
人間の礼儀は、相手が人間かどうかを確認しない。最近、スーパーのセルフレジの前でそれを見た。セルフレジはこの数年で、どこのスーパーでも見かけるようになった。店員と言葉を交わさずに買い物を終える人も、いまでは珍しくない。
並んだ2台のセルフレジで、年配の男性2人がほぼ同時に会計を終えた。機械が「ありがとうございました」と言う。誰に対しても同じ調子の、録音された声である。左の男性が「はい、どうも」と返し、軽く会釈した。すると右の男性も、一拍遅れて頭を下げた。こちらはさらに深い角度である。腰から上をきちんと折る、改まったお辞儀だった。
顔を上げたところで、2人の目が合った。互いに何も言わない。ただ、口の端がゆるんだのは同時だった。後ろで待っていた私も、つられて笑ってしまった。見知らぬ2人が「機械に礼を言う側の人間」として結ばれる瞬間を、目撃した気がしたのである。
考えてみれば、あの会釈は相手の人格に向けたものではない。礼を言われたら返す。その型が体に染みついているだけだ。型は便利である。考えなくても角が立たない。ただし、ときどき画面に向かって作動する。電話口で見えない相手に頭を下げる人がいるのも、同じ理屈だろう。
2人とも、礼を言われたら返しなさいと子どもの頃に教わり、会社に入ってからはお辞儀の角度まで教え込まれた世代なのだと思う。
おかしかったのは、滑稽さだけではない。深いお辞儀のほうに、取引先に、上司に、客に頭を下げ続けてきた歳月が透けて見えた気がしたのだ。その癖が、いまや機械にまで及んでいる。軽い会釈の男性は人と話し慣れた人で、深いお辞儀の男性は謝る場面を多く引き受けてきた人なのかもしれない。勝手な想像だが、2つの角度にはそれぞれの勤め人生活が出ているように見えた。
哀しいといえば哀しい。だが、あの角度には妙な品があった。礼を尽くす相手を選ばない人は、たぶん信用できる。誰に見せるためでもなく機械に頭を下げる人は、相手の肩書や立場によって態度を変えることもないだろう。
自分ならどうするだろうか。機械の声に返事をしないのは理にかなっている。けれども理にかなった振る舞いばかりの売り場を思い浮かべると、少し寒々しい。あの2人のおかげで、売り場がわずかに明るくなったのは確かである。
2人は前後して出口へ向かった。自動ドアが開く。先を行く男性が、ドアに向かって小さく「すみません」と言った。後ろの男性が、今度は声を出して笑った。
尾藤克之(コラムニスト、作家)
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