なぜ町工場の社長は自分より優秀な人を採用しないのか

中小製造業を見ていると、不思議な人事に出会うことがある。

会社を成長させたい。新しい事業を始めたい。海外へ進出したい。DXを進めたい。若い人材も採用したい。

経営者はそう話している。

ところが、いざ自分より経験が豊富な人、自分の知らない専門知識を持つ人、大企業や異業種で高度な仕事を経験した人が応募してくると、なぜか採用をためらう。大いなる矛盾だ。

「うちにはオーバースペックだ」
「うちの社風には合わない」
「扱いにくそうだ」
「すぐ辞めるのではないか」

もちろん、本当にミスマッチの場合もある。しかし中には、もっと単純な理由が隠れているように思える。

自分より優秀な人間を社内に入れるのが怖いのである。

これは町工場の成長を妨げる、非常にもったいない経営だと思う。

社長の能力が会社の上限になってしまう

創業者やオーナー経営者が強い会社では、社長の能力がそのまま企業の競争力になることがある。

これは創業期には強みである。

社長自身が営業する。製品を開発する。銀行と交渉する。人を採用する。設備投資を決める。重要顧客とのトラブルが起きれば自ら対応する。

社長の判断力と行動力によって会社が成長する。

問題は、その次である。

会社が一定規模を超えると、一人の人間がすべての分野で最高の専門家であり続けることは不可能になる。技術、生産、品質、営業、財務、人事、法務、IT、海外事業。経営に必要な専門領域は増えていく。

本来なら、この段階で経営者は、「自分にできないことができる人」を採用しなければならない。

ところが、ここで人材採用の方向を間違える会社が多い。

社長より財務に詳しい人ではなく、社長の指示通りに経理処理をしてくれる人を採る。
社長より海外市場に詳しい人ではなく、社長の海外出張を手配してくれる人を採る。
社長より人事に詳しい人ではなく、社長が決めた給与を計算してくれる人を採る。

これでは専門家を採用しているのではなく、社長の指示を疑わない手足を増やしているだけである。手足だけあって頭がない会社を社長自ら作っている。

その結果、従業員が100人になっても300人になっても、会社の知的能力は社長一人の限られた能力を大きく超えない。社長の能力が、そのまま会社の能力の上限になってしまう。

「社長、それは違います」と言える人を採用できるか

優秀な人材を採用することには、経営者にとって不愉快な側面もある。

自分より財務に詳しい人を採用すれば、「社長、その投資では採算が合いません」と言われるかもしれない。

優秀な技術者を採用すれば、「その技術では今後競争できません」と言われるかもしれない。

人事の専門家を採用すれば、「その評価制度では優秀な人ほど辞めます」と言われるかもしれない。

海外ビジネスの経験者なら、「その製品は、その売り方では海外では売れません」と言うかもしれない。

つまり、自分より優秀な人を採用するということは、自分が間違っている可能性を社内に持ち込むことでもある。

ここで経営者の器が問われる。

「俺が社長なんだから、何でも俺の言うことを聞け」と言うのか。それとも、「その分野については君の方が詳しい。説明してくれ」と言えるのか。

後者の方が、会社を大きくできるのは当然ではないだろうか。

大きくなる会社は「社長より優秀な人」を集める

そもそも、大企業のCEOが経営する会社のすべてについて最も詳しいわけではない。CFOはCEOより財務に詳しくていい。CTOはCEOより技術に詳しくていい。CHROはCEOより人事に詳しくていい。海外事業責任者はCEOより現地市場に詳しくていい。

むしろ、それが正常な組織である。

優れた経営者とは、すべてを自分でできる人ではない。自分にはない能力を持つ人間を集め、その能力を組み合わせて成果を出せる人である。

ところが町工場では、頻繁に逆の現象が起こる。

社長が自分を脅かさない人を選ぶ。
部長も自分を脅かさない課長を選ぶ。
課長も自分より優秀すぎない部下を好む。

この人事が何世代も続けばどうなるか。組織全体が、「自分より優秀な人を入れないシステム」になってしまう。これは非常に危険である。

「従順さ」を採用基準にすると組織は劣化する

もちろん、人間の能力を一つの尺度で「優秀」「優秀でない」と単純に分類することはできない。

問題はそこではない。

専門性、経験、判断力、問題発見能力などについて、自分より優れた人材を歓迎できる組織なのかということである。

採用で「能力」より「従順さ」が重視されると、社内で評価される人物像も変わってくる。

社長の意見に反対しない。余計な問題を指摘しない。前例を疑わない。失敗しそうな計画でも黙って実行する。そして、「社長のおっしゃる通りです」と言う。

こうした人が出世する組織では、優秀な人ほど居心地が悪くなる。問題を発見すれば指摘したくなるからだ。

改善案があれば提案したくなる。合理性のない仕事には疑問を持つ。

ところが、それが「生意気だ」「協調性がない」「うちの社風に合わない」と評価される。

やがて優秀な人から辞めていく。残るのは、現在の秩序に過剰適応した人たちである。こうして、組織はどんどん劣化する。

優秀な学生ほど会社の「知的水準」を見ている

これは採用にも影響する。

企業は学生に対して、「若手が活躍できます」「挑戦できる会社です」「人を大切にしています」と宣伝する。

しかし、優秀な学生ほど公式サイトのキャッチコピーだけでは会社を判断しない。

会社説明会や面接で社員と話しながら、「この人たちから何を学べるだろう」「この上司の下で5年間働いたら、自分は成長するだろうか」「この会社に入ることで、自分の市場価値は上がるだろうか」と見ている。

そこで魅力的な社員が何人も出てくれば、「この会社にはすごい人がいる」となる。

逆に、経営者を含めて誰も魅力的に見えなければ、「ここに入って自分は成長できるのだろうか?」と疑問に思われる。

地方企業が「優秀な若者が来ない」と嘆くことがある。

しかし、多くの場合、順序が逆だ。優秀な人を絶対に採用しない会社だから、優秀な若者から見向きもされなくなっただけである。

優秀な人は、さらに優秀な人を呼ぶ

人材にはネットワーク効果がある。優秀な技術者がいる会社には、その人と仕事をしたい技術者が集まる。優秀なCFOがいれば、財務や経営企画を学びたい若手が来る。海外事業で成果を上げている人がいれば、国際的な仕事をしたい人が応募する。優秀な人が優秀な人を呼ぶ。

逆もまた起きる。

能力の高い人を排除する組織では、優秀な人が辞める。それを見た別の優秀な人も辞める。評判が採用市場へ伝わる。さらに応募者の質が下がる。

人材の質は一人ずつ足し算されるのではない。長期的には、組織文化を通じて「複利」で効いてくるのである。

社長より優秀な従業員がいて何が困るのか

ここで根本的な問いを立てたい。社長より優秀な従業員がいて、いったい何が困るのだろうか。

優秀な従業員がいたからといって、多くの場合、その人がすぐ次の社長に選ばれるわけではない。

むしろ、

社長より技術に詳しい人
社長より財務に詳しい人
社長より営業がうまい人
社長より海外を知っている人
社長よりITに詳しい人

そういう人たちが自分の会社のために働いてくれる。経営者にとって、これほどありがたい状態はないはずである。

経営者の仕事は「社内で一番賢い人」であり続けることではない。社内で最も優秀な人たちが能力を発揮できる環境を作ることである。

社長を超えられない会社に未来はあるか

日本では中小企業の人手不足が深刻だと言われている。しかし、本当に問題なのは人数だけなのだろうか。

人手不足といいながら、自分より優秀そうな応募者を警戒する。若者が来ないといいながら、若者が魅力を感じるような人材を社内に入れない。DX人材がいないといいながら、専門家から既存業務を否定されるのを嫌がる。海外展開したいといいながら、海外経験者の意見より社長自身の経験を優先する。

これでは会社が変わらないのも当然である。

中小企業の成長を阻んでいるものは、資金不足でも人手不足でも市場環境でもなく、自称経営者自身である。

自分より優秀な人間を歓迎できるか。自分と違う意見を聞けるか。自分の間違いを指摘する人を昇進させられるか。そして、自分にはできない仕事を他人に任せられるか。

会社が社長を超えて成長できるかどうかは、そこにかかっている。

町工場の社長が目指すべきなのは、社内で一番賢い人になることではない。「自分より優秀な人がたくさんいる会社」を作ることである。

それができたときに初めて、会社の限界は社長自身の限界ではなくなる。

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