黒坂岳央です。
「結婚はオワコン」「出世は罰ゲーム」「高級品なんて必要ない」
世の中には、こうした考え方がある。もちろん、自分の価値観と向き合って本音でそう思っている人もいると思う。だが、そうでないケースも少なくないと思っている。
つまり、本当は欲しくてたまらないのに手に入らない。本当はやってみたいのに、自分にはできない。そんなとき、「最初から興味がなかった」「自分には必要ない」と強がって自尊心を守ろうとすることがある。まさしく「酸っぱいブドウ」である。
かつて20代だった頃、筆者は「酸っぱいブドウ」をやっていた。非常にカッコ悪い。でも今は抜け出せた。

koumaru/iStock
「学校は友達を作る場所ではない」という強がり
学生時代の筆者は、友達があまりいなかった。自分がよく考えていたのは、「学校は勉強をする場所で、友達を作りに来たのではない」であった。
筆者はアメリカ留学中、ほとんどの時間を一人で図書館にこもって勉強していた。周囲が友達を作って遊びに行く中、「自分は他の人とは違う。学業が本分なのだから」と思っていた。
だが寮の隣部屋のアメリカ人の友人から誘われ、その友人の実家への帰省に同行させてもらった。初めて長距離バスに乗り、シカゴからミネアポリスへ向かった。
彼は先に帰省し、約束した日に一人でバスに乗ったが「本当にちゃんと到着できるか」と不安で仕方がなかったのを覚えている。ふとバスの車窓から外を見ると真っ白の雪景色で感激した。彼は約束通り、マフラーを巻いてバス停で待ってくれ、心の底からホッとした。
そして体験したのは普通のアメリカ人家庭が過ごす年末年始である。現地の家庭に入り、家族と交流し、生活を共にする。お餅はなかったが、家族揃って朝食を食べ、午後からモールにいってウキウキした。それまで図書館で勉強ばかりしていた自分は、「やっぱり友達との交流を楽しまないと損だ!」という気持ちになった。
我ながらチョロい。ちょっといい思いをするとコロッと変わる単純なやつだ。そしてそのとき、筆者は自分の強がりに気づいたのだ。
本当は友達がいらなかったわけではない。友達が少ない自分を正当化するために、勉強というもっともらしい理由を持ち出していただけだったのだ。
勉強も友達との交流も、両方楽しめばよかった。いらないのではなく、実力不足で出来なかったのだ。
社会人になっても同じ失敗を繰り返した
ところが、学習能力の低い筆者は、社会人になってからも懲りずに同じ失敗を繰り返してしまった。
会社で働いていた頃、筆者は「会社は友達を作る場所ではない。仕事で結果さえ出せば、誰にも文句はない」と考えてまた孤高に振る舞った。
しかし、当時の筆者には大きな勘違いがあった。自分一人で結果を出せるほど、実力がなかったのである。
実際の仕事では、分からないことが次々と出てくる。自分一人では解決できない問題にぶつかり、上司や先輩に助けてもらうことも多かった。情けなく、無力感でいっぱいになった。強がっていたが結局、一人では何も出来ない。
今振り返ると、実に恥ずかしい話である。本当に必要だったのは、「オレのプライベートを邪魔するな」と昼休みに一人になることではなかった。自分の実力不足を素直に認め、分からないことは教えを請い、困ったときには助けてもらえる信頼関係を築くことだったのだ。
「会社に人間関係なんて必要ない」というのも、結局は強がりだった。本当は気軽に相談できる上司や先輩、困ったときに支え合える同僚が欲しかった。しかし、当時の筆者には自分から人に歩み寄る勇気も、相手に気を配る余裕もなかった。
「人間関係がいらない」のではない。「人間関係を築く能力が足りなかった」のである。
一度失敗して学んだはずなのに、また同じ間違いをする。自分はなんと学習能力が低いのだろうと、深く反省したものである。
「いらない」という酸っぱい葡萄
この経験を通じて気づいたことがある。「できない」と「やらない」は、似ているようでまったく違う。
「できない」と認めれば、自分の弱さと向き合わなければならない。しかし、「やらない」「いらない」と言い換えれば、自分の弱さを直視せずに済む。これこそが、酸っぱいブドウの心理である。
例えば、「人間関係をうまく築けない」と認めれば、どうすれば相手と信頼関係を築けるのかを考えられる。自分から話しかけるのはすごく勇気がいる。
だが、「人間関係なんて必要ない」と結論づけてしまえば、そもそもリスクテイクをしなくていい。楽だ。だが、そのつけは将来まとめて払うことになる。
努力しなければ手に入らないものを「いらない、やらない」とあたかも自分が選んでいるようにし続ければ、今あるものから何も増えないことになる。心は楽だが、永遠にダメな箇所はダメなまま年を取る。自分はそうなりたくないと思ったのだ。
自分が本当に不要だと判断しているのか、それとも手に入らない現実を正当化しているのかを間違えると、いざ本当に手に入るチャンスが過ぎ去ったらおそらく後悔するだろう。
30代になってようやく素直になれた
筆者が強がりを卒業できたのは、情けないことに随分遅く、30代になってからようやくである。
20代の頃の自分は、できないことを「いらない」「やらない」と解釈していた。だが、そもそも自分が十分に経験していないものの価値を、どうしてそこまで自信満々に否定できたのだろうか。
一度も食べたことがない料理を「まずい」と決めつけるのはおかしいだろう。それ以降、未経験のことを最初から否定するのではなく、まずはその価値を知ろうとするようになった。
◇
何でも「興味がない」「必要ない」と切り捨て、新しい経験への好奇心まで失ってしまえば、それこそ感情の老化ではないだろうか。
できないことは恥ずかしくない。しかし、できないことを「いらない」と言い換え続ければ、自分の弱さと向き合う機会まで失ってしまう。
酸っぱいブドウを食べずに済む人生より、ブドウに手が届かない自分を素直に認められる人生を送りたい。
■
2026年7月、全国の書店やAmazonで最新刊絶賛発売中!
「Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)







コメント