3月16日に沖縄県名護市の辺野古沖で起きたボート転覆事故で、17歳の娘、武石知華さんを亡くした遺族が9月8日、事故に関わった同志社国際高校の教諭が亡くなったことについてnoteで思いを綴った。

事故では、研修旅行中だった同志社国際高校の生徒らを乗せた小型船2隻が転覆し、知華さんと船長の金井創さん(71)が死亡した。学校側は出航前に波浪注意報について十分な確認をしておらず、船の運航に必要な登録についても確認していなかったことなどが、その後明らかになっている。

武石知華さんがj乗船していた「平和丸」
事故に関わった59歳教諭が死亡
8月23日、研修旅行に関わっていた同志社国際高校の59歳の教諭が死亡した。学校側は8月30日の保護者説明会で教諭の死亡を明らかにしており、現場の状況などから自死とみられると報じられている。関係者によると、教諭は事故後、「事故について生徒に謝罪をしたい」と周囲に相談していたという。
知華さんの遺族はnoteで、教諭が知華さんの通夜で焼香した後、「誰よりも深く、長く、頭を下げてくださった」と振り返った。
事故後、遺族がこの教諭と直接話す機会はなかったという。それだけに、「あの時の姿は、言葉以上のものを私たちに伝えてくださった」と、その時の記憶を記している。
教諭は長年、沖縄研修旅行に関わっていた。過去の研修旅行の文集では、沖縄の現状に強い思いを寄せる一方、講師やガイドによる政治的な話を生徒が受け止め切れず、距離を置く場面があることへの葛藤も記していたという。
遺族は、その文章から「その流れに一人で抗うことはできないまま、悩みを言葉にして残していた先生の姿」が見えると受け止めている。
「事故は一人の判断で起きたのではない」
今回の遺族の発信で最も重要なのは、教諭個人に事故の責任を負わせることを明確に否定している点だ。
遺族は、事故は誰か一人の判断によって起きたものではなく、4年間にわたる多くの判断の積み重ねの結果だったと指摘する。そして、本来は関係者全体で分かち合うべき責任の重さを「誰か一人の肩に」負わせてはならないと訴えた。
辺野古沖でのボートコースは2022年度以降続いていた。遺族は以前から、事故当日の判断だけではなく、なぜ危険を指摘して中止する仕組みが働かなかったのかについて過去にさかのぼった検証を求めている。第三者による十分な調査を求め、「結論ありきの処分は、けじめではなく幕引き」とも訴えてきた。
教諭が亡くなったからといって、この検証まで終わらせてはならない。遺族は「全容の解明と再発防止は、これまでと変わらず進めなければなりません」と強調している。
「責任は、命で取るものではありません」
そして遺族は、生徒たちに向けて次の言葉を残した。
「責任は、命で取るものではありません。」
責任を果たすとは、生きて事実を語り、間違いを認め、それを変えていくことだという。
この言葉は重い。
知華さんの命を奪った事故について責任の所在を明らかにすることと、特定の個人を精神的に追い詰めることは同じではない。むしろ個人の死によって検証が止まれば、事故を生んだ組織や意思決定の仕組みそのものが見えなくなる恐れがある。
遺族は、亡くなった教諭が事故後に何を考えていたのかについて「推察することもしません」と慎重に記している。その姿勢も重要だ。教諭の死と事故との因果関係を安易に断定するべきではない。
一方で、学校の中には現在も思い詰めている教員がいると聞いているとして、遺族は関係者の命が守られることも願っている。
事故を検証し、責任を明らかにすること。それと同時に、責任を一人の人間に押しつけないこと。この二つは矛盾しない。
知華さんの死に加え、事故に関わった教員まで亡くなる事態となった今、同志社に求められているのは誰か一人を「責任者」として処分して終わることではない。なぜ4年間、危険を止めることができなかったのか。その組織的な経緯を明らかにし、同じ事故を二度と起こさない仕組みに変えることである。
遺族の「責任は命で取るものではない」という言葉は、生徒だけでなく、事故に関わるすべての大人に向けられたものではないだろうか。







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