会社の仕事が楽しくて楽しくて、という人は私の肌感覚ではざっくり2、3割程度ではないかと思います。2024年のギャラップ調査では「仕事に意欲的、積極的に取り組む人」の割合が日本はわずか6%で世界最低水準となっています。またちょっと古いデータですが、国際比較調査グループISSPでも世界32か国中28位、PwCの調査でも今の仕事に満足している人は29%などというデータとなっています。

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厳密に何%という数字は取りにくいですが、概して世界と比べ、相対的に仕事に満足していない人が多いようです。
大手企業の人事部ではあの手この手でやる気を引き出す作戦を行っています。一種の企業版ポピュリズムとも言える状況で腫れ物に触るようなそんな感じすら見えるのです。日経ビジネスを毎週読んでいると人事に関する記事も割と多いのですが、読んでいて気を引くような人事的アイディアはほとんどありません。人事部の「うちの部、やっています感」が強くて多分、役員会議のプレゼン用ではないかと勘繰りたくなるものもあります。
人心を掴むことは難しいのでしょうか?なぜ、日本人は他国と比べて仕事への情熱が上がらないのでしょうか?
この道の専門家なる方々の意見も数多く読んできましたが、何か他人事に聞こえます。つまりそれら専門家も会社という組織を否定できないので表層的な取り繕いが多く、一見まっとうそうに聞こえても効果には疑問符がついていると思います。故に昔から新入社員の「3年3割」の退職比率はさして変わらないのであります。
またここにきてAIの導入を会社が全面的に推進し、一部の企業ではAIを半ば強制的に使わせるようなところもあります。以前にも書いたのですが、パソコン時代の到来では管理職の方々がなれないキーボードに四苦八苦もパソコンが作り上げた企業の業務の効率性は確かに目を見張るものがあったと思います。ただ、AIについてはまだ過渡期であり、様々な意見が出る中で社員の仕事のやりがいという点にフォーカスしたものはまだ少ないのではないかと思います。
なぜ会社で仕事をするのか、あるいはなぜ共稼ぎをするのか、と言えば10中8、9が経済的理由でしょう。カナダでの就職を見ていると「嫌な仕事にはつかない」という一種の頑固さがあり、やりたい仕事を厳選する傾向が見られます。もちろんその弊害として高い失業率となるのですが、そうなりやすいもう一つの理由は企業側が「やる気のない人」「イヤイヤ仕事をしている人」は「さようなら宣告」をするからでしょう。つまり少数精鋭だけど前に向く人たちでしっかりとビジネスをしていくという感じです。
日本に来るといつも思うのは人で溢れかえっている、だから企業側は猫の手も借りたい状況にあります。猫の手レベルなので「つべこべ言わず、君はそこに立って人の誘導をして」といった極簡単な業務を延々とやらせるわけです。これにやる気を見出せるか、と言えば明らかにNOです。
私が会社に入った時、ゼネコンの現場勤務で事務方でしたので工事収支の月報から業者との契約、支払い業務がメインとなります。入ったばかりの時は全てが新鮮なのですが、上司から学んだのは何故そのような作業をするのかではなく、「会社のルールではこうなっているからここにこう書くように」という社内基準に基づく業務の押し付けでありました。
多分、多くの企業では今でも同じだと思います。新入社員教育とは社内ルールを教え込むことであります。
日本で転職がなじまなかった理由の1つは社員を抱え込み、社員を一種の不完全な状態に放置する傾向があると言ったら言い過ぎでしょうか?要はあまり大所高所から勉強してくれるな、会社のルール通りにやってくれればそれでよろしい、という囲い込み政策です。これでは何年経っても真のスキルは身につきません。よって「俺、辞めるわ」といっても実はほとんど何の能力も身に着けていなかったということになりかねないのです。
会社の仕事が楽しくないのは誰も会社のルール以外を教えないからです。そして知りたければ自分で勉強するしかない、だけどそんな時間的余裕は全くない、だから月曜日から金曜日まで惰性で会社に行き、今週も一週間が終わったという消化ゲームのような方が増えてしまうのです。
我慢して仕事をするとメンタル的に厳しい状態になりやすいのはご承知の通りです。ただ、同じメンタルの問題でもアメリカと日本での違いがあります。アメリカは今の高収入、好条件の職を維持するためにどれだけ苦しい仕事でも歯を食いしばり、耐え抜かねばならない点です。アメリカ人はそのストレスからの解放を「お薬」に頼りやすい傾向があります。一方、日本人は生活のために働くという打算的なところがあるので嫌な仕事や業務でもやらざるを得ないというストレスを抱え込みます。日本ではその対応として買い物をしたり酒を飲むのだろうと思います。
私も仕事が嫌でしょうがない時もありました。ですが、それは耐える以外なかったわけで嫌がらずに腐らずに手も抜かずに一生懸命やってきたのです。忍耐力なのですが、現代においてこの言葉が通じるのか、私にはもしかして一種の死語になったのではないか、とすら思う今日この頃です。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年9月25日の記事より転載させていただきました。







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