
自治医科大学の卒業生が、大学と愛知県を相手取り東京地裁で争っている訴訟が続いている。在学中に貸与された修学資金2660万円に、大学側が「利息」と位置づける年10%相当の1106万円を加えた計3766万円の一括返還を求められたことを、違憲・違法と主張する訴訟である。借りたのは2660万円。それが途中離脱によって3766万円に膨らみ、一括で請求される。この返還条項を含む制度の法的妥当性が問われている。
注目すべきは、この原告に対する医師たちの反応だ。
「約束したんだから返せ」
「税金で医者になったんだから文句を言うな」
医師コミュニティからの非難は、一般社会からのそれよりむしろ激しいように見える。
私はこの反発の背景には医師集団の構造的な利害が絡んでいると考えている。
自治医大方式——長期の義務年限、年10%の損害金、離脱時の一括返還——は、全国の都道府県が地域枠制度を設計する際に参照してきた事実上の標準となっている。実際、厚労省自身が、地域枠の義務年限を自治医大と同程度、すなわち貸与期間の1.5倍とするよう示してきた。これは自治医大のみの内輪の紛争ではない。この地域医療への医師配置システムそのものの正当性が問われているのである。
構造的利害の分析
医師偏在の解消方法は、おおむね三つに絞られる。
地域へ行く医師に十分な報酬を与えて勧誘するか、医師全体で地域勤務を分担するか、一部の医師に長期の勤務義務を負わせるか。
現行の自治医大・地域枠制度は第三の方法である。
地域へ医師を勧誘しようと思えば、医学生に貸す学費どころでは済まない。医師の年収に比べれば、学費程度のインセンティブでは医師は都市部での生活を捨てない。そもそもそれで医師が来るなら自治医大も地域枠も必要がない。つまり、免許のない学生のうちに囲い込んでおいた方が安く地域に医師を確保できる、という発想が背景にあると言わざるをえない。
そして、私を含め、医師の大多数は、自ら進んで地域医療に従事しようというほどの奉仕的精神は持ち合わせていない。
この制度が維持される限り、地域は人件費を節約できる。
一方で、特に義務を負わない大多数の医師は、自分が地域へ移動を強制されることもなく、地域医療が一応維持される便益を享受できる。
さらに、地域に固定されている医師が自由に都市部へ移動すれば、都市部の医師供給は増え、勤務条件や報酬に下落圧力がかかりうる。
制度の維持は、義務を負わない側の労働市場も守っているのである。
つまり、
地域医療の必要性は認める。
しかし自分は少しぐらいのインセンティブではやりたくない。
ならば誰かにやらせるしかない。
その「誰か」として選ばれているのが、比較的、経済的な選択肢が乏しい18〜20歳の若者——という構図だ。
一般の医師は、各自治体と並んで、この制度の中立な傍観者ではなく受益者なのである。
9年という年限の正体
制度擁護派は「義務年限終了後も多くが地元に残る。地域医療への愛着が育つのだ」と言うかもしれないが、私にはそうは見えない。
もし愛着が本当に育つなら、義務年限は3年でも足りるはずだ。3年あれば地域医療の魅力は十分にわかる。愛着で人が残るなら、年限を短縮しても定着率は落ちないはずで、制度側が短縮を恐れる理由はない。
ところが現実には、自治医大も全国の地域枠も、9年という年限は譲らない。この態度こそが、「愛着で残る」という仮説を制度運営者自身が信じていないことを示唆している。
では9年の根拠は何か。自治医大自身の説明によれば、修学資金貸与期間6年の1.5倍という算式である。これは教育効果や定着効果の実証から導かれた数字ではない。単なる掛け算の結果で、つまり9年という長さに業務上の根拠はない。
一方で、9年という長さが持つ作用は明確にある。医学部卒後の9年間は、専門医取得のゴールデンタイムだ。
しかし、この期間を義務勤務で過ごせば、30代半ばから年下の指導医のもとで再研修に入ることになる。
私は医師として働く中で、義務年限を終えた医師の再出発へのハードルを現場で見てきた。9年とは、離脱の経済的コストに加えて、キャリアの不可逆性を発生させうる長さである。3年なら専門研修への合流はまだ容易なため、「縛り」として効果は薄い。義務年限終了後に多くの自治医大出身者が地域に残るのは、愛着というよりは、9年間で生じたキャリア上・生活上の経路依存の帰結と考えるのが整合的だ。
お金と時間の両方を人質に取り、「新しい道に進むより残る方が楽だ」という状態を作り出す。結果として、この制度はそのように誘導している。
本道は別にある——その上で、あえて
あらかじめ言っておくと、私の考える本筋は、医学部定員を増やすこと、あるいは看護師・薬剤師への権限委譲を進めて、そもそも「医師でなければ担えない仕事」を減らすことである。それが地域医療問題を含めた医師不足の根本的解決策であり、処方権の議論を含め、これらは別稿で論じてきた。
だがここでは、あえてその議論は置いておく。
地域医療を医師で担うことは許容したとしても、それでもこの制度は正当化できない。
対案——医師免許を60歳で更新制に
それでは他にどうしたら地域医療の医師を生み出せるのか。対案を一つだそう。
医師免許を60歳で更新制とする。
更新の条件は二つ。
医師国家試験の必修問題で8割、そして医療過疎地域での通算1年の勤務である。
勤務は連続1年である必要はなく、3ヶ月×4回に分割してもよい。診療所を長期に離れられない開業医は、代診医、近隣医療機関、あるいは医師会の相互扶助でカバーすればよい。試験は55歳から受験可能とし、5回まで挑戦できる。疾病・介護等の事情には猶予規定を設ける。というものだ。
18歳の時点で卒後9年を空間的、業務的に拘束する契約と、55歳から5年の予告期間があり、分割可能で、猶予もある通算1年とでは、予見可能性と可逆性は桁違いである。
これで地域の医師は賄えるのか。数を確認しよう。
医療施設で働く医師約33万人のうち60代は約6万人。毎年おおむね6000人前後が60歳に到達する計算になる。各人が通算1年ずつ勤務する定常状態では、常時6000人規模の医師が過疎地域に存在することになる。
一方、自治医大の入学定員は123人。義務年限9年のうち、へき地等での勤務は原則4〜5年だから、常時のへき地勤務者は500〜600人程度である。単純な医師年数の比較で約10倍。
配置の調整や診療科の構成といった実務課題は残るので「これで全て解決」とまでは言わないが、少なくとも、人数としてはこの案で十分賄えると言える。
受け入れ体制についても大きな問題はない。各都道府県の地域医療支援センターは、現に地域枠医師の配置調整を行っている。若者の9年間の配置調整ができて、ベテランの3ヶ月単位の配置調整ができない理由はない。
更新試験は国家試験と同等でなければならない
更新試験についても補足しておこう。
「新卒向けの国試ではなく、医療安全やcommon diseaseを中心とした実務的な試験の方が合理的ではないか」という意見もあるかもしれないが、私はあえて国家試験の必修問題そのものを課すべきだと考える。
理由は単純で、免許の意義とは、一定の能力の担保とその保証だからである。新規参入者に課す試験と、更新者に課す試験が異なるなら、その免許は同一の能力を担保していないことになる。60歳の医師が新卒に求められる必修水準を満たせないなら、それは「ベテランだから免除される」話ではなく、免許が保証すべき最低線を割っているという話である。
逆に、もし「医療安全・感染症・救急・薬物療法・common disease中心の試験の方が医師の能力評価として合理的だ」というなら、医師国家試験自体をそう変えるべきだろう。
更新試験だけを「実務的」に緩めるという発想は、新規参入には高いハードルを課して参入を制限し、既得権者には緩い基準を適用するという、免許制度に付随してきた古典的な参入障壁である。とはいえ、昨今の医師国家試験、特に必修問題に関してはより現場に即した問題になってきており、さほど大きな懸念には当たらないだろう。
予想される反論と、その自壊
この提案には猛反発が来るだろう。
反論は概ね四つに分類できる。興味深いことに、そして必然的に、これらの反論は、そのまま現行制度への反論となる。
第一の反論「更新を嫌って59歳で引退する医師が続出する」
引退は自由だ。通算1年の地域勤務と数日の試験を嫌って医師を辞める人がいるなら、辞めればよい。初期臨床研修でも地域医療は義務化されている。臨床研修の前に無論国家試験も受かっている。同等の更新ができないということは、質を担保できない、ということである。むしろ引退すべきだ。
第二の反論「60歳の開業医に地域医療は務まらない」
たしかに、街の開業医と過疎地の地域医療は同じではない。しかし、どんな診療でも救急対応、あるいはトリアージは必要だ。普通に街の開業医をやっているならできるはずだ。それに、多くの医師会所属医師は急病診療所で休日夜間の救急初期対応はしている。基本的に、普通に臨床をやっているのなら、最低限の地域医療もできるはずだ。
とはいえ、過疎地で搬送判断まで担う診療とでは、強度が違う。であれば、地域医療赴任前にcommon disease・救急初療・頻用薬の短期再研修をしても良いだろう。
それでも「専門を離れたら何も診られない」と主張するなら、それは更新制への反論にとどまらない。全診療科を包括する医師免許が、一体何を保証しているのかと問わねばならない。専門外を診られない、というなら、それこそが更新制が必要である理由そのものだ。
第三の反論「一発勝負の試験で免許を奪うのは酷だ」
その通りなので、一発勝負にはしない。55歳から5回。5年間の準備プロセス自体が継続教育として機能する。試験の目的は落とすことではなく、知識の更新を促すことだからだ。
その上で、5年間、5回の機会を与えられて、なお新卒に求められる必修水準の8割に届かないとしたら、その医師に免許を与えるべきではない。能力が担保できていないのだから当然だ。
第四の反論「60歳の医師に地域勤務を課すのは職業選択の自由の侵害だ」
たしかに、自治医大、地域枠と、国家による免許更新条件とでは、法的な構成が異なる。しかし、国家による免許規制は国会と裁判所の審査を通らねばならないのに対し、18歳との契約はどちらの審査も経ずに同等以上の拘束を実現している。60歳の1年が職業選択の自由の侵害なら、18歳の受験生と結ぶ9年の勤務義務と離脱時数千万円の請求という契約は、それ以上に強い正当化を要するはずだ。
「自分の3ヶ月×4回は耐え難いが、他人の子の9年は妥当だ」という理屈は通らない。
今回の訴訟への反発はこの他人への社会的義務押し付けの正当化が主因だろう。
訴訟の先にあるもの
裁判所が最終的に、元本の返還義務は認めつつ、年10%の損害金や一括返還、勤続比例の減免の欠如だけを制限する——そうした中間的な判断もありうる。仮にそうなるとどうなるだろうか。
これまで義務年限の離脱を思いとどまらせてきた「諦めさせる仕組み」を失う。仮に勤務年数に応じて返済額も減るとするなら、例えば6年の地域医療終了後に離脱する人は増えるだろう。残り3年分、これまでの1/3の額を払うだけで良い。そしてそれは6年の医師としての勤務で十分返済可能である。
つまり、この訴訟は勤続比例の減免を認めさせるだけで、自治医大、地域枠の仕組みの根幹を変えることとなる。
すなわち「義務年限」という言葉が実効性を失う。
いや、むしろ逆だ。本来はあるべき勤続比例の減免を頑なに認めなかった制度が「義務年限」という足枷を生み出していたのである。
どういう条件なら地域に行きますか?
地域医療が必要であることは、今回は誰も否定していない。
問題は、そのコストを誰に負わせるかだ。
現行制度は、医師免許という餌で18歳を釣り、9年間の勤務義務を課し、離脱には「一括で」数千万円を要求する。一方で、すでに免許を持つ33万人の医師にはほとんど何も求めない。この非対称を「若者の自己責任」という言葉で覆い隠してきたのが、日本の地域医療政策である。
原告を非難する医師たちに、問おう。
では、あなた自身はいくらなら地域で働きますか。
何年なら、地域勤務を義務づけられても構わないのですか。
「自分は嫌だが、地域枠の若者は学費分で9年やるべきだ」
——そう答えるのなら、少なくともその医師は、この制度について中立な第三者ではない。
他人が9年間地域医療を担ってくれることによって、自分はその負担を免れている受益者だからである。
編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年8月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。







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