黒坂岳央です。
昔から世の中は「批判する側専門」が多数派だ。経営者を無能だと断じ、政治家の失言を嘲笑し、著名人の振る舞いに説教する人たちである。
もちろん、誰にでも意見を述べる自由はある。実績のない人間は批判してはいけない法律はない。子供だって「あのお店はおいしい/おいしくない」「この漫画は面白い/面白くない」と批判している。重要なのはその批判が建設的で妥当かどうかのほうだろう。
だが、それでもあえていいたい。「評価する側」に長く浸かると成長は停滞し、人的魅力も落ちていく一方だと思っている。若い頃はまだいいが、中年以降で批判ばかりするのはどうだろう。筆者は批判される側でいたいと思っている。
※筆者自身、日頃から企業や社会の問題について批判的な記事を書いているが、問題点の原因を分析し、改善策を提案することに努めているつもりだ。
筆者が問題視しているのは、他人への批判そのものが目的となり、自分自身の挑戦や成長を忘れてしまうことだ。自分もそのようにならないよう、常に気をつけたいと思っている。

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他人の粗探しする人に魅力はない
そもそも、なぜ人は他人を批判することに夢中になるのだろうか。
一つの理由は、そこが自分のリスクを負わずに済む、安全で居心地のよい場所だからだ。
何かに挑戦すれば、失敗する可能性があるし、努力が報われないこともあれば、他人から能力不足を指摘されることもある。ところが、他人の挑戦を外側から批評するだけなら、そうしたリスクを引き受ける必要がない。そして誰かの欠点を指摘している間は、自分が相手より優れた人間になったような感覚さえ得られる。
SNSでは、こうした批判に「いいね」が集まり、賛同者が現れることもある。すると、自分の判断は正しく、世の中の間違いを見抜いているのだという確信が強まっていく。だから人は愚痴や悪口をやめられない。
だが、冷静に考えてみれば当の本人はどうだろう?他人の失敗を100回指摘しても、自分の能力は何も変わらない。むしろ他罰的で審査員のような上から目線をする人物に映ってしまう。
客観的に見て他人の粗探し、ダメだしばかりする人に魅力はないと思うのだ。
批判ばかりすると自分が疎かになる
そして批判をする最大の副作用は自分自身を省みなくなることにあるのではないだろうか。
人間は誰でも欠点を抱えている。ところが、他人を裁くことに慣れた人間は、他人ばかり見るので自分の姿は見なくなる。結果、自分の問題は棚に上げ、他人にばかり高い基準を要求するようになっていくのだ。こうなると、「偉そうなことを言っているお前自身はどうなのか?」と相手からのカウンターを許してしまう。
他人を批判することで偉くなった気分になりながら、現実の自分は少しも偉くなっていない。その場所に居座り続けるほど、成長の機会を失い、自分を客観視する力まで衰えていくのである。
批判される側に立つ人間は成長する
では、どうすればよいのか。答えは単純だ。自分が批判される側に立つことである。
例えば、記事や動画にダメ出しをするのではなく、自分が作る側に回る。会議で他者の企画の粗探しをする代わりに、自分が企画を立案するのだ。こうなると自分の能力や判断を他人の評価にさらすことになる。
当然、自信を持って作ったものが酷評されることもあるし、十分に準備したつもりでも、思うような成果が出ないこともある。これが続くと辛い。
だが、こうした経験には大きな価値がある。他人を見る代わりに、自分自身を一番長く見ることで、必然的に成長するのだ。
売れると思った商品が売れなければ、顧客の需要を読み違えた可能性を考えるし、面白いと思った動画が再生されなければ、企画や構成を見直す。仕事で期待した成果が出なければ、原因を分析して改善することにつながる。
自分の未熟さを思い知らされるのは、決して気分のよい経験ではない。しかし、その不快さこそが、次の努力を始めるきっかけになる。
挑戦者ほど腰が低い
筆者は常々、「本当に実力のある人や挑戦を続けている人には、腰の低い人が多い」と感じている。
彼らがそうする理由は周囲からそのような謙虚な振る舞いを期待されるから、というのもあるかもしれないが、それ以上に「謙虚でなければ生き残れないから」だと思っている。
「自分は天才だ」などと勘違いして努力を怠れば時代の変化に殺される。だが、批判される側として日々努力を続ける者は自然に他人の努力や挑戦を理解できるようになる。
筆者はYouTuberになる前は「部屋で動画とるくらい簡単だ」と思っていた。だが、いざやってみると本当に大変だと痛感する。マイク1つとっても理想の機材を買い揃えるのは大変だし、同じことを繰り返していても飽きられて見る人が減っていく。
だからずっと生き残っている他のYouTuberをまるで戦友のように感じて「あの人、ずっと頑張っていて素晴らしいな」と勝手にリスペクトが生まれるのだ。自分が頑張っているからこそ、相手の努力が分かるのである。
逆に批判する側だと相手のすごさもありがたみも分からないままだ。それは人間として子供から成長していないのと同じである。だが、年齢相応の成長をしないと幼稚なままでは人が離れていくとおもうのだ。
◇
色々書いたが別に批判することが悪いとは思わない。筆者も制作するコンテンツに届く意見で「なるほど、それは自分が間違っていた」と思われることも少なくない。建設的な意見には感謝している。
しかし一生、他人の人生を採点し続けるより、自分の人生を評価される場所に持っていき、成長や変化を味わう方がトータルでは得なのだ。あくまで損得の話であり、得が良いという提言である。
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「Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)






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