北村さんの記事に「賢明なジャーナリストに恵まれれば恵まれるほど、社会はその恩恵に浴する」という話がありました。アメリカのメディアの質がそれほど高いのか疑問はありますが、日本のメディアの質が低いことは間違いありません。報道の自由指数でも、チリやナミビアと並んで42位、OECD諸国では最下位です。
この最大の原因は記者クラブによる情報カルテルですが、もう一つ重要な原因は、日本のジャーナリストが一生おなじ会社に勤務することです。私がNHKをやめたのは、39歳で管理職の辞令を受けたときでした。キャリアの半分にも達しない年齢で管理職になり、それから後は基本的に番組をつくる仕事はできなくなります。特に団塊の世代が管理職になった時期には、一般職1人に管理職3人といった状態で、今でも高給を食んで社内失業している「ノンワーキング・リッチ」が多い。
これは普通の企業と横並びになっているのですが、一般企業とは違ってメディアにはブルーカラーが少ないので、管理職の仕事はあまりありません。普通の企業では、管理職になるほど金も力も大きくなるのですが、メディアでは一番カネを使えるのは現場です。管理職はその金の管理をするだけのつまらない仕事です。
欧米では、記者やプロデューサーは一生その仕事をするのが当たり前です。新聞記者でいえば、地方紙から始まって全国紙やテレビに転職することは多いが、途中で管理職になる人は少ない。管理職は、ビジネスの専門家がやることが多い。たとえばウォーターゲート事件で有名なボブ・ウッドワードは、ワシントン・ポストのassociate editorという肩書きだけど、今でも本を書いています。CBSのドキュメンタリー”60 Minutes”のプロデューサーDon Hewittは、35年間プロデューサーをつとめました。
だから日本のメディアは成熟できないのです。いつまでたっても若い記者が原稿を書いて、年をとった管理職がそれをチェックするという役割分担なので、取材対象に対抗できる専門知識が蓄積できなくて、耳学問の底の浅い知識を受け売りする。しばらくしたら担当が変わるので、いつまでたっても専門家が育たない。さらにその情報源である官僚もサラリーマンなので、お粗末な専門知識しかない。
メディアの人々は、自分の影響力を過小評価するバイアスがあるけれど、中と外の両方から業界を見た私の印象では、全国紙やNHKの記者ひとり当たりの影響力はキャリア官僚より大きい。ところが本人にそういう自覚がなく、自分はただのサラリーマンだと思っているから、本格的に勉強する気がない。社内でも管理職になるのが本流で、チーフ・ディレクターなどの「専門職待遇」は傍流です。
要するに日本的雇用慣行のもとでは、専門知識を蓄積するインセンティブがなく、専門家を育てるシステムもないのです。クリエイティブな仕事は、基本的にサラリーマンには向いていない。むしろアニメとか漫画のようなサブカル的なコンテンツ産業のほうが、フリーの若者によって専門的な技能が蓄積されています。かつて映画監督は映画会社のサラリーマンだったけど、映画業界が滅亡するとともに、作家として独立しました。日本でも大手メディアが没落すれば、フリーの作家が自由に表現できる場が広がるでしょう。