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「はしかに感染した20代女性が、韓国の人気グループSEVENTEENの東京ドーム公演に来場していた」。
このニュースを見て、多くの人は「注意喚起として当然だ」と思ったかもしれない。

麻疹は軽い感染症ではない。感染力は強く、未免疫者が感染すれば高い確率で発症する。だが、そこから直ちに「イベント名を社会に公表すべきだ」という結論は出ない。
問題は、麻疹が危険かどうかではない。問題は、今の日本社会で感染者の行動履歴を公表したとき、それが冷静なリスク通知として受け取られるのか、それとも感染者への制裁材料として消費されるのかである。実際、SNSでは「バイオテロ」「裁け」といった言葉が飛び交った。これは公衆衛生ではなく、感染症版の人民裁判である。
麻疹は感染症法上の五類感染症であり、しかも全数把握対象である。診断した医師には保健所への届出義務がある。この制度自体には一定の合理性がある。排除状態を維持するには、一例ごとの把握、検査、ワクチン歴確認、医療機関への情報共有が必要だからだ。
しかし、五類全数把握とは、感染者を社会に差し出す制度ではない。保健所と医療機関が専門的に追跡し、必要な接触者に必要な情報を届けるための制度である。届出と追跡まではよい。だが、イベント名や行動履歴を社会に投げ込むことは別問題である。
そもそも、今回のような大規模イベントで接触者調査にどれほどの実効性があるのか。感染者はライブ会場にテレポーテーションで現れたわけではない。自宅から駅へ行き、電車に乗り、駅構内を歩き、会場周辺に滞在し、入場列に並び、ライブを見て、退場し、また公共交通機関で帰宅したはずである。
ならば、なぜライブ会場だけが公表されるのか。電車はどうか。駅の改札はどうか。周辺の飲食店、トイレ、退場導線はどうか。麻疹の空気感染リスクを本気で問題にするなら、移動過程全体が問題になる。にもかかわらず、公表されるのは「東京ドーム」「SEVENTEEN公演」という名前のある場所である。
つまり公表されているのは、感染リスクの全体ではない。行政やメディアが切り出しやすい断片である。大規模イベントや公共交通をまたぐ都市型移動では、接触者調査は「誰に感染したか」を明らかにするのではなく、「どこにいたか」を社会に晒す装置になりやすい。
これは健康診断やがん検診における過剰診断に似ている。見つけなければ問題にならなかった低リスク病変を見つけ、不安、追加検査、治療、合併症を生む。感染症でも同じことが起きる。追わなければ社会問題化しなかった低頻度の接触を追い、公表し、不安と犯人探しを生む。これは感染症版の過剰サーベイランスである。
さらに、現在の日本社会における麻疹リスクは、条件付きリスクではなく絶対リスクで見るべきである。「麻疹は危険だ」という言葉は、発症後のリスクを語っている。しかし社会政策で問うべきは、ある個人が麻疹に曝露し、感染し、発症し、死亡する絶対リスクである。
厚生労働省資料では、2022年度のMRワクチン接種率は第1期95.4%、第2期92.4%、2歳以上の麻疹抗体陽性率は全体で96.2%とされる。日本は高免疫社会であり、麻疹ウイルスが入れば一気に燃え広がる未免疫社会ではない。
実際、2008年には11,013例だった麻疹報告数は、2020年10例、2021年6例、2022年6例、2023年28例、2024年45例という規模まで低下している。日本は2015年に麻疹排除状態の認定を受け、以降も排除状態が維持されている。
「先進国でも死亡率0.1%」という説明も、現在の日本にそのまま当てはめるのは粗い。2000〜2024年の日本の報告患者数は合計97,963人、死者数は80人で、死亡比は約0.0817%である。しかも死者は2000年代前半に集中し、2011年以降は報告患者数約2,967人に対し、確認できる範囲で死者は0人である。

これは麻疹を軽視してよいという意味ではない。未免疫者、乳児、免疫不全者にとって麻疹は危険である。だが、高免疫社会における一般住民の絶対リスクは低い。膵臓がんが怖いからといって全国民に毎月精密検査をするわけではないように、発症後の怖さだけで過剰な社会的対応を正当化してはならない。
公表の最大の副作用は、次の感染者を黙らせることである。コロナ禍では、感染者宅への落書きや投石、学校や職場への嫌がらせ、感染者や家族への誹謗中傷が各地で起きた。感染したこと自体が罪であるかのように扱われた記憶は、まだ社会の中に残っている。
行動履歴を正直に話した結果、イベント名が公表され、SNSで「バイオテロ」と呼ばれるなら、次の感染者はどうするか。ライブ、旅行、会食、学校、職場、病院。言わなくてよい場所は言わなくなる。保健所が本当に必要としている正確な行動履歴が、むしろ得られなくなる。
感染対策は、生活を守るための手段であって、生活を従属させる目的ではない。人は感染対策のために生きているのではない。ライブに行き、電車に乗り、友人と会い、学校に通い、働き、家族と面会し、旅をする。その普通の生活の中に、一定の感染リスクは常に存在する。
麻疹対策に必要なのは、感染者を社会に差し出すことではない。感染者が安心して保健所にすべて話せる制度である。公衆衛生が人間の生活を守るものであるなら、感染者を守ることもまた公衆衛生の一部でなければならない。
【参考】







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