JR東日本「博士採用枠」設置でも選考基準は「人間力」という日本的雇用の変わらなさ

JR東日本が、2027年度採用から博士人材のための専用採用コースをつくるそうである。

博士号取得者の初任給は35万8000円。博士課程まで進んだけれど、事情があって学位取得には至らなかった人にも、一定の加算をするという。

【参照リンク】JR東日本が博士専用の採用枠 初任給35万8000円、「人間力を評価」 日本経済新聞

日本企業がようやく博士人材に目を向け始めたこと自体は歓迎したい。ところが、その採用理由を読んでいると、いかにもJTC(Japanese Traditional Company)らしい違和感が残る。

JR東日本が博士人材について強調しているのは、研究内容や論文、専門知識ではない。「最先端の場所で研究と戦ってきた忍耐力」や「研究室を運営する統率力」といった「人間力」だからだ。

E233系 JR東日本サイトより

博士まで「人間力」で採るJTC:高度な専門人材を評価できない日本型雇用

JR東日本が2027年度採用から博士人材向けの専用コースを新設するという。博士号取得者の初任給は35万8000円。博士課程に進学したものの、学位取得に至らなかった人にも初任給を加算する。

日本企業が博士人材に目を向け始めたこと自体は歓迎したい。ところが、その採用理由を読んでいると、いかにもJTC(Japanese Traditional Company)らしい違和感が残る。

JR東日本が博士人材について強調しているのは、研究内容や論文、専門知識そのものではない。「最先端の場所で研究と戦ってきた忍耐力」や「研究室を運営する統率力」といった「人間力」である。

博士の価値まで「人間力」「ガクチカ」に翻訳する日本企業

もちろん忍耐力も統率力も重要だ。しかし博士号とは本来、ある専門分野で新しい知識を生み出す訓練を受け、一定水準以上の研究能力を身につけたことを示すものである。

ところが日本企業にかかると、それが「研究を何年も続けたから我慢強い」「研究室で後輩をまとめたからリーダーシップがある」という話に変換されてしまう。

実際、JR東日本は博士号を取得できなかった博士課程経験者についても、「研究成果のみを評価するのではなく、研究の中でどのような役割を果たしたのか」を個別に評価するという。

門戸を広げる制度としては理解できる。しかし、それならなおさら疑問が湧く。いったい研究そのものは、どこまで評価されるのだろうか。

R&D強化なのに研究内容が前面に出てこない

JR東日本は博士採用を増やす理由として、新型新幹線、自動運転、アカデミアとの連携、新規事業開拓などを挙げている。つまり必要なのは明らかにR&D人材である。

しかし、まず伝わってくるのは、「奇人変人だと思っていたが、会ってみたら人間力があった」という人事側の発見である。博士人材を採用するというより、かつてない人手不足・人材不足から、博士の中から従来型の日本企業に適応できそうな人材を探しているようにも見える。

年功序列と終身雇用では専門家に値段を付けられない

これはJR東日本だけの問題ではない。背景にあるのは、日本企業に長く根付いてきた年功序列、終身雇用、新卒一括採用、ジョブローテーションを中心とする雇用慣行である。

日本型雇用は、特定の仕事に対して人を採るというより、「会社の一員」を採用し、長い時間をかけて社内で育てる仕組みだった。

入社時点では専門性より潜在能力を見て、その後は営業、企画、管理、現場などを異動させながら、会社全体を知るゼネラリストに育成する。このシステムの中では、給与も「この技術を持っているからいくら」ではなく、「何年会社にいるか」「どの職位にいるか」で決まりやすい。

だから、高度過ぎる専門性を持つ人材ほど扱いに困る。

たとえば世界的なAI研究者や半導体技術者、量子技術の専門家がいたとしても、「その人の市場価値は年収5000万円です」となったとき、隣に座る同年代の部長が1200万円という組織では簡単には処遇できない。

逆に年齢や社内資格に合わせて給与を決めれば、世界市場で争奪戦になっている高度人材は採れない。日本企業が長年、「博士は専門性が高すぎる」と敬遠してきた背景には、この構造的な矛盾がある。

日本企業の人事制度が、高度な専門性を評価するようにつくられていないのである。

「とっぴな人は困る」が停滞を生んだ

さらに象徴的なのは、JR東日本の社内から「とっぴなことをする人材が入ってきたら困る」という反対意見が出たという話だ。これは笑い話ではない。

イノベーションとは、既存組織から見ればたいてい「とっぴなこと」から始まる。全員が空気を読み、前例を守り、上司の意向を確認しながら行動する組織から、非連続な技術革新が次々に生まれるとは考えにくい。

博士を採った後に数年ごとのジョブローテーションで営業や管理部門に回し、最終的に「何でもできるゼネラリスト」にしてしまえば、何のために博士を採ったのか分からない。

博士採用によって日本型雇用を変えられるか

日本企業が博士を敬遠してきた背景には、「専門性が高すぎる」「年齢が高い」「扱いにくい」という発想があった。しかし考えてみれば奇妙な話である。企業が新しい技術や事業を必要としているなら、高度な専門家ほど歓迎されるべきだからだ。

JR東日本は「新たな事業領域を拡大するには博士の力が必要だ」という。その通りだろう。だから必要なのは、博士を「少し変わった優秀な会社員」として採ることではない。何を研究し、何を発見し、何をつくれるのか。その専門性そのものに値段を付けることだ。

博士を採れる会社になるには、まず日本型雇用そのものと向き合わなければならない。

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