戦前は潰れすぎ、戦後は潰さなすぎた:日本の中小企業政策はどこで間違えたのか

日本の中小企業政策を見ていると、極端から極端へ振れたように思える。

戦前の日本では、経営基盤の弱い中小企業や零細商工業者が景気変動や金融収縮の影響をまともに受け、倒産や廃業に追い込まれることが珍しくなかった。金融危機が起きれば、資金調達力の弱い企業ほど先に倒れる。大企業との取引関係でも、中小企業の立場は弱かった。

戦後の日本は、その反省から中小企業を守る制度を積み上げてきた。信用保証。政府系金融。制度融資。補助金。税制優遇。事業承継支援。資金繰り支援。不況時の特別保証。災害時や感染症流行時には、さらに強力な支援策が投入される。これらが多くの雇用や技術を守ってきたことは否定できない。

しかし、ここで考える必要がある。

戦前の問題が「企業が簡単に潰れすぎたこと」だったからといって、戦後の正解が「企業をできるだけ潰さないこと」だったのだろうか。

私は、日本の中小企業政策はこの地点でボタンを掛け違えたのではないかと思う。

守るべきものを、「人・技術・事業」ではなく「会社そのもの」と考えてしまったのである。

戦前の中小企業はあまりにも脆弱だった

まず、戦前型の社会へ戻ればよいという話ではない。中小企業は大企業に比べて金融市場へのアクセスが弱い。不況になると、金融機関は信用力の高い企業から資金を供給する。小さな会社は後回しになる。手元資金が少なければ、数か月売上が落ちただけでも倒産する。

経営者本人に能力があったとしても、景気循環や取引先の倒産によって連鎖的に経営危機に陥ることもある。これは市場による健全な淘汰とは限らない。将来性のある企業まで、単に金融アクセスが弱いという理由で消えてしまう。だから戦後、日本が中小企業金融を整備していったこと自体には合理性があった。

問題は、その後である。

「倒産させないこと」が政策目標になった

本来、金融支援には二種類あるはずだ。一つは、一時的なショックを乗り越えれば再び成長できる企業を助けること。もう一つは、構造的に競争力を失っている企業を延命すること。

両者はまったく違う。

ところが、日本ではしばしばこの区別が曖昧になった。売上が減った。資金繰りが苦しい。後継者がいない。人手が足りない。原材料価格が上がった。

そうすると、支援策が投入される。

もちろん、一つ一つにはもっともな理由がある。しかし、それを何十年も積み重ねれば、「会社が存在している」という事実そのものが、支援を受ける理由になってしまう。ここに戦後型中小企業政策の危うさがある。

市場経済では、本来、企業は入れ替わる

企業は永久に存在するものではない。新しい企業が生まれる。成長する。成熟する。競争力を失う。売却される。統合される。そして場合によっては消える。その一方で、そこにあった技術、人材、設備、顧客は別の会社へ移る。この新陳代謝があるからこそ、経済全体の生産性が上がる。

ところが、「企業を潰さない」ことを優先すると、この動きが止まる。本来ならA社からB社へ移るべき人材がA社に残る。本来なら成長企業が取得するはずの工場を低収益企業が持ち続ける。本来なら新規参入企業へ向かう資金が既存企業の資金繰りに使われる。

すると、企業は残るが、経済は成長しないという状態が起こり得る。

日本では「撤退」が失敗扱いされすぎる

この問題は政策だけではない。

日本社会には、企業を畳むことへの強い抵抗感がある。会社を売る。事業を譲渡する。M&Aで吸収される。会社を清算する。こうした行為が、ときに「敗北」のように扱われる。

特にオーナー企業では、「先祖から続く会社を自分の代でなくせない」「社員に申し訳ない」「取引先に顔向けできない」という心理が働く。

しかし、本当に責任ある経営とは何だろう。

会社の競争力が残っている段階で、より強い企業に事業を譲ること。そこで雇用と技術を残すこと。売却代金を得た経営者が次の事業を始めること。これらは決して失敗ではない。むしろ市場経済では極めて合理的な選択肢である。

日本の事業承継政策にも同じ発想がある

日本では「後継者不足」が大問題として扱われる。しかし私は、この言葉にも違和感がある。なぜ、すべての会社に後継者が必要なのだろう。

経営者が70歳になり、子どもが継がない。だったら売却すればよい。近隣の成長企業が買収してもよい。経営者を目指す会社員が買ってもよい。大企業が買ってもよい。

重要なのは、現在の法人格を残すことではなく、価値のある事業を残すことである。

ところが「事業承継」という言葉が、「どうやってこの会社をそのまま存続させるか」という発想に傾きすぎると、再編が遅れる。結果として、社長は高齢化する。投資は止まる。若手は採れない。会社の価値が落ちる。そして最後には、誰にも買われず廃業する。

それなら、もっと早く売った方がよかったのではないか。

政策が守ったのは従業員なのか、経営者なのか

中小企業支援は、しばしば「雇用を守るため」と説明される。

しかし、ここも慎重に考えたい。仮に低生産性企業を延命し続けた結果、賃金が低い、昇給も少ない、人材育成もない、設備投資もしない、経営者だけは交代しないという状態が続いたなら、それは本当に従業員を守ったことになるのだろうか。

従業員が、もっと生産性の高い企業へ移った方が給与も上がるかもしれない。会社そのものではなく、労働者の移動を支援した方がよいケースもある。

つまり、企業保護と労働者保護は同じではない。ここを混同してはいけない。

中小企業政策は既存企業の存続を優先してきた

日本では、中小企業が企業数の圧倒的多数を占めることがしばしば強調される。しかし、「中小企業が多い」ということ自体を政策成果のように考えるのは危険である。

企業数が多ければ、それだけ社長が必要になる。経理担当が必要になる。総務担当が必要になる。営業担当が必要になる。工場も設備も分散する。

人口が増えている社会なら、それでも成立したかもしれない。しかし、人口減少社会では違う。

人が減っているのに企業数だけ維持すれば、すべての会社が人手不足になる。同じ地域の会社同士が、少ない若者を奪い合う。

それでも政策が、「すべての会社の採用を支援します」と言い続ける。どこかがおかしい。

10社を10社のまま残すのではなく、5社に統合して規模を大きくした方が、給与を上げられる場合もある。研究開発や海外営業に人を回せるかもしれない。

人口減少社会では、企業の退出と統合は産業政策そのものになる。

問題は倒産ではなく「悪い倒産」である

ここで重要なのは、「もっと会社を潰せ」という乱暴な結論にしないことである。倒産には大きな社会的コストがある。従業員が突然職を失う。取引先が代金を回収できない。金融機関にも損失が出る。地域の供給網が壊れることもある。

だから政策が目指すべきなのは、倒産件数を増やすことではない。価値のある企業が突然死することを防ぎながら、存続させる価値のない企業については円滑に退出できる仕組みを作ることである。

つまり、「潰さない政策」でも、「潰す政策」でもない。「移す政策」が必要なのである。

人を移す、技術を移す、設備を移す

会社がなくなっても、経営資源まで消える必要はない。

人材は別の会社へ移れる。工作機械は売却できる。特許は譲渡できる。顧客は事業譲渡で引き継げる。工場も別の企業が使える。

つまり、会社という「箱」を守ることより、箱の中にある価値を次の企業へ移すことの方が重要である。この移動を金融機関、M&A仲介、行政、職業紹介機関などが支援すればよい。

地域金融機関なら、「この会社を救済融資で延命する」のではなく、「この会社の技術者と設備を、成長している隣の会社へ移す」という判断もあり得る。

それも立派な地域金融である。

経営者も入れ替わらなければならない

日本の中小企業政策で、もう一つ触れにくかった問題がある。経営者の能力である。

会社が業績不振になったとき、従業員の努力不足、人手不足、原材料高、取引先の値下げ要求、景気低迷……。さまざまな説明が行われる。

しかし、高崎青年経営者協議会を見ればわかるように、単純に経営者の能力が低い場合もある。価格決定権のある製品を作れない。設備投資を判断できない。海外市場へ出られない。優秀な人材を採れない。後継者も育てない。それでも、公的支援や金融支援で企業が維持されれば、経営者自身も交代しない。

市場経済には、本来、経営者を選別する機能もある。

それを政策が過度に止めれば、企業の新陳代謝だけでなく経営者の新陳代謝まで止まる。

戦前の反省を、戦後は過剰修正した

戦前の問題は、中小企業が弱すぎたことだった。

金融ショックが起きれば、良い企業まで倒れた。だから戦後は金融アクセスを改善した。

これは正しかった。

しかし、その成功体験が長く続きすぎた。いつしか、「成長可能な企業を守る」から、「既存企業を守る」へ変わった。

さらに、「既存企業を守る」から、「社会に害悪をもたらす自称経営者を守る」へ変わるケースまで出てきた。

ここに政策の過剰修正がある。戦前は市場に任せすぎた。戦後は市場を止めすぎた。

これから守るべきなのは「再挑戦できる社会」である

企業が退出しやすい社会を作るなら、同時に再挑戦しやすい社会を作らなければならない。

一度会社を潰した経営者が人生まで終わる。個人保証で全財産を失う。失敗した経営者という烙印を押される。再び金融機関から資金を借りられない。これでは誰もEXITを選ばない。

だから必要なのは、企業を守るセーフティーネットから、人を守るセーフティーネットへの転換である。

失敗しても再就職できる。再起業できる。事業を売却して別の事業を始められる。従業員も成長企業へ移れる。

こういう社会なら、会社そのものを無理に延命する必要は少なくなる。

「会社を守る国」から「価値を守る国」へ

日本は長い間、中小企業を守ってきた。その政策によって救われた企業も、雇用も、技術も数多くある。その功績を否定する必要はない。

しかし人口減少と人手不足が進む現在、同じ政策をそのまま続けることはできない。企業が減ること自体を恐れてはいけない。

戦前の日本は、企業を潰しすぎた。戦後の日本は、企業を潰さなすぎた。

では、これから何をすべきか。

答えは、その中間ではない。政策の目的そのものを変えることである。企業を残すのではない。人を残す。技術を残す。事業を残す。

そして、それらをより優れた経営者、より生産性の高い企業へ移していく。

「会社を守る中小企業政策」から、「価値を移す中小企業政策」へ。

日本が人口減少時代に必要としているのは、その転換ではないだろうか。

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