ドコモはなぜ「つながる神話」を失ったのか:長年の顧客がauに逃げた日

私は、ずっとドコモを使ってきた。

ドコモは高かった。しかし、つながった。だから使っていた。

山でも、地方でも、出張先でも、地下でも、最後はドコモが頼りになる。かつてのドコモには、そういう安心感があった。携帯電話会社を選ぶというより、「一番堅いインフラ」を選ぶ感覚である。

だが、私は最終的にドコモを離れ、auに替えた。

理由は料金ではない。

つながらなかったからである。

これは、長年のドコモユーザーにとってかなり屈辱的な体験だった。まさかドコモを「つながらない」という理由で見限る日が来るとは思わなかった。まして、ソフトバンクやauの方が快適に感じる場面が出てくるとは、にわかに信じがたい。

しかし、現実はそうなっている。

ドコモは会社としては強い

誤解してはならないのは、ドコモが経営危機にあるという話ではないことだ。

NTTドコモの2025年度実績は、営業収益6兆4581億円、営業利益9421億円である。2026年度についても営業収益6兆8210億円、営業利益9430億円を見込んでいる。巨大企業であり、財務的にはなお強い。(出典:NTTドコモ決算資料

だからこそ問題は深い。

これは会社が倒れそうだという話ではない。ブランドの中核が傷ついたという話である。

ドコモのブランド価値は、安さではなかった。キャンペーンの派手さでもなかった。iPhoneの独占販売でもなかった。

「結局ドコモが一番つながる」。

この神話こそが、ドコモ最大の資産だった。

平成のドコモは、生活の入口だった

ドコモの歴史を振り返ると、その存在感は圧倒的だった。

NTTドコモの沿革を見ると、日本電信電話公社による無線呼出、つまりポケットベルサービスは1968年7月に始まっている。その後、ドコモは1999年2月に「iモード」を開始し、2001年には「FOMA」本格サービス、2010年には「Xi」、2020年には「5G」サービスへ進んだ。PHSサービスは2008年1月、シティフォンは同年6月に終了している。(出典:NTTドコモ会社沿革

この流れを、私は利用者として見てきた。

ポケベルで数字を送る時代があり、PHSを「ピッチ」と呼ぶ時代があり、シティフォンのような都市型サービスがあり、iモードで携帯がネットにつながり、メール、着メロ、待受画像、絵文字、公式サイト、勝手サイトが生活に入り込んだ。

ドコモは単なる通信会社ではなかった。

モバイル生活への入口だった。

今で言えば、スマホの入口はAppleやGoogleであり、連絡の入口はLINEであり、決済の入口はPayPayやd払いやSuicaであり、動画の入口はYouTubeやNetflixである。だが、iモード時代の入口はドコモだった。携帯を開けば、そこにドコモの世界があった。

その企業が、自らの原点である「つながる」を疑われている。

これが哀しいのである。

数字にも出ている体感の変化

通信品質の評価でも、かつての「ドコモ一強」という印象は崩れている。

ケータイ Watchが報じたOpensignalの2026年4月版レポートでは、auが全18主要部門のうち単独勝者10部門、共同勝者1部門を獲得し、国内トップの受賞数となった。「一貫した品質」でもauは88.3%で単独勝者となり、ユーザーの体感品質の強さが示された。(出典:Opensignalレポート報道

一方で、ドコモにも強みは残っている。同じレポートで、ドコモは「カバレッジ・エクスペリエンス」と「5Gカバレッジ・エクスペリエンス」で単独勝者となり、5Gダウンロード速度でも159.1Mbpsを記録した。auとともにネットワーク利用率99.7%の共同勝者にもなっている。(出典:Opensignalレポート報道

つまり、ドコモは全面的に負けているわけではない。

エリアは広い。5Gの最高速も強い。山岳や地方での安心感もある。

だが、生活者の不満はそこではない。

問題は、都市の日常である。

駅で、繁華街で、職場周辺で、イベント会場で、通勤時間帯で、スマホを開いたときに遅い。読み込まない。決済画面が出ない。地図が開かない。SNSが固まる。メッセージが送れない。

最高速度が速くても、カバー率が高くても、生活の瞬間に詰まれば、利用者の評価は一気に落ちる。

通信会社にとって大事なのは、理論値ではない。

困ったときに動くかどうかである。

ドコモ自身も認める都市部の課題

この点について、ドコモ自身も課題を認めている。

ケータイ Watchのインタビューで、ドコモのモバイルネットワーク担当者は、都市部や通勤・帰宅時間帯で「まだまだ使いにくい状態が続いている」とし、多くの利用者に迷惑をかけていることを「深く反省」していると述べている。(出典:ケータイ Watchインタビュー

さらに同インタビューでは、基地局の数だけではなく、セクター数や周波数幅を含む「設備容量」が重要だと説明されている。つまり、問題は単純なエリアの有無ではない。人が集中する場所で、どれだけの通信量を処理できるかである。(出典:ケータイ Watchインタビュー

ドコモも対策は進めている。

2025年度には基地局数を15%増やし、設備容量も15%拡大した。主要都府県、つまり南関東、大阪、愛知では基地局数18%、設備容量19%の拡大だったという。(出典:ケータイ Watchインタビュー

また、ドコモは2025年度の通信改善取組みとして、山手線や東海道線など主要鉄道動線のSub6基地局数を1.2倍に増強し、渋谷、新宿、東京、横浜など主要駅周辺の設備容量を1.3倍に増強する施策を掲げている。(出典:ドコモ通信改善取組み宣言

要するに、ドコモは何もしていないわけではない。

だが、利用者の信頼は、改善計画ではなく体感で決まる。

山では今もドコモが強い

公平のために言えば、山岳地域では今でもドコモの安心感はある。

ドコモは公式サイトで「携帯電話をご利用になれる登山道」の情報を公開している。2025年9月2日時点の情報として、利用可能な代表的な山やスポットを検索できるようにしており、「登山道でも『つながる』をめざして」と取り組みを紹介している。(出典:ドコモ登山道エリア案内

ここは、やはりドコモらしい。

山、地方、道路、人口密度の低い地域では、利用者数も少なく、混雑しにくい。広いエリアを地道に面で支えるドコモの強みが生きる。

だから、「ドコモはもう全部ダメだ」と言うつもりはない。

山では強い。地方でも強い場面は多い。

しかし、私がドコモを離れたのは、山でつながらなかったからではない。街でつながらなかったからである。

都市の生活圏で不安を覚えるようになったとき、「つながるドコモ」の神話は崩れる。

強みが弱みに変わった

ドコモの悲劇は、かつての強みが弱みに変わったことにある。

ユーザーが多い。契約者が多い。ブランドが強い。安心感がある。

かつては、それがドコモの勝ち筋だった。

しかし、スマホ時代の通信量は桁違いに増えた。動画、SNS、地図、決済、クラウド、ゲーム、テザリング。携帯電話が電話とメールの道具だった時代とは、ネットワークにかかる負荷がまるで違う。

ユーザーが多いことは、混雑の原因にもなる。都市部では、最大手であることが快適さを保証しない。むしろ、最も多くの利用者を抱えるがゆえに、設備容量の不足が体感品質を直撃する。

携帯市場のシェアにも、変化は出ている。MCAの分析によれば、2015年度から2024年度第2四半期までの約10年で、ドコモの累積シェアは45.4%から41.0%へ低下し、MVNOを除く「真水」の累積契約数では41.6%から34.7%へ低下した。(出典:携帯市場シェア分析

それでもドコモは最大手である。

しかし、最大手であることと、最も信頼されることは違う。

ドコモは入口を失った

平成のドコモは、利用者の入口を握っていた。

端末を買う。契約する。メールを使う。iモードにつなぐ。コンテンツを買う。料金を払う。すべてがドコモの世界にあった。

だが、スマホ時代になると、入口は分散した。

端末はAppleとGoogleが握った。メッセージはLINEが握った。検索はGoogleが握った。動画はYouTubeやNetflixが握った。決済はQRコード各社や交通系ICが握った。ポイントも、楽天、PayPay、Ponta、dポイントが乱立した。

ドコモは、モバイル生活の入口から、単なる回線提供者へ近づいてしまった。

そこで残る最大の価値が「つながる安心」だった。

ところが、その安心が揺らいだ。

これは致命的である。

料金が少し高くても、つながるからドコモを使う。サポートが面倒でも、つながるからドコモを使う。新しいサービスが冴えなくても、つながるからドコモを使う。

その最後の理由が崩れれば、利用者は動く。

私がそうだった。

平成の覇者はなぜ負けるのか

フジテレビもドコモも、平成の覇者だった。

フジテレビは、家庭のリビングへの入口を握った。
ドコモは、モバイル生活への入口を握った。

どちらも、時代の中心にいた。どちらも、生活者の時間と注意を支配した。どちらも、強すぎた。

だが、強すぎた企業は、自分がなぜ選ばれていたのかを見失いやすい。

フジテレビは、視聴者が自分たちの編成に従うと思い込んだ。ドコモは、利用者が自分たちの回線に留まると思い込んだ。

しかし、生活者は冷酷である。

面白くなければ見ない。
つながらなければ替える。

ドコモの凋落は、単なる通信品質の話ではない。制度に守られ、ブランドに守られ、巨大な顧客基盤に守られてきた企業が、生活者の体感という最も単純な審判に敗れつつあるという話である。

山ではまだ強い。
財務も強い。
技術的な改善も進めている。

それでも、都市の日常で「つながらない」と感じた利用者は離れる。

ドコモが取り戻すべきものは、単なる速度ではない。単なるカバー率でもない。

「困ったときでもドコモなら大丈夫」という信頼である。

ポケベル世代がドコモを見限る日。

それは、平成の通信王者が、自らの神話を失った日でもある。

【出典】

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