自民党の議員連盟「国力研究会」が発足した。当初、この会は高市早苗首相を支えるための「主流派づくり」と見られていた。
ところが実際には、自民党所属議員417人のうち347人、つまり8割以上が加入した。ここまで大きくなると、もはや「高市支持派の会」なのか、「自民党のほぼ全員参加の会」なのか、区別がつかない。

「高市主流派」を作るはずだった
国力研究会の中心には、麻生太郎副総裁、萩生田光一幹事長代行、加藤勝信元官房長官らがいる。会長には加藤氏、最高顧問には麻生氏が就いた。
初会合では、萩生田氏が「みんなでスクラムを組んで政権を支えよう」と呼びかけ、加藤氏も「高市首相と政権を支え、国民の信頼に応える」と語った。
この説明だけなら、話はわかりやすい。国力研究会とは、高市政権を支えるための党内基盤である。来年秋の総裁任期満了も見すえ、高市首相を中心に党内の主流派を固める。そういう狙いがあったと見るのが自然だ。
しかも発起人には昨年の総裁選に出た小泉進次郎防衛相、小林鷹之政調会長、茂木敏充外相らも名を連ねた。政権内で「ポスト高市」をうかがう人たちも入っている。つまり、この会は「高市政権を支える会」であると同時に、「次の権力争いの舞台」でもある。
ところが、8割超が入ってしまった
さらに話をややこしくしたのが、加入者の多さである。347人。自民党議員の8割以上である。これだけ多くの議員が入ると、もはや派閥でもなければ、明確な政策集団でもない。むしろ「入っていない人の方が目立つ会」になってしまった。
政治の世界では、数は力だが、多すぎると意味が薄まる。10人のグループなら「この10人は同じ考えなのだな」とわかる。50人でも、ある程度まとまりが見えるが、党内の8割以上が入ったら、それはもう特定の立場を示す意味はなくなる。
「高市支持派の会」と言いたかったのに、高市氏と距離のある議員まで入ってしまった。これでは、何を示す会なのかが見えにくい。
非主流派の「抱きつき戦略」
ここで出てくるのが、非主流派の「抱きつき戦略」である。これは、相手のグループにあえて入ることで、そのグループの色を薄める作戦だ。
旧二階派の武田良太元総務相は、旧二階派のメンバーらに国力研究会への参加を呼びかけた。旧二階派幹部は「みんなが入れば意味がなくなる」と語っている。これはかなり率直な言葉である。
つまり、麻生氏らが高市主流派を作ろうとしているなら、こちらも入ってしまえばいい。そうすれば、その会は「高市支持派の集まり」ではなくなる。結果として、主流派形成の意味を弱められる。
さらに当初は「反宏池会グループ」ともいわれたが、岸田文雄元首相や林芳正総務相も加入した。こうなると味方を集めたつもりが、味方かどうかわからない人まで入ってきた。しかも人数は大きく膨らんだ。見た目は大成功だが、中身は統一感を失った。
「保険」として入る議員たち
さらに興味深いのは、加入した議員の中には、積極的な支持ではなく「保険」として入った人もいるという点だ。あるベテラン議員は、国力研究会への参加を「火災保険か自動車保険に入っておくようなもの」と表現した。
これはわかりやすい。つまり、心から高市首相を支えたいというよりも、入らないことで損をしたくない。将来、党内で不利になりたくない。だから、とりあえず入っておく。
この心理は、政治家としては合理的かもしれない。しかし、有権者から見ると情けない。政策を学ぶためなのか。首相を支えるためなのか。将来の権力争いに備えるためなのか。損をしないためなのか。
大きすぎる組織は、逆に弱い
国力研究会の最大の問題は、規模が大きすぎることである。もちろん、347人という数字はすごい。高市政権にとって、表向きは大きな支援のように見える。
しかし政治的グループは、人数だけで強くなるわけではない。大切なのは、目的がそろっているかどうかである。
高市首相を本気で支える人。麻生氏の動きを警戒して入った人。非主流派として中から意味を薄めたい人。とりあえず保険で入った人。次の総裁選を見すえて距離を測っている人。こうした人たちが同じ会に入っていると、強い結束があるとは言いにくい。
むしろ、会合を重ねるほど、内部の違いが見えてくる可能性もある。党内から「2回目は開かれないのではないか」という声が出ているのも、そのためだろう。
村上氏の批判も重い
一方で、国力研究会に入らなかった村上誠一郎前総務相は、この会を「大政翼賛会みたいなもの」と批判した。かなり強い言い方だが、言いたいことはわかる。
党内の8割以上が一つの会に入り、「政権を支える」と言う。そうなると、党内で異論を言う空気が弱くなるのではないか。政策をきちんと議論する場ではなく、政権支持を示す儀式になってしまうのではないか。
ただし、実際には非主流派も入り込んでいるため、一枚岩にはなっていない。だからこそ、さらにわかりにくい。
「全員で支える会」なのか。
「主流派を作る会」なのか。
「主流派づくりを壊す会」なのか。
「とりあえず入っておく会」なのか。
答えは、たぶん全部である。
国力研究会は何を研究するのか
そもそも「国力研究会」という名前である以上、本来は国力について議論すべきだ。外交・安全保障、積極財政、憲法改正、皇位継承。どれも重要なテーマである。日本の将来を左右する課題だ。
しかし、今回の記事から見えてくるのは、政策論よりも党内政治である。誰が入ったか。誰が入らなかったか。誰が発起人か。誰が距離を置いているか。誰が抱きついたか。
これでは、「国力研究会」というより「権力研究会」に見えてしまう。もちろん、政治に権力争いはつきものである。権力がなければ政策は実現できない。だが、権力争いが前面に出すぎると、国民からは「結局、自分たちの都合ではないか」と見られる。
本当に国力を研究するつもりなら、次に必要なのは人数集めではない。何を議論し、何を決め、何を国民に示すのかである。そこが見えないままなら、この会は「国力」を高める前に、党内政治の迷路で力を失うだろう。
【参考】国力研究会に参加してない国会議員(5/21現在・五十音順)赤沢亮正
阿部俊子
石破茂
伊藤忠彦
岩屋毅
江渡聡徳
小渕優子
加藤鮎子
河野太郎
斉藤健
坂本哲志
谷公一
土屋品子
渡海紀三朗
中谷元
額賀福志郎
野田聖子
浜田靖一
船田元
古川禎久
古屋圭司
細野豪志
堀内詔子
村上誠一郎
森山裕
盛山正仁
鶴保庸介
野村哲郎
橋本聖子
福岡資麿
三原じゅん子
宮澤洋一
森まさこ






コメント
記事の指摘は鋭い。
本来、政策集団や議員連盟というものは、共通の理念や明確な国家観を持った同志が集まり、命懸けでその政策を実現するために存在するべきです。とりわけ「国力」という、日本の主権や安全保障、経済成長に直結する重々しいテーマを掲げている以上、そこには強固な覚悟と一致した方向性が求められます。ここからが本当の「ふるい落とし」の始まりなのです。全員を同じオーディション会場に集めて一挙手一投足を監視できる状況を作ることこそが重要なのです。
私が最も強く主張したいのは、この「国力研究会」を単なる親睦会や、ぬるま湯の大政翼賛会にしてはならないということです。これだけ人数が集まったのであれば、むしろこれを「真の同志」と「不純物」を見分けるためのリトマス試験紙として機能させればいい。今後の会合や政策提言の局面において、あえて高市首相の強いリーダーシップやエッジの効いた保守政策(積極財政の断行、安全保障の抜本的強化、憲法改正、皇位継承の議論など)を次々と打ち出していく。その過程で、反高市的な挙動をしたり、後ろ足で砂をかけるような真似をしたりする議員が必ず現れるはずです。その時こそ、「はい、君は脱落」としていけばいい。冷徹なマネジメントを徹底すべきなのです。
思えば、名作野球漫画『ドカベン』に登場する明訓高校だって、最初は野球部にものすごい数の部員がいました。しかし、厳しい練習やそれぞれの思惑を経て、数日後にはちょうどいい人数になっていた。山田太郎や岩鬼正美のような本気の連中だけが残って、結果として甲子園を制する強いチームになったのです。最初から少数精鋭で始める必要はない。まず大量に集めて、練習、試合、態度、根性、実力でふるいにかければよい。
政治で言えば、その「練習」や「試合」にあたるのは、法案審議、予算編成、党内手続き、選挙応援、国会対応、メディア発信です。口では「高市政権を支える」と言いながら、肝心な場面で足を引っ張る。重要政策では逃げる。党内抗争だけは熱心にやる。マスコミ向けには政権批判をにおわせ、党内では保険として会に残る。そういう人は、国力研究会の中心に置く必要はありません。会員脱落でよい。逆に、最初は目立たなくても、政策を勉強し、政権を支え、国民に説明する議員は、どんどん中心に引き上げればいい。
記事は「2回目は開かれないのではないか」という党内の声を紹介していますが、これは批判ではなくむしろチャンスです。2回目、3回目と回を重ねるごとに、本気でない者がふるい落とされていく。明訓高校の練習についていけなかった部員たちのように、自然淘汰されていく。会の中で反高市的な動きを見せた瞬間に、メディアにも党内にも可視化される。外にいられるより、内側に取り込んで監視下に置いた方が御しやすいのです。
筆者は最後に「国力研究会というより権力研究会に見える」と皮肉っていますが、政策を実現するためには権力が必要であることは筆者自身も認めている通りです。であれば、まず権力基盤を固めることに何の問題があるでしょうか。高市政権が積極財政や安全保障の強化、憲法改正といった長年の懸案に挑むためには、ふらつかない党内基盤が絶対に必要です。
「保険のつもりで入っておく」という議員の姿勢が情けないという指摘には一理あります。しかしそれを変えるのは、会の運営側の覚悟次第。「保険のつもりで入った人は落としていく会」にすればいいだけの話です。緩い包摂で始まり、厳しい選別で純化していく――これは組織論として極めて正攻法です。
高市首相とその周辺の真の主流派(麻生氏、萩生田氏、加藤氏ら)がやるべきことは、347人という数の力に甘えることではなく、この中で誰が本当に汗をかき、誰が足を引っ張っているのかを冷徹に見極めること。集まってしまった人数を嘆く必要はないと反論します。この大所帯は、高市政権の終わりを意味するものではなく、むしろ「真の主流派」を純化させるための壮大なオーディション会場なのです。
反高市的な挙動を見せた不届き者を容赦なく「脱落」させ、明訓高校のように「ちょうどいい人数」にまで絞り込んだ時、この会は文字通り日本の「国力」を担う最強の政策集団へと生まれ変わるはずです。政権運営は部活動の仲良しごっこではない。日本の将来を決める真剣勝負なのです。問われるのはこれからの運営であり、その覚悟が中核メンバーにあるかどうか。それさえあれば、この会は必ず機能する主流派へと収斂していくはずです。