「他人の目なんて気にするな」は半分しか正しくない

黒坂岳央です。

「他人の目なんて気にするな」「もっと自由に、自分を大切に」

最近はこうした言葉をよく見聞きする。確かに、他人からどう思われるかを気にするあまり、やりたいことを我慢したり、必要以上に自分を押し殺したりするのはもったいない。筆者もその点には大いに賛成である。

だが、最近はこの考え方が少々行き過ぎて「自分のことしか考えない迷惑な人」も増えているように思う。自由を満喫するのは空き時間で自由にやってくれていい。

しかし、あまりに他人の目を気にしなさすぎて全然空気を読めなかったり、仕事で迷惑をかけても自分では気づかないという難しさがある。

Cholada Hongsaeng/iStock

「迷惑をかけていない」は自分で分からない

職場で「自分の仕事さえ終わればいい。迷惑をかけないから好きにやりたい」と考える人は昔より増えたように思う。彼らの言い分では与えられた作業は一応こなすから問題ないでしょう?ということだ。

だが、実際には報告は不十分で、周囲との連携にも無関心。自分の担当外のことには一切関わろうとしない。それで本人は「給料分の仕事はしている」という認識でいる。

しかし、実際にはその人の報告不足を同僚が補い、連携の悪さを上司が調整し、顧客への説明を別の誰かが引き受けていることはチラリとも想像しない。これでは、自分が楽をしている分の負担を、他人に押し付けているだけである。

もちろん、契約外の仕事まで無制限に引き受ける必要はない。問題は、自分の仕事が知らない他者つながっている想像力が欠けていることで迷惑になっているケースだ。

人間関係で空気を読めない人たち

人間関係でも同じ。自分は好きに振る舞っていることで、集団行動で迷惑をかけたり空気が読めない人というのは一定数いるのだ。

親の立場でも少なくない。たとえば園や学校の旗振り当番を完全に無視、コミュニティで清掃活動も来ない、みたいな人である。でも彼らは他の人が作ったインフラにはしっかりただ乗りするのだ。そういう人を見ると「自分のことばかりではなく、少しは他の人を気にするべきでは」と思う。

彼らを見て「自分を大事にして素晴らしい」なんて思う人はいないのではないだろうか。

そして知らないところで彼らは大きな損をする。たとえば学校関係で言えば、親をよく思われない状態で、その人の子が遊びに来てもどうしても気持ちよく対応しようと思えない人は出てきてしまう。「親と子は関係ない!」と意見が出そうし、自分はそんなことはしない。

だが、現実として人間はロボットとは違うので、100%フラットに見ることは難しい。その子が何か問題行動をすると「ああ、やっぱりあの親だし」みたいな見られ方をしてしまうのだ。

これは職場でも同じで、「飲み会なんてクソ」と言って来ない人ほど、自分の実力不足を知らないところで他者から尻拭いされていることには気づかない。

要は「自分は人目なんて気にしない」はあたかも自分でそう選択しているようでその実、「相手に配慮する能力がない」というのが正しい見方なのだ。

配慮は社会で生きる能力

そもそも、人目を気にすることは悪いことではない。

清潔感のある服装をするとか、相手を待たせないように約束の時間を守る、みたいなことも広い意味では人目を気にすることである。汚い格好で現れて「自分は人目を気にしない」という人がいたらどうだろう?「この人はまともな人間だ」と考える人は少ない。

つまり、「人目なんて」と言っている人は周囲が大人なので当然の配慮をするし、わざわざ口に出さずに相手を救うことは一切見えていないのに、「自分は一人前にやっている」と誤解するお子様に過ぎない。

人間は一人では生きていけない。仕事で成果を出すにも、友人関係を築くにも、家庭を円満に保つにも、他人との協力が必要になる。

人目を気にすることは、必ずしも他人に媚びることではない。自分を客観視し、社会に適応するための重要な情報収集でもあるのだ。

本人がそんな自身をどう思うかは別にして、一般論として社会性がない人間はシンプルに「能力が低い」という評価になる。

人目を気にするべきところ

もちろん、何もかもすべてを人目を気にしろとは思わない。半分はこの意見は正しいと思うのだ。

筆者の意見としては「社会性に触れる部分だけは人目を気にして、自分だけの世界で閉じる部分は気にしない」というハイブリッドを推奨したい。

まず、当たり前だが仕事は人目を気にしないといけない。筆者もそうしている。「自分の仕事は相手に価値を提供できているか?顧客は満足してくれているか?」こうした感覚を忘れることはない。

また、記事や動画を制作するときも「読者や視聴者は退屈しないか?途中で飽きないか?何か一つでも有益な要素はあるか?」こうした点については、生成AIを相手にしつこいくらい壁打ちをしている。

そして人間関係でも気にする。「自分の発言で相手を不快にさせていないか?相手は楽しんでいるだろうか?」。

これは子供に対しても同じだ。「父親として、以前に言ったことと普段の行動が矛盾していないか?遊びに行って子供たちは本当に楽しんでくれているか?」ものすごく気になる。

人目を気にしなくていいところ

一方で、筆者が他人の目をほとんど気にしない領域がある。それが自己実現だ。

新しいことに挑戦する時、趣味の時間は他人からどう思われるかを気にするようではまだまだ本気ではないと思う。

「いい年をして何をやっているんだ」「今さら始めても遅い」他人の声をいちいち気にしていたら、何も始められなくなる。

そもそも、自分が何に面白さを感じ、何に挑戦したいかは、他人が決めることではない。仮に失敗したところで、他人には文字通り、まったく迷惑をかけない。だからこういう部分は人目を気にするべきではないと思っている。

◇

人目を気にしすぎる人は、自分の人生を生きられない。しかし、人目を気にしなさすぎる人は、他人とうまく生きられない。

他人に対しては配慮を、自分の人生に対しては自由を。「人目なんて気にしない」という言葉が正しいのは、半分だけなのである。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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