ローマ教皇レオ14世のフランスへの4日間の司牧訪問(9月25日から28日)の直前、国際的に著名な神学者、チェコのトマーシュ・ハリーク氏は国際シンポジウム「欧州におけるシノダリティの形成」で講演し、「欧州は世俗的な環境におけるキリスト教の存在のあり方を問う実験室だ」と述べている。「政教分離」(ライシテ)を国是とするフランスはその意味で最高のラボといえるかもしれない。
レオ14世の訪仏期間、至る所で多数の国民が教皇を一目見ようと集まった。コンコルド広場の野外ミサでは、シャンゼリゼ通り周辺に数十万人の市民、信者たちが集まった。教皇は訪問3日目(9月27日)には世界的に有名な巡礼地ルルドを訪問し、最大15万人の人々と共に野外ミサを執り行い、最終日の28日はドイツ国境に近い歴史的都市メスを訪れ、ヨーロッパの未来へのメッセージを発信した。
バチカンニュースはレオ14世のフランス訪問が予想以上の成果があったと大きく報道した。その一日後、フランス社会の書割が激変したというより、教皇訪問中に潜伏していた別の国民が表舞台に躍り出てきた、というべきかもしれない。パリ首都圏で9月下旬、高校から教育環境の改善などを要求した自発的な抗議活動が始まり、その後、物価高への怒り(黄色いベスト運動の再来など)と合流し、10月17日に全国で55万人以上が参加する最大規模の全国デモ・暴動へと発展した。そして暴動は現在、イタリア、ベルギー、ポルトガルなどの隣国にも波及してきている。

フランスの作家ミシェル・ウエルベック氏 Wikipediaより
当初は学生たちの教員の増員、老朽化した校舎の修繕、過密学級の解消などがテーマだったが、ガソリン価格や生活費の高騰に対する「物価高対策」、社会保障などの「公共サービスの削減反対」、さらには「マクロン政権への退陣要求」へとエスカレートし、ここにきて大規模な反政府暴動に発展してきている。首都パリなど一部の主要都市で19日、区域を限定して夜間外出禁止令が発令された。
レオ14世を大歓迎したフランス国民、パリ市民はどこへ行ったのだろうか。フランスの歴史家エレーヌ・ミアール=ドラクロワ氏は19日、オーストリア国営放送のニュース番組「ZIB2」の中で、デモ参加者を分類し、①学生のデモに共感し、物価などの改善を求めた平和的な参加者、②極左と極右の思想的な活動家、そして③日頃の不満や恨みを晴らすために暴動に加わったグループという。そして「混乱から利益を得ているのは極左過激派や略奪者であり、平和的なデモ参加者は『敗者』である」と指摘した。
テレビのニュース番組に放映されるフランスの暴動状況をみると、「これが花の都パリか」とため息をつく人もいるだろう。クールな解説者は「フランスでは暴動やデモは伝統ですから‥」といって、現地から黒装飾の姿の若者たちが店舗のガラスを足で壊し、店の中に乱入している様子を映し出していた。
メディアの中には、気の早いジャーナリストは「1968年革命」の再現か、「ディストピアの到来か」といったテーマを話題にしている。なお、ルコルニュ仏首相は、「特に暴力的な極左勢力と高度に組織化されたネットワークに責任がある」と指摘し、中でも急進左派の「不服従のフランス」(LFI)に一因があるという。また、新反資本主義党(NPA)などの左翼組織は、当局の禁止令を無視してデモを呼びかけていたという。
ところで、フランスの作家ミシェル・ウエルベック氏(Michel Houellebecq)が2015年に発表した長編小説『服従』がここにきて再び注目されている。「イスラム教の大統領」の誕生を描いた作品で、2022年のフランス大統領選挙を舞台にした政治的フィクション(ディストピア・近未来小説)だ。極右政党の台頭を阻むため、既成の左派・中道勢力が、穏健派のイスラム政党「ムスリム同胞団」の党首モハメド・ベン・アベスを支持し、彼がフランス初のイスラム教徒の大統領に就任するというストーリーだ。マクロン大統領も「服従」を愛読したという。
小説のストーリーは現在の政治情勢と見事までに重なってくる。来年にはフランスで大統領選挙が実施される。現時点では、極右政党の国民連合(RN)のマリーヌ・ルペン候補が先行しているが、同女史の大統領選の勝利を阻止するため極左政治家メランション氏が台頭してきている。マクロン政権の支持率低迷や財政赤字の急拡大、そして移民問題を背景に、フランス社会は「革命の前夜」といった雰囲気すら出てきた。
ウエルベック氏はドイツ週刊紙「ツァイト」とのインタビューの中で、「宗教なき社会は生存力がない。自分は墓地に足を運ぶ度、われわれ社会の無神論主義にやりきれない思いが湧き、耐えられなくなる」と率直に述べたことがある。自分の神を失う一方、他の神(イスラム教)が拡大する欧州社会で生きている同氏の間接的な信仰告白だろうか。
ちなみに、ウエルベック氏は厳密なカトリック教徒でも、完全な無神論者でもなく、「神を失った絶望を抱える世俗的(文化的)カトリック」 と受け取られている。
英国から始まった「神はいない」運動が欧州全土に広がる一方、路上でイスラム過激派グループがコーランを無料配布している。そのようなシーンを目撃する度、欧州の知識人には神を失った喪失感が襲ってくるというのだ。その意味で、レオ14世の野外ミサに集まったフランス人は一時の解放感を感じていたのかもしれない。
なお、マクロン氏は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューで、大統領府のエリゼ宮殿のデスクの引き出しに書きかけの小説の原稿が入っていると述べていた。「いつかは完成させたいね」という。次期大統領選には出馬できないマクロン氏には来年4月以降は時間がある。マクロン氏はウエルベック氏らの「無神論社会の‘やりきれなさ‘」に応える小説を書くことができるだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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