Environment.
※4)Riccardo, M. et al. (2023). Wood burning and ultrafine particle emissions: an underestimated health risk. Environmental Research, 228.
※5)Buonanno, G. et al. (2022). Ultrafine particles from biomass burning: health implications and exposure assessment. Journal of Aerosol Science.
※6)Bari, M. et al. (2020). Emission of volatile organic compounds from wood stoves and their secondary formation potential. Environmental Science & Technology.
※7)Crilley, L. et al. (2023). Health impacts of residential wood burning: a systematic review. Environmental Health Perspectives.
※8)WHO (2022). Residential heating and health: policy implications for particulate pollution.


編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2026年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。

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